東方ルアー開発秘話(1)神の山の神隠し

AM05:00、白神山地の朝はまだ遠く、ヘッドライトが切り取った以外の部分は全て深い紺色の闇に包まれていた。遠くの山並みが紫に光り始める前に距離を稼いでおかなければならない。

車の調子は良く、幸い平日の早朝に山を走る車もなく、何らのストレスも障害もなく気分良く目的地まで進めることだろう。

新しく配備されたこの軽四駆は仕事車にしておくのが勿体ないほどよく走り、運転自体を楽しめるので密かに気に入っていた。その車体色を除けばだが。

白と黒のツートーンに塗り分けられたこのジムニーの屋根には赤色回転灯が付いており、時々面倒な指示を送ってくる無線さえなければ全てが快適だといえた。

「ンゴ!・・・ゴゴゴ・・・!!」

前言撤回。あと、この睡眠時無呼吸症を起こしそうな巡査長も付いてこなければだ。

今日の現場は渓流釣りの名所・・・で、かつてはあったらしい所だ。この白神山地一帯が世界自然遺産に指定され、全面立ち入り禁止になって以来、誰も来ないはずの川だ。

皮肉な事に立ち入り禁止になった事が原因で密猟をする者を見とがめる目がこの山から無くなった。禁漁期間だけであった密漁取り締まりも通年となり、今ではオールシーズン密漁者の後を付け回さなければならなくなった。

以前は登山者が密漁者を見つけ、通報を受けてから下山のためにどうしても通らなければならない一本道で網を張っていれば、後は掛かるのを待つだけでよかったのだ。

AM06:00、立ち入り禁止区域の鉄製ゲート前に到着した。合鍵で開錠し、中に車を入れてみる。もう夜も白々と明け、ライトを消しても楽に走れる明るさになっていた。

密漁者の乗ってきた黒い大きな四輪駆動車はゲートの前に止まっていた。ゲートの前過ぎてじゃまだ。ジムニーでも避けて入るのに苦労する。

しかしこの忌々しい黒い四駆、これ自体よりもさらに忌々しいチクリの通り、車種、車体色、ナンバープレートから張り付けてあるステッカーまで全てがドンピシャリであった。

忌々しいチクリは釣り新聞投稿常連者らしき奴からだった。

「こいつは白神で釣った岩名を他の場所で釣ったと言い張っていつも一面に載る」

どうでもいい。

そんな小さな見栄の張り合いはどこか他所でやれ。

しかも、この手のチクリは高確率で空振りに終わる。

ガセ記事を投稿しているような奴らだ、呼吸をするように自然に口から嘘が出てくるのだろう。しかし、今日のは久々に当たりのようだ。

 

 

ペンネーム

風来のフィッシングライター(笑)ギョギョ心

釣りキティGUI☆SAM平

この二人が今日、この谷で釣れるだろう。

 

AM06:40、まんまと白神の渓谷に潜入することに成功した釣り人二人は、目当てのポイントへと急いでいた。

長身の男は、時折サングラスの角度を直しながら、付き人に話しかける。春とは言え白神の朝はまだ寒い。赤いチェックのシャツとフィッシングベストの服装では寒さを防ぎきれず、気を紛らわしたかったのだ。 

「SAM平君、この服装はちょっと失敗だったかな?かなり冷えるよ」

長身の男は話のとっかかりを作るために大袈裟に身震いをして見せた。

「何を言ってるだなやギョギョ心さん、オラのポンイチ(ポンチョ一丁)に比べたら相当マシだっぺえ!」

答えた付き人は、ろくに学校にも行かずに男の助手をしている野性児だ。通称をSAM平という。

深緑のポンチョ一枚プラス魔法使いみたいな鍔広の帽子といった出で立ちで露営し、釣ったウグイを食って浮浪者のように暮らしていた。なんとなく、釣り場情報をこの少年に尋ねるうちに親しくなり、今は行動を共にしている。

「だがねSAM平君、私の赤いシャツとハコフグの帽子は大事なトレードマークなんだよ、これでいつも新聞や雑誌に載るんだから、この二つは外せないね」

長身の男はギョギョ心と名乗り、釣り新聞や釣り雑誌に記事を投稿している仕事(?)をしている。肩書きはフィッシングライターだが、まあ、無職であるといえる。

頭に乗せているハコフグ型の帽子は、無論有名魚類学芸員のパクリだ。投稿記事の語尾に付ける「ギョギョ!」は、うら寂しくもあるが、失笑的笑いを取る事にある程度成功してもいた。

「けーどギョギョ心さん、いーかげんパクリのキャラ付けは止めた方がいいだなやw」

SAM平が、やや爆笑気味にギョギョ心の痛すぎるキャラ付けについて突っ込むと、ギョギョ心は急に話すのをやめた。

気にしていたのか?と、SAM平は少し不安になり、SAM平も話すのをやめる。

ギョギョ心は湧き上がる怒りを堪え、奥歯を噛締めた。

なにもやりたくってこんなキャラ付けをしている訳ではない。

ただ、これしか思い付かなかっただけだ。

今にこんな事をしなくてもよくなる。

今、ギョギョ心とSAM平が手にしている新型ルアー。これをニューブランドとして立上げに成功すれば、釣り具メーカーとのフィールドテスター契約が取れる。

「無職ももうすぐ終わりだよSAM平君」

ギョギョ心は春の薄氷よりも薄く、初夏の蜘蛛の糸より尚細い、釣り具メーカーと交わした口約束を思い浮かべながら一人つぶやいた。

そうだ、その為にはパクリのキャラ付けだろうと、捏造の記事だろうが何だってやってやるつもりだった。そうすればこんな軽口を叩く浮浪児とも、侘しすぎる今の生活ともおさらばできるのだ。

「SAM平君、あらかじめ言っておくが、動画を撮る時は出来るだけ素人っぽくやってくれよ?このルアーがズブシロでも簡単にスレ切った岩魚をヒットさせる能力を強調したいんだ」

「それと、君と僕は今日初めてここで会ったという設定だから、撮影中に私の名を呼ぶなよ?ヒットだなやギョギョ心サーン!は無しだからな」

SAM平は聞いちゃいない様子で前を歩き続けた。すっかり明るくなった新緑のカーテン越しに、青く光る川面が見えたのだ。きっと耳に入っちゃいないだろう。

しまいには小走りになるSAM平にギョギョ心は苦労して追いついた。撮影を始める前に釣られたらかなわない。なにしろ全く人の怖さを知らないとはいえ、岩魚は岩魚だ。数回しか無いかもしれないチャンスをモノにできなかったらやり直せる保証はない。

SAM平は川面を見詰めて立ちつくしていた。今まであり得ないと思っていた光景を目前にして、信じられないといった表情を浮かべて。 

「ギョギョ心さん!岩魚が!あんなにデッカイのが!ほれ!見てみれー!」

ギョギョ心にとっては想定された光景だった。何度か来てここの岩魚を使ってガセ記事を書いていたからだ。「柳瀬川の源流に幻の岩魚を見た!」とかのバカっぽいネタには必ずここの魚を使った。

反響は想像以上で、「清瀬市の純系ネイティヴ」などとネットで話題になったりもした。奴らは魚の模様がどうだの、日光岩魚と大和岩魚の違いはどうとか、魚体の学術的見地からはギョギョ心の記事を微に入り細を穿って検証したが、ギョギョ心が法螺吹きであるという決定的にして最重要な事柄に関しては中々思い至らない様子であった。

まあ、そんな事はどうでもよい。目前にある清らかな流れと人に汚される事のない新緑の山々、釣り針を知らない無垢の岩魚達と浮浪児を利用して俺はのし上がるつもりだ。例え、これらが深く傷つき、損なわれようとも。

「SAM平君、これが世界自然遺産白神山地だよ!」

「すっげーだなやギョギョ心さん!立ち入り禁止だから人目もなくって密漁しまくりだなや!」


その時、川のせせらぎとSAM平の大声にまぎれて、彼らの背後に忍び寄る者たちが居た。

「この山は立ち入り禁止だが、君たちは何を・・・」 

声の主がしゃべり終わる前にギョギョ心は走り出した。

あの忌々しいSAM平の大声さえなければ、警官が声をかける前に足音で気付き、もっと上手く逃げられたに違いないのだ。

ちょっとだけSAM平の方を振り返ってみると、警官二人に取り押さえられ、こちらに向って何か叫んでいる。

「ギョギョ心サーン!オラの!オラのHDDを!オラのパソコンのロリ画像を消しておいてケロー!」

クソッ!俺の名前を呼ぶな馬鹿!

ギョギョ心は企みの失敗と少年の不手際に唇を噛み、腹いせの意味も込めてこう答えた。

 

「安心しろSAM平くーん!」

「君のHDDは全部コピーして必ずゆりっぺに!!!」

 

まさに外道wwww

 

SAM平は警官に取り押さえられた時に持っていたルアーボックスを川に落としていた。中身はギョギョ心に渡されていた新型ルアーである。

量産に向くプラスチックを敢えて本体部分に使わず、根掛かりで水中に残された場合にも自然に朽ち果てる木を主材料にした、環境に対するローインパクトを売りにしているプラグルアーであった。



最新の技術で作られたそれは、作られた時の思惑通りに土と水に帰る筈であった。しかし、渓谷を流れる内に箱は深い霧に包まれ、誰の目からも見えなくなった。

この世にこの箱を見つけられる者は現時点で皆無となり、これの持ち主もその存在について考える事をしなくなった。

この時点でこのルアーボックスは概念上現世から消失した。

概念上消失したモノは、再度誰かに思い出されれば見つかる可能性がまだ半分は残っている。誰かが目視して思念に残れば、まだ何とか大丈夫かもしれない。

しかし、思い出されもせず、目視も知覚もされなくなれば、それは本当にこの世から消失してしまうのだ。

鉄は赤く錆びて、家は虫に食われて、或いは誰も仕組みを知らないそれ以外の現象によって。

人はその現象がどんな仕組みで、物体がどのような経緯を経て消失するのかは知らない。しかし、その現象自体がある事は昔から知っていた。

古くから言い慣わされた「神隠し」がそれにあたり、そして、たった今、箱は神隠しにより地上から消失した。

 
箱は流れた。

最初は渓流であった筈であったが、霧が晴れると流れはいつの間にか何処かの誰も知らない地下水脈に変わっていた。

箱の下を肺魚が通り過ぎ、一回息継ぎをして泳ぎ去った。

箱は暗闇の地下へと流れて行き、その出口でイクチオステガの上を流れ過ぎて行った。

地下水脈はやがて、地上の人間が誰も来た事のない小川へと注いで流れ下り、湖へと注いだ。

 
幻想郷は人の世と結界を以て隔てられていた。

普通、人はその結界を行き来する事はできない。

幻想郷にも人は住んでいるが、彼らは幻想郷の理を守って生きて行くしかない人々であり、結界の外の人間とは違う。

外の人間は、その存在自体が神の領域を侵食し、蝕んでしまうものなので幻想郷には入れないようにしてあった。

例えば、昔は日本全土に分布していた狼。

かつては山の神として恐れられ、誰も狼に直接危害を加える者も居なかったし、その生活を暴こうとする者も居なかった。

しかし、人口が増えるに連れ、人里はどんどん山を侵食して行き、狼の食料となる鹿達をすっかり山から追い出してしまった。

やがて数を減らした狼は山での力を次第に失い、仕舞には人間によって「犬に似た獣」と認識されるに至り、狼は神の地位を追われ、地上から一頭、また一頭と去って行った。

人間に負けて滅ぼされたのではない。ただ、住み難くなり、嫌気がさして立ち去っただけなのだ。だから幻想郷には狼が居る。その外には一頭もいない。

そのような事が度重なるようになり、神々は次第に外の人間の侵食を恐れるようになり、疫病のようにこれを遠ざけるようになってしまった。

外の世界から神々の世界を守るために張られた結界の内側、それが幻想郷だった。

作者注
原作の設定では少し違って、妖怪の親分が外の世界から仲間を呼び寄せる為に結界を張ったような話になっています。

 

幻想郷内、妖怪の山の麓、霧の湖

 

チルノは今日も湖の岸辺を飛びながら目標を探し続けた。

春になれば奴は必ず出て来る筈だ。

緑色したそいつを春の草の中で見落とさないように、低く静かに飛んだ。

氷の翼はあまり音は出さなかったが、堅いからか低くゆっくり飛ぶのは難しかった。青い服も目立ちやすく、そいつに気づかれずに射程に入る事を一層難しくさせていた。

だが、今年の初ものは何としても逃したくはなかった。初物狙いはもう何百回やったか知れない。妖精にとって今年の今日が何年何月で何日であるかなんて事はどうでもよかったが、今年初見の獲物を仕留められるかどうかという事には強い拘りを持っていた。

これには氷の妖精のプライドがかかっていると思えたのだ。

居た。

奴は土の中から出てきたばかりなのであろう。日光で暖まった石の上にベッタリと腹を乗せ、冬眠の余韻を反芻しているようであった。

より低く

より静かに

必中の射程に入る

チルノの目が青く光ると、重力に引かれて垂れ下がっていた髪の毛や着衣が風に煽られたようにフワッと少し浮きあがった。空気の密度も影響を受けて少し変わるのかもしれない、声には少しエコーがかかった。

「パーフェクトフリーズ!!!」

氷の翼から放出された冷気が空気中の水分を凝結させ、目標を包み込む。氷の粒は日光を七色に反射させながら目標となった蛙に集中し、一瞬のうちにこれを冷凍してしまった。

チルノは今年初見の蛙を見事冷凍することに成功し、得意満面である。

「やったわ!今年も大勝利!あたいったら、やっぱり最強ね!」


蛙を凍らせる事に成功したチルノは、子供っぽいというよりは、子供そのものの笑顔を満面に浮かべてはしゃいでいた。

実年齢は本人も知らない。既に数百年を過ごし、この先どれだけ生きるか誰も知らない妖精には関係のない事なのだろう。

首尾よく凍らせる事に成功した蛙は、水に漬ければすぐに解凍されて動き出す。成功率は六割だが、ここまで成功すればパーフェクトであり、今年一年も気分良く過ごせる気がした。

チルノは手にしていた氷漬けの蛙を思いっきり湖面に向って投げ、その行方を目で追った・・・ふと、水面に何か見た事がない物が浮かんでいるのを見付ける。蛙はボチャン!と音を立てて水面に落ちたが、目はもうそれを追わなかった。

それどころではない、数百年の間一回も目にした事のないそれはチルノの関心を一点に集め、視線を釘付けにした。

「何かしらあれ?」

半透明の・・・箱に見える。でも、そんな箱は見たこともない。

ガラス?

氷?

氷だとしたら自分以外にも魔力で氷を作り出せる者が居る事になる。しかも、中には薄っすらとではあるが魚のようなものが入っているのが見える。

「あたいの縄張りで氷結ハンティングとはいい度胸ね、久々に勝負になりそうな予感がするわ」

チルノは額に小さなしわを寄せ、警戒の表情を浮かべながら四角い不審物の上まで飛んで行き、用心してそれを拾い上げた。

氷ではなかった。箱である。中には確かに魚みたいなものが入っていた。

内容物は予想に反して生っぽさが全く無く、箱を振ると内容物が動いてコトコトと音を立てた。

時を止められた魚?

それにしては少々見てくれが玩具っぽい。

しかも錨型の三本針が2組付いている。

針が付いている・・・と、いう事は何かの罠であるかもしれない。

きっと食い意地が張った妖怪か何かを捕える罠であろう。

魚と間違えて内容物に手をかけた途端に罠が発動する仕掛けに違いない。

この箱だけは開けるまい・・・と、心で強く思った為か、意に反して手に力が入り、箱のボタンに掛かっていた親指がそれを強く押してしまった。

 

「パカシャ!」

 

チルノには全くの予想外の出来事であった。罠に掛かるまいと細心の注意を払って遠ざけようとしていた罠に、自分の不注意で掛かってしまったのだ!

「きゃ!わ!qwsdfghくあせ'`,'`,(ノ∀`)'`,'`,、アー!きゃーーーーー!!!

自分でも何と言ったかわからないような目茶苦茶な叫び声を上げながら箱を白砂の上に投げ、その場に丸くうずくまった。

「ああ・・・あたい、もうおしまいだよ・・・きっと諏訪子だ!蛙共の親分、諏訪子があたいを亡きものにする為に仕掛けた罠だよ・・・あんなチビスケの罠に掛かるなんて・・・」

チルノは眼をぎゅっとつぶり、頭を抱えて丸くなっている・・・

どれだけそうしていただろうか?

砂の上で丸くなっているチルノの耳に、不意にちょっとハスキーボイスがかった女声が届いてきた。「何してるんだ?かくれんぼか?でもそれ、全っ然隠れられてないぜ」

チルノは恐る恐る目を開け、顔をそっと上げてみた。黒い革靴が見える。白く細い脚をたどってゆくと、白いフリルのついたロングスカートが目に入り、更に上を見ると、大きな黒い帽子の影が作り出すシルエットにまぎれてよく見えないが、きっと馬鹿にしたような表情でチルノを見下ろしているのは魔法使いの魔理沙に違いない。


「なーに狐につままれたような顔してるんだ?八雲一家の藍でも来たのか?」

魔理沙は当然の権利のように砂の上で丸くなっている氷の妖精に対して、小馬鹿にした態度で見下ろしながら軽口を叩いて見せた。

「なによ!あんたには関係ないでしょ!それより罠よ!」

氷の妖精はふくれっ面である。

「罠?罠って何がだ?」

「あれよあれ!諏訪子があたいを亡きものにして、この湖を蛙で占領しようとしたのよ!」

魔理沙はチルノが指さした方を見る。魔理沙の目に入ったのは開きっ放しになっている半透明の小箱と、魚の形をした玩具みたいなものが数個。それが硅砂の砂浜に転
がっていた。魔理沙は無造作に玩具の一つを拾い上げてみた。

「ちょっと魔理沙!死んでも知らないわよ!」

チルノは注意を促したが、魔理沙は聞いちゃいないようであった。チルノは固唾を飲んで罠が発動するのを見届けようとする・・・

何も起きない。

魔理沙は魚の玩具を眼前にぶら下げて、しげしげと眺めた。何であろうか考えてみる。

見た目は魚か何かを象った玩具かアクセサリーだ。

謎の玩具は1個1個色が違うが、同じような形をしており、そして、ちょっと綺麗に見えた。紐を付けて印篭か何かの根付にしたら悪くなさそうだ。しかし、この針の意味が分からない。

「なあ、チルノ、お前この罠に掛かったんだろ?どんな罠だった?」

氷の妖精はふくれっ面をしながら「知らないわよそんな事!」とだけ答えた。

「これ、本当に罠なのか?」

確かに針は不穏な罠を連想させる装具だが、あからさまに表に見えているのはおかしいと思えた。事実、この玩具は針の部分を避けて掴めば何の危険もない。

「なあ、チルノ、こりゃ、河童かなんかの玩具じゃないのか?例えば、この針でお互いの玩具を引っ掛けてメンコみたいに取っこするとか」

玩具と聞いてチルノの警戒心が解けたようだった。チルノも恐る恐る玩具の一つを拾い上げ、魔理沙の真似をして眼前にぶら下げ、しげしげと眺めた。

言われてみれば危険はなさそうだ。しかも、メタリックブルーのグラデーションは艶やかに日光を反射して中々にきれいに見える。目の部分はオパールのように角度を変える度に光を乱反射し、針も細くて大した危険もなさそうだ。

「これ、キレーだねー、ねえねえ魔理沙、これ何に使うものかな?」

「そりゃ、こっちが聞きたいぜ、こんな物人間の里でも妖怪の山でも見た事がない」

「そうだ、コーリンの処へ・・・」

「全部あたいのだからね!」

魔理沙が香霖堂に鑑定に出してみようと提案する前に、チルノは玩具と見られる物全ての所有権を主張した。

「おま!1個ぐらい、いいじゃねーか!減るもんじゃなし!だって1・2・3・4・5!5個もあるぜ!」

「そんな難しい事言って騙そうとしてるんでしょう!減るもん!」

「だーかーらー!おま!ちょwまて!ひっぱるなw針が!針があーぶーなーいーって!」

「イタッ!イタイ!やっぱり、これ、罠だよ!」

「あ〜あ、とうとうやっちまったか・・・」

魔理沙の手から取り返そうと謎の玩具を強引に握ってしまったチルノは、その針を指に深々と刺してしまった。

 

「あ〜あ、返しまで刺さっちまったよ、こりゃ、永淋の所で抜いてもらうより他にないな〜」

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東方ルアー開発秘話(2)永遠亭

霧の湖でチルノの指に刺さった謎の玩具の針を抜かねばなるまい。この程度の治療は普通、人間の里でもわけなく可能だ。

しかし、患者が氷の妖精となると話は変わってくる。

なにしろ体を形作っている物質自体が少々違うようだし…しかも、ただの妖精ではない。チルノである。注射は痛いだの、薬は苦いだのと言って散々駄々をこねるにきまっている。こうなったら人間の医者ではお手上げだ。

目的の診療所は永遠亭という。

病院と言えるようなものではない。

隠者のような姫様と、少数の従者だけがひっそりと隠れ住む屋敷だ。

永琳(えいりん)というのはその従者の一人で、医術の腕には確かなものがあり、その線ではつとに有名な人物だ。正式には八意永琳(やごころえいりん)という。

永遠亭は迷いの竹林の中のどこかにある。

「どこかに」というのは、誰も永遠亭の正確な位置を知らないからだ。従者である月の兎や、妖怪兎の妖力、そして姫自身の力によって巧みに隠蔽されており、それらの助けなしには普通、永遠亭には永遠に辿り着けない。

魔理沙は竹林の小道を辿りながら、チルノを励まし、励まし、寄り添うように少しずつ進む。そうしなければすぐに立ち止まってしまいそうだったからだ。

周囲の竹は人の手が入っているのか、程よく間引きされ、竹の香りを乗せた爽やかな風を竹林に通し続けている。竹の青葉がサラサラと涼しげな音を立て、真昼の日光を程よく遮っていた。

面倒な患者さえ連れていなければ、単なる気楽な散歩道なのになあと魔理沙は思った。

「う…痛いよ…休みたいよ…」

「何言ってるんだ、すぐに抜いてほしいんだろう?子供みたいな事言うなよ」

「違うもん、あたい子供じゃないもん、最強だもん…」

こんな調子である。最強もないもんだ。しかも、「最強」っていうフレーズ自体が既に子供丸出しである。

チルノは痛みの波がピークに達するたびに肩を震わせ、立ち止まろうとした。

飛んで行けばスピードだけは速いだろうが、この状態で集中力を維持できるかどうか不安だったから歩かせた。飛ぶのには意外に精神力が必要なのだ。

しかし、いつも弾幕戦であれだけ被弾して平気な顔をしているのに、どうして針一本でここまで参るのか。妖精と人間では痛覚についても違いがあるのかと思った。

ずいぶん歩いた。

もういいだろう。

魔理沙は案内人を試しに呼んでみる。

「て〜ゐ〜!患者を連れてきたぞー!」

カサッ!

と、小さな音がした。

てゐ(てい)は呼ぶまでも探すまでもなく、魔理沙達を尾行(つけ)ていたようだ。

何か悪戯を仕掛けてやろうと思っていたのかもしれない。幻想郷には奇抜な奴が多い…と、言うか、人間の里を一歩出ればそこは妖怪や魔法使いばかりで、普通という概念自体が存在するかどうかが怪しいのだが。

この因幡てゐ、この妖怪兎も例外ではない。

姿こそ小さな少女だが、実態はどんな姿だか知れない。妖怪連中は今見えている姿が実態である場合もあるのだが、往々にしてというか、こちらの方が多いのだが、相手を油断させる為か単なる自分の趣味からか、外見上の姿を変えている。

相手の実力や性格を判断するのに外見はほぼ当てにならない。

寝巻みたいなピンクのワンピースを着て、ニンジンのブローチを付けているちびっ子に見えるが、どんな力を秘めているかまでは実際に戦ってみるまでは分からないものだ。

てゐはリラックスしている時はいつも前にタランと垂らしている長い耳を、今はピンと立ててこちらの様子を窺っているようだ。黒髪の間から覗いている大きな赤い目がクリクリと動いてチルノと魔理沙を交互に見た。

「そのちびっ子をエーリンに診てもらいたいの?」

いやいや、お前も負けず劣らずちびっ子だろうwと、突っ込んでやりたかったが、今はそれどころではない。

「そうなんだ、一刻も早くチルノの指に刺さった針を抜いてもらいたいんだ」

魔理沙の問いかけに対し、相手の妖怪兎は全く心を動かさない様子で、表情を崩さずに真顔でこのように答える。

「じゃ、永遠亭に行けばいいじゃん」

案内を頼みたいという、こちらの意図をくみ取れなかったのか?

単に気付いていないという可能性もある。

「だからその…永遠亭に連れて行ってほしいんだよ」

キッパリ言った。これで分かっただろう。

「迷うの?」

ふざけているのか?

この因幡てゐは、悪戯者として有名だ。

迷いの竹林の悪戯兎と言えば、まずこいつを指すぐらいに。

「迷うに決まっているから案内を頼んでいるんだろう!」

魔理沙はイラついてくるのを我慢していた。妖怪兎はというと、真剣な顔をしているから、多分…からかわれているのではない…と、思えた。

トトッ!

トトトッ!!

カサッ!

カササッツ!

竹の枯れ葉を踏み鳴らす小さく軽快な足音に囲まれる。

騒ぎを嗅ぎつけた竹林の兎達が集まってきたのだ。

薄茶色の兎達は後ろ足で立ち上がったり、鼻を突きだして魔理沙達の匂いを嗅いだりして様子を窺っている。

黒眼ばかりの大きく見開かれた無数の目は、興味深げに魔理沙達を注視した。小動物とは言え、これだけの数に凝視されると少々プレッシャーを感じる。

てゐは、魔理沙達を指さし、兎達に事情を説明する風にこう言う。

「ねえみんな、この人達、永遠亭に行きたいんだって」

てゐの真顔の説明にも拘らず、兎達は悪びれる素振りもなく魔理沙達を凝視したまま一斉に鼻をくすくすと鳴らした。

魔理沙はもう我慢ならなくなってきた。

「失礼な奴らだな!笑うな!っていうか、それ、笑ってるのか!?どうなんだ!?」

下手に出なければならないと思いつつも、つい語気が荒くなる。

「だぁ〜って、おかしいじゃん、ね〜ぇみんなぁ〜」

又しても妖怪兎は、配下の兎達を見廻しながらこのように言う。

ひと勝負あるかも知れないと思い始めた。

油断なく周囲を取り囲んだ兎達と、てゐの気配に気を配る。

「な・ん・で・ここで笑うんだよ!アレか?ツボか?兎の笑いのツボか!?これが兎ジョークで通用すんなら、あたしは兎界で漫才デビューしてやんよ!!」

隠していた八卦炉を握る。掌が湿っているのが分かった。攻撃に備えて気を貯めると静電気で髪の毛が少し立ち、炉はヴ…と変圧器のように少し鳴った。

てゐはというと、余裕の表情で配下の兎達を見廻しながらゆっくりと魔理沙達の頭上辺りを指差した。

「だって、ね〜ぇみんなぁ!」

罠かもしれない…が、魔理沙は気になって恐る恐るてゐの指差した頭上を見た。

「何もないぞ?」

「そっちじゃ〜な〜い〜よ!…う・し・ろ!」

魔理沙が背後を振り向いてみると、そこに有る筈であった広大な竹林は無くなっていた。

すっかり木の板になり果てている…いや、板はこのクソでかい物体を形作っている素材だ。

少し、頭を引き気味にして出来るだけ周囲を見渡す。

板は大きな門だった。

門の左右には高い土塀が続いている。

上を見上げると、かなり大きな神社仏閣に有るような瓦屋根が見えた。

永遠亭は歩いて行くまでもなく、背後にそびえ立っていた。

魔理沙はあまりの出来事に言葉を失い、口元をヒクヒクさせながら引き攣り笑いを浮かべるしかなかった。

「ねえ?おかしいでしょ?」

兎の悪戯も、ここまで高度になれば、いっそアッパレとしか言いようがない。

てゐの笑い声は暫くの間、竹林に木霊し続けた。


 

永遠亭は立派な作りの日本家屋であったが、その中にある永琳の診療所は土蔵に西洋風のガラス窓を付けたような変わった作りになっていた。今日は天気が良いからであろう、軒下には毒蛙や薬草、山椒魚等が干されていた。

ここの医師である永琳は医術の腕にかけては確かなものがある事は先にも述べた。それ以外にも美人の女医である事でも有名だが、それ以外にも永琳にはちょっと気になる噂があった。

永琳には猟奇的な趣味があるのではないかと、診療所を最近訪れた者達の間で囁かれ始め、その噂はここからかなり離れた魔法の森に住んでいる魔理沙の耳にも届いていたのだ。

それでなくとも、以前からここの治療方針が少々過剰である事は知れ渡っており、治療をしてくれる場所ではあったが、少し怖い場所である。まあ、妖怪相手ならその位で丁度いいのであろうが。

てゐは重そうな木のドアを引き開けると、魔理沙とチルノを中に迎え入れてくれた。入るなり二人を迎えたのは異様な薬品の匂いとそれを煮詰める鍋の音だった。中は結構薄暗い。薬の品質に影響するからであろうか?そして、空気は意外にひんやりとしていた。

いかにも恐ろしい秘密が隠されていそうである。

数秒間、目をぱちくりさせていると、オレンジ色の弱い灯火に照らされた中の様子が薄っすらと見えてきた。窓の近くだけが日光に切り取られたように明るくなっていて、その部分が少し眩しい。

チルノは魔理沙の袖をぎゅっと掴んで離さない。

薬の瓶が沢山見える…普通だ。

包帯や鋏が置かれている棚も…普通だ。

しかし、二人の目が室内の暗さにすっかり慣れ、窓から差し込む日差しのベールの向こうに、人間の足らしきものを手にして座っている永琳の姿を認めるに至って、二人はここがヤバイ場所であることを確信した。


永琳は来客二人の姿を認めると、手を動かしながら話し始めた。

口調は丁寧で優しかったし、看護婦を思わせる着衣も、赤紺の妙な彩だが、まあ、悪くない印象だ。

「あら?今日の患者さんはそちらの妖精さんかしら?ちょっと待っててね、今、この子に配線を済ませてしまうから」

この子 と、いうのは今手にしている足であるらしい。その奥をよく見てみると、他にも配線やらゴムの管やらを繋がれた手足が壁際に何本もぶら下がっており、それらは時折ヒクヒクと動いていた。

「てゐ〜!麻酔の準備をしておいてちょうだ〜い!」

永琳はチルノの様子を一目見てどうすべきかすぐに決めたようだった。確かに腕は良いようだ。

永琳の指示で、てゐは白いカーテンで遮られた別室に行って何やら準備を始めたようだ。ガラス瓶が鳴るカチャカチャという音が聞こえ続けている。

永琳は配管と配線を終わった足を机に置くと、日光が当たる窓際に椅子を置き直してチルノ達に声をかけてきた。

「お待たせしました、何が刺さっちゃったの?」

永琳の問いかけに、チルノは躊躇している様子で一歩後ろに下がった。

「大丈夫だって、医者なんだから、安心していいぜ」

魔理沙に肩をポンと叩かれて、チルノはやっと二歩進み出て永琳に手の傷を見せた。

「あらあら、カエシの付いた針が刺さっちゃったのね?どうしてこんな事になったのかしら?」

チルノは今まで溜めてきた痛みと恐怖と状況説明を一度にしようとして…

「あのね!あのね!魔理沙がね!諏訪子の罠だと思ってたらね!きれいな玩具でね!諏訪子が蛙であたいの湖を占領しようとしてね!それを取っちゃうの!で、あたいが取り返そうとしたらね!やっぱり諏訪子の罠でね!ねえ!あたい、死んじゃうの!?どうなの!?」

説明すればするほど訳が分からなくなってきた。

仕方がないから魔理沙が補足説明をする。

「まあ、要約すれば見ての通りって事だ、何とかしてやってくれ」

永琳は小さく頷くと、カーテン越しにてゐに声をかけた。

「すぐにするから持ってきてちょうだーい!」

「は〜い〜!お師匠様〜!」

ガタガタと騒々しい音を立てながらてゐはお尻でカーテンを押しながらこちらの室内に入ってきた。両腕には一抱えもある大きな注射器を携えている。

注射器が窓の日光を受けて暗闇の中に浮きたつ。


てゐがチルノの方に恍惚の表情を浮かべながら向き直ると、針は長剣のように日光を根元から受け、流れると先端で鋭く弾けた。

チルノは何も言わずにドアの方へ走りだそうとした。目に溜めていた涙がこぼれて光る。

「ちょ!まて!抜かないで帰る気かよ!」

魔理沙が肩を掴んで止めようとすると、チルノの青い髪とスカートが重力に逆らってフワッ!と動いた!

「ヤヴァイって!チルノ!やめろ!」

ここで弾幕戦など、とんでもない事だ。

「分かったわ!注射はやめます!」

永琳が機転を利かせ、キッパリと言い切ると、チルノの髪とスカートは再び重力に引かれて下に下がった。

「代わりにこのお薬で麻酔しますからね、飴玉みたいだけど、舐めていれば、ゆっくりと効いてくるから、こっちにいらっしゃい」

注射をやめる、というフレーズと、飴玉みたいというフレーズがチルノを安心させたようだった。チルノは上目遣いに永琳を見ながらゆっくりと永琳の前まできた。

「さあ、これを口に入れてみなさい?とっても、甘〜いわよ」

優しい言葉をかけられ、チルノが薬に目を落とした一瞬のチャンスを逃さなかった。

永琳は電光の早さで上体を捻ると、鞭のようにしなった手刀がチルノの延髄を捕えた!

 

ドスッ!…

 

バタン!…

 

永琳は、ほっと溜息をつくと、てゐの方を睨みつけながらこう言う。

「てゐ!診療中は悪戯しちゃ駄目だって言ってるでしょ!」

てゐは、申し訳なさそうに後ろに隠していた小さな注射器を取り出した。

「あちゃ〜、ここの治療方針は、ほん…っと、過剰だな〜…」

魔理沙の言葉に永琳は額に手を当て、やれやれといった感じで反論する。

「そんな事ありませんって…ここいらの妖怪達ときたら本当に…今回はこの程度で済んで、かなり穏便だった方ですよ」

麻酔が効いたチルノは極めて扱いやすかった。体は軽いし、駄々もこねない。永琳はチルノを診察台に乗せると、針が刺さっている方の手の下に、堅そうな板を置き、その上から、かなり重厚な機材を覆うように被せた。骨を見るための機械だと永琳は言ったが、本当にそんなものが見えるのだろうか?

永琳が機械を操作すると、機械は小さな唸りと、いくつかの蓋を閉めるような音を立てて一旦沈黙した。永琳が堅そうな板をチルノの手の下から取り出す。

板みたいなものには半透明の薄い紙のようなものが挟み込まれていた。丁度妖精の羽に似た質感だ、骨はそれに映し出されているという。

確かに言われたとおり、手の骨の影は、白っぽく転写されていた。謎の玩具の針は、指の肉には刺さっていたが、骨には達していない事が画を見て分かる。

「へえ〜!こりゃすごいな!どうやって写し取ったんだ?骨の影なんて!」

魔理沙は興味津々な様子で骨の写っている画を、裏返したり、上下をひっくり返したりしながら見入っていた。

「これはレントゲンといって、外の世界の資料をもとに、河童の技師たちが最近再現に成功した物ですよ」

永琳の説明は具体的な装置の仕組みにまでは及ばなかったが、これを河童の技師たちが運用試験をする為に、向こうの方から永琳の診療所に持ち込み、使わせているのだと話した。

そのあと、永琳はチルノの指から針を抜きながら、気になる言葉を続けた。

「ところで妖精さんの指に刺さっているこれ…何かしら?見た事が無いけど、外の世界の物かしら?」

そうだ、その事を忘れていた。魔理沙は最初、これを香霖堂に鑑定に出そうと思っていたのだった。

「私にもこれが何だか分からないね、これを変態道具屋に鑑定に出してみようって言いかけたらチルノが猛反対して、で、取り合いになって…」

魔理沙がそこまで言うと、永琳は額に手をあてがい、呆れ果てた様子で

「取り合いになって刺さっちゃったのね?もう、子供ですかあなた達は…」

「子供はこいつだぜ」

魔理沙は後ろ手に麻酔で眠りこけているチルノを指差した。

「じゃあ、チルノちゃんが眠っている間に、これの中を見ちゃいましょうか?」

「え!?見られるの!?」

「やってみないと分からないけど、多分見えるわ」

魔理沙は永琳の提案に即賛成し、謎の玩具はレントゲンにかけられることになった。

永琳は「見られると思う」程度の発言をしたので、軽い試みなのだろうと魔理沙は思ったが、予想に反して機械の段取りを終えた永琳は、機材の前に大きくて重そうな衝立を置いた。

「てーゐー!ボイラーに石炭をくべてきてちょうだーい!」

何やら段取りが大掛かりになってきた。

「この衝立の陰から出ちゃ駄目よ!」

しかも、永琳は少々険しい表情で魔理沙に注意を促した。

ボイラーに石炭がくべられたのであろう。ボイラーの蒸気で何かの機械を回しているようだ。ヒイイイイイ―ン!という、無数の細い棒が風を裂くような、只ならぬ音が地下から響いてきた。それに連れ、衝立の向こうに有る機会がヴ・・・・・と不気味な唸りを上げた。ちょっと電撃系の攻撃魔法のタメみたいで気味が悪い。

「これを見てみなさい」

永琳が見るように促した箱は、青白い光を放つガラスの画面上に謎の玩具と見られる物の影を映しだしていた。しかし、真黒いシルエットだけで、中身がどうなっているのかはさっぱり見えない。

永琳は画面を確認すると、地下に通じているであろう伝声管の蓋を開け、大声で指示を出した。

「てーゐー!火力を目いっぱい上げてちょうだーい!」

「あいあいさー!お師匠様―!火力いっぱーい!」

海軍気取りだろうか?てゐもノリノリの様子だ。

妙な風切り音はいよいよ強さを増し、遂に怪鳥の叫び声のように部屋に充満するまでになった。画面上に映し出されている物体は音が大きくなるに従い、次第に黒い影を失って青く透き通ってゆく。

見えた。

中にはバランスウェイトらしき錘とワイアーのフレームが見える。構造はものすごく単純なものだった。

「この四角い錘みたいなものは多分鉛ね、この針金みたいなものは…外から見えている鉄線ね」

どうやら材質の見当もつくらしい。

「そのほかの部分は何だろう?」

「意外にX線が通り難かったところをみると、外から見える銀色の皮膜は銀箔か何かね、その内側は…木だと思うけど、断言はできないわ」

二人が謎の玩具を吟味する時間は、伝声管から伝わってきた破断音で突如遮られた。

 

ギイィィン!ガ!ガ!ガ!ガ!ガ!ガ!ガガガガガガガッ!!!

 

「師匠!発電機のタービンブレードがバッラバラです!!!」

「てゐ!ドレンバルブを!すぐに開放なさい!」

永琳はてゐに支持を終え、矢継ぎ早に他の伝声管を開いて、大声で誰かを呼ぶ。

「レーセン!レーセン聞こえる!?」

「どうしました?お師匠様?」

「発電機のタービンが壊れたのよ!そっちの予圧バルブを開いてちょうだい!」

「今開けると、夕食の支度に支障が出ますが?」

「それどころじゃないわ!貴方がボイルドラビットに成りたくなかったら早く!」

「分かりました!予圧バルブ開放します!」

作者注
永琳がレーセンを呼ぶ時、原作では優曇華(うどんげ)と言っています。
多分、月から逃亡してきたような設定だから偽名なのかと思いますが、色々メドイのでこの場ではレーセンにしておきます。

レントゲンの画像は既に消え、画面は真っ暗になっていた。多分止まったのだと思う。

「魔理沙!」

「へ?」

急に呼ばれたのでびっくりした。

「悪いけど、すぐにあっちのブレーカーを落としてもらえない!?」

大混乱だ。

魔理沙は言われるままに永琳が指差す方向に走って行ったが、その先は事もあろうに手足が沢山ぶら下がっている壁面だった。

「うえぇぇ…マヂかよ!気持ち悪いぜ!」

「何してるの!早く!」

魔理沙は意を決して大きな開閉機に手をかけ、目をつぶって一気に引き下ろした!

 

バツッ!

 

焦げ臭い匂いと共に壁に下げてあった手足の数々にビクッ!と衝撃が走ったかと思うと、急に暴れだした!

目茶苦茶に辺りの物をつかんだり、蹴飛ばしたり、互いの皮膚に深々と爪を立て、血を流したりし始めた!咄嗟に逃げようとした魔理沙の髪を、手の一本がガッシリと掴み、離さない!

「エーリン!エーリン!手が!手が!」

「あらやだ!この子達ったら!ごめんなさい!こっちだったわ!」

永琳が別の開閉機を落とすと、手足は急にグッタリと垂れ下がり、魔理沙の髪を掴んでいた手も、力なく垂れ下がった。

あまりの恐ろしさに、その場にへたり込んだ。

まだ心臓の鼓動が頭の中に充満し続け、耳から血を吹くんじゃないかと思うほど血圧が上がっているのが分かった。

ふと、正気に戻って俯いた顔を上げてみる。

チルノは診察台の上でまだ静かに寝息を立てていた。

何かいい夢を見ているのだろう。顔には穏やかな微笑みすら浮かべていた。

その顔を見ていると、なんだか頭にくるより先に安心して、少し笑えてきた。

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東方ルアー開発秘話(3)香霖堂

温かな春の日差しの中で居眠りをしていたと思ったが、気が付くと自分が座っている机の上に既に陽だまりは無く、それは日の傾きと共に店の奥に移動してしまっていた。

「ああ、今日もとうとう来客ゼロだったか」と思いながら昼寝で冷えはじめた体を一回ぶるっと震わせてから青と黒の作業服の襟口を直した。こう来客が少なくては、鎧のデザインを取り入れたこの商売用の作業着も、面倒なだけなのでそろそろ本当にただの作業着に変えてしまおうかとも思った。

胸に下げている大きな皮の釣り銭入れも、実際に使った事が無いからそろそろ外してしまおうと思う事もある。

いやいや、そんな事をしたらだめだ。只でさえ萎えがちな商気を奮い立たせるためにこの装束はどうしても必要なのだ。これまでやめてしまったら、本当に店を開ける気力さえも無くなってしまうかもしれない。

されどもこの道具屋香霖堂店主、森近霖之助はそれほど切羽詰まっている訳ではなかった。寿命の短い人間ならばセカセカと働いて蓄えをしなければいけないが、半分妖怪の血が入っている霖之助には無用な事であった。



忙しい時には必要なだけ食べて頑張って稼げばいいし、暇な時には今日のように居眠りでもして生命活動のレベル自体を下げてしまえば2〜3日食わなくとも別に平気だった。

本当に商売が立ち行かなくなったら状況が改善するまで冬眠でもしてしまえばいいのだ。妖怪連中には冬眠を一年の生活サイクルに組み込み、毎年冬眠する者すらいる。

霖之助はうつろな目を無理に開けて春の温もりが残る店内を、ぼーっと見回してみる。買い物客は無論居ない。買い物客でない方の常連が来てないかと思ったが、まだ来ていないようだ。

毎日来るから今日も来るだろう。そしていつも通り、何も買わずに帰るだろう。

もっとも、この香霖堂は道具屋といっても、どんな名で何に使う物かが辛うじて分かる程度の品々が並ぶ、際物(きわもの)的な古道具屋だ。開店当時から客足は遠く、時折物好きな妖怪か人間がふらりと訪れるだけだった。

人間の里と魔法の森の間という、人通り妖怪通り共に少ない立地も客足が遠い原因だとよく言われる。

そうだろう。

だが心おきなく居眠りを楽しめるこの場所も決して悪くないと思う。

午後の日が射す店内には、出所の知れた古道具や人間や妖怪との取引で仕入れた商品も、まあ、商店の体裁を整えられる程度には有る。

しかし、これらは霖之助の関心を引くような物ではなかった。どちらかというと実用品に分類されるこれらの商品は、霖之助の能力で名前と用途を探るまでもなく、また、それほど工夫しなくともいつの間にか売れているような品物だ。

霖之助が本当に扱いたい商品は店の奥の方に有る。

多くの物は名称不明、用途不明という理由で香霖堂に持ち込まれたり、霖之助が拾ってきた物だった。これらは、普通、売れない。

何故ならそういった用途も名前も分からないような品物は大抵外の世界から神隠しに遭うなどして流れ着いた物であり、幻想郷内では何の役にも立たないような物ばかりだからだ。

例えば今、机の上に有るコンピューター。外の世界では通信や事務、果ては画描きや楽曲作成にまで使える優れ物であるらしいのだが、電源が無いために何の役にも立たない。

しかし、これを探してまで買い求めにくる物好きがおり、本来なら無価値である筈のこれらに駆け引きの末に値を付け、まんまと売ってしまう時のスリルといたっら、もう、これは堪らないものがある。

こんな物を欲しがるのは大抵河童か天狗の技術者であり、彼らに対してこの機材の希少性と外の世界で果たしていた重要な役割の数々を得意げに語って聞かせ、霖之助は少々…いや、大いに楽しみながら値段交渉をするのが好きだった。

そのように大層な物でなくとも、外の世界の品は好事家(こうずか)の想像を掻き立てる物ばかりだ。

今、黄色く色付き始めた春の日に照らされて店の奥で光っているのはキックボードというものだ。



板に長い取っ手と小さな車輪が付いているだけの遊具だ。こっちでは一間(いっけん)も進まない内に車輪が石に引っ掛かるか土に埋まるかして進めなくなる程度のものだ。

しかし、それがいい。

これが何里も走れるほどの遥かなる平坦な石畳が外の世界には有るに違いない。それを思わせてくれるだけで、この役立たずの板には十分な価値があり、それを分かってくれる人にだけこれを売りたいのだ。

その上には見事な鯨の絵が掛けてある。異常とも思えるほどに細密であるが、これを描いたのは人間ではない。機械が全て印刷によって描き出したものだ。

驚く事にこれを一日に数千枚刷る事が可能だったらしい。

さらにこの一品の価値に花を添えるエピソードとして、これを外の世界で詐欺師達が印刷前の原画であると称して、高値で売り捌いていたらしいのである。

彼らの駆け引きとそれに纏わる悲喜交々の人間模様に思い致しながらこの絵を眺め、酒を一献傾けるなど、素晴らしく風流ではないだろうか?

それらの下には…小さくて気付かなかったが、掃除のときにうっかり卵型ゲーム機を落としてしまっていたようだ。これも電池切れで今は使えない。

椅子から腰を上げ、ゲーム機を拾い上げながらガラス越しに外を見た。

桜の盛りは遠に終わり、枝には一杯の萌黄色の若葉。

その中に辛うじて一輪、最後の花がぶら下がっている。

今宵はこの花一輪を大切に愛でながら酒を飲み、今年最後の花見をするのも悪くはないな…と、思い始めた頃、店の戸がバタン!と開いた。

風圧で窓ガラスがカタン!と鳴ると、今年最後の一輪は地面に落ちた。

無粋な事をする奴だな…いや、たまたま最後の桜が落ちたタイミングと戸が開かれるタイミングが被っただけかもしれない。

来客に対しては丁寧に対応しなければ。たとえそれが最後の花一輪を散らしてしまうような相手でも。

「いらっしゃいま!…なんだ、霊夢か」

「何だとは何よ、霖之助さん今日も暇してるんだろうと思って来てあげたのに」


霊夢というのは幻想郷と外の世界の境界に建つ博麗神社の巫女である。正式には博麗霊夢と名乗っている。巫女定番の紅白の衣装で普段からうろついているので否が応にも巫女である事が誰にでも分かる。

そして、買い物客でない常連の一人だ。

彼女の博麗神社も最近はあまり人が寄り付かなくなり、暇であるから来ているのであろう。人の暇を心配できるような立場か?と、思う。

「暇しているとは失礼な事言うね君も、私は今だってこうやってちゃんと、お店に出て働いています」

「働いてるったって働きようがないじゃないのよ、いつ来たってお客さんなんか居ないじゃないの」

まあ、霊夢の言うとおりであるのだが。

霊夢はいつも通りに、さも自宅に帰ってきたかの如き自然さで店の奥に有る商談に使うための座敷に上がり込み、慣れた様子で迷いなく茶筒と急須を取り出すと、自分で飲むお茶を淹れ始めた。

僕は霊夢の言葉に少しだけカチンと来ていた。お客が居ないのには慣れっこになっていたが、それにしても今月頭から客足がぱったりで、座敷はもはや霊夢専用席になりつつあったからかも知れない。

「お客が来なくってもやる事ぐらい有るさ、例えばこのコンピューター、これなんか…」

そこまで言い掛けて言葉が詰まってしまった。

これなんか…の先が思い付かない。

何しろ使用法が分からないばかりか、電源が無くて起動もできない物だったからだ。しかも霊夢に対しては、暇な時にコンピューターについて知っている蘊蓄は一通り垂れてしまっていた。別の話を即興で用意しなければ…

「ああ、それね、無縁塚によく落ちているわね?」

近所なのでよく知っている。無縁仏を弔う無縁塚と、神社は近所なのだ。霊夢は更に気になる言葉を続けた。

「今日無縁塚にね?天狗が大勢来て同じ物拾ってたわよ」

 

なんということだ!

 

彼岸花の毒気を嫌って妖怪はあそこに絶対近づかないと僕は思いこんでいたのに。しかも無縁塚は僕の重要な商品仕入れ(拾得とも言うが)場所だったのだ!

苦し紛れに何か言わずにはおれなかったが、言ったところでどうしようもない言葉が僕の口から洩れる。

「霊夢!あんた巫女でしょ?遺品を盗ってる人に注意しないとだめじゃないの!」

「そんな事言ったって、霖之助さんだって無縁塚の遺品拾ってるじゃないの」

すっかりバレている。ここに有る外の世界の物品は少なからず無縁塚で拾ってきた物であったのだ。

霊夢は話が面倒臭い方向に流れてきたと思ったのか、面倒臭そうに黒髪をかき上げながらこう続ける。デザイン上の拘りか、何故かスリット状に開いている袖の付け根から腋の下が丸見えになり、面倒臭感はこれでもかとクローズアップされていた。

「あ〜あ、そうそう、天狗たちは“新型のびすた拾ったぞー!”とか言ってはしゃいでいたわ、香霖堂で買ったら十貫文はする物だとかも言ってたわね」

これはいよいよ大変な事になった。天狗達はとうとうコンピューターの出所を掴んでしまったのだ。そうなると河童に知れ渡るのも時間の問題だ…。

いやいや、既に知られているに違いない。最近、天狗も河童もあまり店に来ていないし、来ても店の中を少し見回すだけで詰まらなそうな顔をして帰って行くだけだった。

「霖之助さんも、そろそろ拾い物ばっかりじゃなくて、外の世界の商人みたいに売れる物を作ればいいのよ」

馬鹿にするばかりかと思ったが、霊夢も唐突にまともな意見を言うので少し面喰った。

「作れったって…」

作れないわけではない。

例えば、僕が以前魔理沙に作ってやったミニ八卦炉、あれなんかは魔力をいくらか持っている者なら誰でも欲しがるような物だ。

何しろ魔力を増幅して熱エネルギーに変換できる。僅かな魔力さえあれば食事の支度から暖房、攻撃と何にでも使える。

しかし、あれは作るのに手間と時間が掛かり過ぎる割に買い手は少ない。

魔力を持つ人間はごく少数で、しかもその殆どが女だ。

普通は生死の境を彷徨うような魔法の鍛錬などせず普通に嫁に行けば食っていけるので、素質として魔力を持っている者も、普通、魔法使いになどにはならない。

僕が困っている様子を見かねてか、霊夢はさらに重ねてこう問いかけてきた。

「“ぷらいべーとぶらんど”って外の世界で流行っているらしいわよ?」

初めて聞く言葉だ。

「ぷらいべーとぶらんど…って何だい?」

商売に関しては外の世界の事も知っているつもりであったが、僕は“ぷらいべーとぶらんど”に関する知識を全く持ち合わせていなかったので訊いてみる。

(ゆかり)がね、外の服を着て来てね?それ良いわねって言ってあげたら“これはぷらいべーとぶらんどで、ゆにくろなのよ…って言っていたわ」

なるほど、結界に隙間を作って外の世界に行ける妖怪、八雲紫から得た知識か。

しかし、依然として“ぷらいべーとぶらんど”の意味は分からない。

しかも“ゆにくろ”という言葉も新しく出てきた。

「ぷらい…ゆにくろ…まだサッパリわかんないなー!」

偉そうに言った霊夢も詳しくは知らないのだろう、ちょっと困った様子で、しかも次の口調はやや高飛車だった。

「もう!じれったいわね!つまり…他所の商品をそのまま仕入れて売るんじゃなくって、売り易い商品をお店の人が考えてそれを作るのよ」

なるほど、それは一理ある。何しろ僕は物の名前と用途を探り当てる程度の能力は身に付けているが、その商品の製造原価までは分からない。

つまり、僕がお金を出して仕入れている商品が…あまり考えたくはないが、僕がしていたようにタダで拾っただけの物である可能性もあるわけだ。

それに比べて商品の企画と製造から関与できるプライベートブランドは魅力的だ。今まで言われるがままだった仕入値も交渉で調整できる、例えば仕入値を下げたければ 製造時点で廉価盤に仕様変更しさえすればいいのだ。

僕は霊夢の提案に同意し、少し高揚もした。

「いいね!そのプライベートブランド!」

「そうね、やったらいいんじゃない?でもやっぱり駄目かもしれないわよ」

人が…折角同意してやったのにこの腋出し巫女!

しかも、良いのか?駄目なのか?どっちなんだよ?

「良いのに駄目って…そりゃ、どういう事なんだい?」

「だって霖之助さん、何か売れる物作れるの?」

そりゃ…あまり自信はない。ミニ八卦炉みたいに作る事そのものがある意味技術的挑戦であり、出来た物が使用者によって高い効果を挙げ、幻想郷にその名を轟かせるような物、そんな物なら作ってみる気になるだろう。

しかし、売れる品となると話は別だ。売れる品って言うのは大抵実用品で、それは定番的な、誰もが日常的に手にするような物だ。

これは定型的な形を守って作られるべきものであり、品物的には霖之助の興味を引かないような物だ。

どちらかというとあまり手掛けたくない。今から霖之助が一念発起して心血注いで作ったとしても、里の職人が作ったそれに品質で劣る事も明らかだ。

「まあ、きっと作れるさ、僕が作るに値するような物ならね」

「作るに値するって、ずいぶん大きく出たものね?早く何か売らないと、このお店潰れちゃうわよ?」

「潰れるとはひどいなあ、僕の店は、これでもちゃんとやっていけています」

「でも、天狗と河童はもう来なくなっちゃったんでしょ?時間の問題じゃないの」

一々チクチクと痛いところを突いてくる。

「お客は天狗と河童ばかりじゃないさ、そのほかの妖怪や人間だって…」

「一日中見てるけど、最近はだれも来ていないでしょ?」

かなり旗色が悪くなってきた。

しかし、霊夢だって人の事を言えた立場じゃない。

博麗神社は、あまりにも人間と妖怪を分け隔てなく迎えるがために、客層は最近かなり妖怪に傾きつつある。そして多くの場合、妖怪はお金を持ち合わせておらず、自然に収入も少なくなる。

「僕にだって売れるような物は本当に作れます、でも折角作るんなら、それが今まで幻想郷に無かったような物で、僕にしか作れないような、そんな物を作るべきだと思うんだよ」

「そんな贅沢言ってちゃだめでしょ、でもそうかもね、幻想郷に有るようなものだったら里の職人の方がずっと巧く作るでしょうね」

わざと嫌みを言っているのだろうか?どうなんだろうか?

一々癇に障るのは、霊夢の言っている一言一言が的確に的を射ているせいかも知れなかった。

僕はこの紅白腋見せ暇人巫女に返す言葉を頭の中で探し始め、少しは神社の仕事でもしてここに入り浸っている時間を少しでも減らしてはどうかと、出来るだけ厭味ったらしくかつ、クドく助言してやろうと考えた。

 

バタン!

 

「いらっしゃいま…りさか」

「いらっしゃい魔理沙かとは何だ、苦労してやっとここまで来てやったのに」

買い物客でない方の常連の一人、魔法使いの霧雨魔理沙だ。人間の里には霧雨という屋号の老舗道具屋があり、彼女はそこの娘であった。今は訳有って縁切り状態のようになっているらしいが。

僕は長い事霧雨の家で丁稚のような修業をしていたから、魔理沙とは彼女がかなり小さかった頃からの旧知の仲だ。

「やれやれ、こいつが起きないもんだからずーっと負ぶって来て肩が凝ったぜ」

「それにしては、妙に嬉しそうじゃない?まるで妹が出来たみたいよ」

魔理沙は霊夢の言葉に少しはにかんだような表情を見せたが、背中に背負ってきた青い髪と青い服の妖精を座敷に寝かせると、霊夢がしたのと同じぐらいの自然さで、さも自宅に帰宅したかの如き迷いの無さで売り物の壺の上の埃を払うと、いつも通りそれに腰掛けた。

「あ〜あ、やっぱりここが一番落ち着くぜ」

会話の旗色がかなり悪くなっていたのでこれ幸い、僕は話し相手を魔理沙に振り替えて危機を脱しようと試みる。

「その妖精はどこの子だい?」

「ああ、こいつか、こいつは霧の湖に住んでいるチルノっていうんだ」

「もしかして氷の妖精?」

「ああ、そうだ、だからストーブを近くに置かないでくれよ?」

そう言いながら魔理沙はチルノに毛布を掛けてやっていた。これは保温のためなのか?それとも断熱のためなのか?

ともかく、春とはいえ、魔理沙はこんな冷たい妖精を背負ってきたのだから体が冷えている事だろう。少し離れた場所にだが、ストーブを置いて火を入れた。

霊夢も勝手に出してきた煎餅を齧りながら魔理沙に話を振る。

「でも珍しいわね、貴方が妖精を連れて来るなんて、何かあったの?」

「あったなんてもんじゃないぜ、これを見てくれよ」

「なにかしら?それ?」

「どれどれ、僕にも見せて…なんだこりゃ?」

魔理沙は魚の玩具みたいなものが入った半透明の小箱を出した。

色違いで5個入っているのが見える。

「魔理沙、ちょっと開けてみてもいい?」

「ああ、いいぜ、でも針には気を付けてくれよ?今日、チルノの指に針が刺さって、永琳の所で散々苦労して抜いてもらったんだぜ」

霊夢が半透明の小箱を開け、赤い色をした魚の玩具を取り出してみた。

「アクセサリーみたいだけど、鈎針みたいな物が付いてるわね?」

「箱はプラスチックみたいだけど、中身もそうかな?」

「永琳の所でレントゲンを撮ってもらったから見てくれ」

魔理沙は帽子の中に丸めていたシート状の物を取り出して僕と霊夢の前に差し出した。

魔理沙に渡されたプラスチックを薄く伸ばしたような薄青い半透明のシートには、この謎の物体の透し図みたいな物が写し出されていた。

物体の中央より少し前に四角い黒い影。

物体の中には針を装着するための針金が貫通しているのが見て取れる。レントゲン写真自体も始めて見た物だけど、この謎の物体はそれ以上に不可解な物だった。何しろ、装飾品のくせに、それを携える人を傷付けかねない鈎針を持っている。

霊夢はレントゲン写真と謎の物体を交互に見ながら、目を白黒させていた。口に食べかけの煎餅を咥えたまま。

霊夢は話し始められそうにないので、僕が代って会話の口火を切る。

「魔理沙、こりゃ、一体何なんだい?」

「よくぞ聞いてくれました、聞くも涙、語るも涙の物語だぜ」

魔理沙は、チルノがこの物体を見付けた事、取り合いになってチルノが指に怪我をした事、迷いの竹林で兎の悪戯に遭って往生した事、永遠亭での驚くべき治療実態等を得意げに語り始め………

 

日が暮れた。

 

「そこまで聞いても分かんないわね」

「何が?ちゃんと事情は全て説明したぜ」

「いや、肝心の、これは何なのか?って事はまだ話してくれてないな」

魔理沙は、再び待っていましたとばかりに得意げに顔を上げ、目をつぶって、やれやれといった仕草で掌を天井にかざすと・・・

「それを…ここに訊きに来たんじゃないか」

なるほど、それなら早く言ってくれ。

僕は謎の物体の一つを手に取ってみた。

そんなに重くはない。

手触りは堅く、質感はプラスチックに似ていた。

しかし、プラスチックほどの密度は無いようだ。

銀箔のような物が貼られている表面は魚のような色どりが施され、その上から艶やかな透明の皮膜が覆っている。

鈎針は錨状に三本の針先が有り、それぞれの針先には返しが付いていて、釣り針のようにも見える…

ぼーっと眺めていると目の焦点が(おぼろ)になり、虚ろになると周りの景色や音は意識から消え、物体に刻み込まれた記憶が見えてくる断片的なフラッシュバックだが、これでどうにか品物の名前と用途は読み取れる。

 

君は何に使われていた?

 

一瞬釣り竿の先にぶら下がっている画が見えた。

 

釣りか?ならば何故君はそんなに多くの針先を持つ?餌を付ける釣り針は一本でよくはないか?

 

餌が付けられない状態で水面に投入された画が見える。

 

餌は要らないのか?ならば君はどうやって魚をおびき寄せる?

 

この物体が水中で生きているかのように身を震わせて泳ぐ姿が見えた。

 

自らが囮となって?

 

ここまで訊き出せれば後は名前も教えてくれるだろう。

 

君の名は何と言う?

 

ルアー?ルアーというのか?そうか、分かったよ。

 

「コーリン?どうした?分かったのか?」

魔理沙の言葉で意識が引き戻された。

「ぁ…ああ、分かったよ、これはルアーと言って魚釣りに使われる物だ」

「え?本当に?そんなベタな回答とは思わなかったぜ」

魔理沙は僕の期待に反してあまり納得していない様子だった。彼女の期待していた答えではなかったのかもしれない。

「これを?釣りに?霖之助さん、鑑定中ぼーっとしてたけど、遂に呆けちゃったんじゃないの?これで魚が釣れるなんて…そこのちびっ子ならいざ知らず、これで魚がね〜」

霊夢も僕の鑑定に全く納得がいっていない様子だった。

「僕の鑑定を疑うのかい?なら、いいだろう、明日、これで魚が釣れる事を証明してあげようじゃないか!」

「いいのかよコーリン!おま、物の名前と用途が分かる程度の能力を持ってるだけで、いつも使い方分んないじゃん!」

「そ…そりゃ、そうだけど、僕には確かに読み取れたんだ、これで確かに魚が釣れる!」

「まあ、いいんじゃない?霖之助さんがそうまで言うんだから、明日は湖にでも行ってみたらいいんじゃない?ピクニックのついでにでも付き合ってあげれば」

散々な言われようだ。

これで何も釣れなかったらいよいよボロクソかもしれないが、引っ込みがつかなくなった。しかも、筋金入りのインドア派である僕は釣りの腕も多分サッパリだと思う。

 

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東方ルアー開発秘話(4)妖怪の川


作者注
「妖怪の山から流れ下る川」との表記は原作に有りますが、妖怪の川という地名は原作には有りません。

何の夢を見ていたのかは思い出せないが、意識は夢の中を漂うのをやめ、今現実に身を置いているこの布団の中に戻ってきた。霧のように薄い意識が戻ってくるまでもうしばらく布団の中にいようと思う。

昨夜の酒がまだ残っているのか、目覚めはあまり良くない。昨日は霊夢と魔理沙、そして氷の妖精にルアーが実際に魚釣りに使える物である事を証明してやると啖呵を切ったのだったか…

思い出してきた、確か氷の妖精が自分にも酒を飲ませろとクダを巻き…いや、飲んでもいないのにクダを巻くというのはおかしいか。

そうそう、氷の妖精…そうだ、チルノといった、彼女をなだめるために苦労して店の奥から酒粕の入った壺を探し出し、甘酒を飲ませてやったっけ…

そう、昨夜はルアーに関する蘊蓄を垂れる前にかなり酒が入ったから、少々話の内容が怪しかったり食い違っていたりしても何とか誤魔化せるだろう、よしよし。

しかし、僕がルアーに対して出した鑑定結果に疑いを持つ彼女らを納得させるには、大幅に話が食い違うのはまずい。正しく思い出さなければ指摘を受け、また馬鹿にされかねない。

昨夜、僕はこのルアーが確かに釣りに使える物である事を彼女らに納得させるために、鑑定時に見えたルアーに刻印されている記憶の断片を繋ぎ合わせ、それを分かり易く三人に聞かせてやったのだった。

「これは間違いなく魚釣りに使う物だよ、この三本の鈎針、これが動かぬ証拠だ」

「そしてこのルアーの凄いところは、あたかも自分で生きているかのように泳ぎ、生きた小魚の姿を演じて大きな魚をおびき寄せ、針に掛ける事が出来る!」

「そしてこのルアーの色を見てくれ、赤、青、黒、緑、白、の五種類がある、これはそれぞれの色が持つ属性を意味する物だと思う」

「赤は炎、青は水と氷、黒は黒金(くろがね)、即ち金属に代表される地底の鉱物、緑は木に代表される植物、白は空白を意味するとともに、あらゆる物の始まりを意味する色であるから万物の根源である土を意味している

「すなわち、これら五色のルアーはそれぞれ違った属性に基く能力を持つばかりか、五つ揃える事によって陰陽の五行説に則った原理により最大の力を発揮する物なんだよ!」

「この世は“木火土金水”の五行の元素から成り、また、木は春、火は夏、金が秋、水が冬、そして土がそれぞれの四季の最終月を指している事はすでにご存じかと思う」

「これはそれぞれの色が最も効力を発揮する季節と合致すると考えると、全ての謎が解けはしないだろうか!?」

「即ち、外の世界…まあ、これが外の世界の物であるとすればだが、この五つのルアーから窺い知れる事は、外の世界では陰陽の科学が想像を絶する程発達し、その原理原則を用いた高度な魔法文明が発達していると断言できる!君達!そうは思わないかね!?」

「僕が常々提唱してきた外の世界の高度な魔法文明の威力を、明日、君達にご覧にいれよう、腰を抜かすなよ?」

…調子に乗って見えなかった事まで話してしまった。

今思い返してみると、少々と言わず、相当風呂敷を広げ過ぎてしまったか?

いやいや、これぐらい言っておかねばなるまい、酒も入っていたから、多少の誤魔化しと言い逃れは可能だろう、なにしろこのルアーはおそらく幻想郷のここにしかない物だ。

僕の蘊蓄を聞いて、彼女らもそれ以上反論しなくなったから、大いに説得力はあったのかとも思える。多少、表情は呆気にとられたというか、ポカぁ〜んとした表情ではあったが。

うむ、大分頭がはっきりしてきたので、座敷の方に行ってみる。

座敷はまだカーテンが閉め切られていた。三人ともまだ寝ているのだろうか?座敷の前に出してあった食卓と椅子はそのままだった。茶碗とトックリ、幾つかの盃もそのままで、それらは窓から差し込む朝日を受けて長く影を引いていた。

朝日の射す窓辺に行ってみる。ストーブはとうに消してあったので日光の温もりは有難い。ぼーっと窓の外を見てみる。

??霊夢は既に外に出ていた。

窓を開けると、外の冷えた空気が塊となってすうっと入ってくる、まだかなり早い時間のようだ。こんなに朝早く目が覚めたのは何日ぶりだろうか?

「お早う霊夢、今日はやけに早いじゃないか!」

「あらお早う霖之助さん、でも、ここはむしろ霖之助さんの方が遅いというべきね、たまには早起きしてお店の周りを掃除した方がいいわよ」

こちらを振り向いた霊夢の手には箒が握られていた。既に落ち葉が小山のように掃き集められ、点けたばかりの火種が一筋の煙を上げ始めていた。

腋ばかり見せていると思って侮っていたが、こういうところは流石に巫女だなあと思う。長い黒髪は綺麗に梳かれ、着衣はまるで糊が効いているかのようにピシッと整えられ、その立ち姿は凛とすらしていた。

「お〜いコーリン…いつまでも窓を開けてるから寒くて目が覚めちまったぜ…」

座敷のカーテンを開けて魔理沙が出てきた。

さ・す・が・に・巫女と比べるのもどうかと思うが、魔法使いの方はそのへん…

「ははははははは…」

「起きぬけに何笑ってるんだよ、気持ち悪いな変態道具屋…」

「だって魔理沙、髪、爆発してるし!スカートが斜めにずり落ちてるし!」

「もー…どこ見てんだよ変態!」


今更感はあるが、魔理沙は一応向こうを向いてスカートを直すと、チルノを起こしにかかった。

「チルノー!さっさと起きないと変態道具屋が寝顔を見に来るぞ!」

「ヴ…う〜ん、なにそれ…キモイねぇ…」

こいつらw自分らの寝起きの悪さ棚に上げて何様だって話ですよ、まったくw

ま、起きてくれればそれでもいいか。

僕はストーブの上に薬缶を掛けて湯を沸かし始めた。朝食は軽く茶漬けでよかろう。皆、昨日の酒が残っているだろうから文句は言うまい。

あーまてまて、言いそうなのが一人いた。チルノは熱い物を食べたがらないから、先に作って冷やしておいてやらねばなるまい。

店内に茶漬けの良い香りが漂う頃になると、霊夢はすがすがしい表情で食卓に着き、魔理沙は多少うつらうつらとしながら席に着き、チルノはいかにも起き抜け感丸出しの半開けの目をこすりつつ席に着いた。

「さあ、さあ、食べて出かける準備をしてくれ、そうだ、魔理沙はお弁当作れるかな?」

「ぁ…ああ、おにぎりなら作れるぜ」

「お茶も要るわよね?八卦炉が有れば暖められるし」

「あたいは冷たいのがいいの」

よしよし、順調な滑り出しだ。

あとは…魚さえ釣れれば問題無いのだが。

以前、河童から聞いた魚の付き場に行ってみよう。

「付き場ではあるが、いつも魚が居ると保証はしない」と河童も言っていたが…まあ、あてずっぽうよりは相当マシであろう。

 


妖怪の山中、妖怪の川

寒い冬も過ぎ去り、妖怪の山に鶯が鳴く頃、川の魚は冬籠りの巣を離れ、手掴みでの漁は次第に効率の悪いものになる。

河童の河城にとりは上流部のいつもの漁場に潜ってみたが、今日、魚達はとうとう巣離れをしてしまったようで、数日前まで黒々とした魚群に満ちていた淵には少数の魚影しかなかった。

捕えようと少し追ったが、魚の足は速く、妖力で自分の姿を隠す機能を持った光学迷彩スーツも役に立たなかった。泳ぎ寄れば、春の暖かさで意識をハッキリさせている魚達の側線機能に感知され、河童の接近は容易に見破られた。

「もうだめか、下流で釣りにしたほうがいいかしら?」

にとりは、ここで獲れなくなった場合の予備のプランも持っていたから別に慌てはしなかった。ここでの潜水漁を諦め、緑色の川底を蹴って水面へと顔を上げた。

水面の揺らめきで朝日は複雑に屈折し、にとりの白い顔と薄緑色の光学迷彩服にレモン色の波模様を描きつけた。

鍍金(めっき)のように輝く水面を一気に顔で突き破ると大きく「ぷはーっ!」と息をつく。長い間潜る事は出来るが、水中で呼吸できるわけではない。

河童の…と、いうより、最近の幻想郷での流行になっている洋服も、半潜水生活を送る河童のライフスタイルには合わなかった。網まで使えるのなら洋服でもまあまあ何とかなるのだろうが、それは河童の沽券にかかわるのできない。人間レベルなら網も有りとされているが、河童が網まで持ち出すようになったらもうおしまいだといわれ、隠居すべきとされている。

早く水着の季節にならないかと思う。あれが流行れば今よりずっと泳ぎやすくなる。しかし、外の世界から幻想郷に流れ落ちて来る水着は少なく、また、それを最初に着てみようという豪の者も中々現れなかったから、暫くは洋服で我慢しなければなるまい。

無論、自分が初めの一人になるのは恥ずかしいから、ブームが来るのをひたすら待つだけだが。

にとりは平泳ぎで岸へと向かい、浅瀬で立ち上がった。頭を乾燥から守る為の深緑の帽子だけは水を含んで重かったが、水切れの良い着衣からはすぐに水が落ち、そのまま着替えの必要無く陸上で行動できる。

河鹿蛙が小鳥を思わせるような綺麗な声で鳴き始めた。今年初だ。

下流では公魚(わかさぎ)の遡上が始まっているに違いない。

にとりは川岸の大きな石の上に置いていた背嚢から小刀を取り出し、岸辺の竹の中から二間ほどの長さの物を選びだして伐り出した。

家に有った乾燥している竹竿に比べたらかなり重かったが、今日の所はこれでよかろう。少々急がなければ岩魚が釣れる時間を逃してしまう。

妖怪の山は高く聳え、その奥はどれだけ深いのかは、にとりも知らなかった。しかし、川筋は流程の殆どが渓流のようになっている事は知っていた。川沿いは岩だらけで道が険しく、歩くのには不向きだ。

川筋を離れ、天狗が木を伐り出すために作った道へと上り、急ぎ足で山を下った。

妖怪の川は山を下りきると、やがて霧の湖へと注ぐ。湖の水は夏でもあまり温かくないので鯉や鮒は少ない。その代わり公魚や鮠といった冷水を好む小魚と、それを食べて大きく育つ岩魚や山女魚が多く棲む。

公魚を食って育った湖育ちの岩魚や山女魚は一尺を超える物がざらであるが、春と秋の二回しか釣るチャンスは無い。それ以外の時期は釣り竿の届かない深場へと行ってしまうからだ。

天狗の道は手入れが行き届いていて、とても歩きやすかった。整然と植林された真っ直ぐに延びる杉や檜の間を真っ直ぐに突っ切り、かなり歩くと再び河へと合流する。運び出された丸太はここで筏に組まれ、湖まで流されるのだ。

一番早く目当ての漁場に行くには、ここから川に飛び込み流れに乗って泳ぎ下るのが良い。しかし、狙いの魚が岩魚であるので、それは止めておいた方がよかろう。警戒心の強い岩魚を一回散らしてしまうと、戻ってくるまでに時間がかかる。

川岸を歩く事にしよう。川石と叢で少々歩きにくいが仕方有るまい。

川岸の叢をかき分けかき分けして歩き続ける。

遠くで雲雀が鳴いている。

目的地はもうすぐだ。

渓谷のような川筋は歩き下るに従い幅を増していき、霧の湖が見える頃になると広々とした草原のようになってきた。

霧の湖は妖怪の山から湧き出す豊かな湧水の影響で夏でも冷たく、その割に中々冷えて凍らない。だから冬は気温と水温の差により毎朝のように霧が出る。魚の種類は多くは無いが、前記のように冷水系の魚が棲んでいる。

更に数は少ないが、岩魚や山女魚を餌にして巨大に育つ怪魚、滝太郎も棲む。滝太郎は岩魚が妖怪化したような外観をしており、その長さは七尺にも及ぶ。

この滝太郎が誰にも漁獲されずに更に百年生き続けると、本当に妖怪化し、その長さは数尋にも及ぶという。まあ、これは伝説の類なので、にとりも妖怪滝太郎を見た事は無い。

草の隙間から見える湖面の輝きを追って草を掻き分けていくと、目指す湖岸はすぐそこに有る筈だ。視界を遮っている最後の草を手でどけると、にとりの目に想定外の光景が飛び込んできた。

「誰か居る!人間!?」

にとりは人間に気付かれないように、そっと草の隙間から様子を窺う事にした。妖気の光が漏れないように細心の注意を払いながら光学迷彩服を起動する。

服は光を屈折させて背後の光景を人間側に投影して、にとりの姿は顔と手足意外見えなくなった。



 

霧の湖・外周道

チルノは長い竹竿を肩に担ぎ、意気揚々と僕達の前を歩いていた。

「湖はあたいの庭みたいなものなのよ」と言って案内を買って出たのだが、案内されるまでも無くその場所は客の河童から聞いて知っている。妖怪の川が霧の湖へと注ぐその場所だ。

湖はあまり大きくは無く、周囲は硅砂の砂浜に囲まれているので、一時もあれば一周できる。麗らかな春の日差しと僅かな風、輝く新緑に彩られた湖は、釣りのコンディションとしては良くないのだろうが、ピクニックには最適の日和と言える。

霊夢と魔理沙は、はなっからそのつもりでいたようで、彼女らの手に下げられている荷物の中には酒を入れた竹筒がちゃっかりと入っていた。

僕は持っていくつもりは無かったのだが、「必要になるぜ、絶対に」と、御座二枚と赤毛氈が追加された。お陰で背負子が重くなった。

持たせた本人は霊夢と花見の武勇伝で盛り上がっているようだ。天狗と飲み比べをして勝った時の話らしい。

「それでね?さすがにこれ以上飲ませたらマズイなーと思ったから、あんたの酒瓶、水が入ったのと入れ替えておいたのよ」

「ええ?途中から水だったのかあれ!?」

「呆れた!あんた、気付かなかったの?」

「記憶すらあいまいだから…いや、本当に気付かなかったぜ」

相変わらず無茶な宴会をやっているようだ。

「あの〜盛り上がっているところ、大変申し訳ないんだけど」

「なあに?霖之助さん?」

「せめて、あと竹竿一本ずつ持ってもらえると大変助かるのですけれども?」

「そっちはコーリンの荷物だから任せるぜ」

「あたし達はピクニックの荷物で手いっぱいなんだから頑張ってちょうだいよ」

いやいや、僕の方こそ君達の分まで色々持たされているような気がするんだが。しかも、道が下りになるまで気付かなかったが、背中でチャポンチャポン音がしている。こっちにも酒が勝手に入れられていたようだ。

まあいい、もう、目的地が見えたから。

妖怪の川下流は、天狗が水運の時に通りかかるぐらいで、普段は誰も立ち寄らないような場所だ。僕にこの場所を教えてくれた河童は、湖に棲む公魚が卵を産むために川を遡る時、それを追って大きな山女魚や岩魚が集まるのだと言っていた。

その時期がちょうど今、桜の花が終わった頃なのだという。

「さあ着いた、ここが今日の釣り場だよ」

と、言うが早いかチルノは湖岸へと降りて行き、長い竹竿をよっこらしょと振ってルアーを水面に投じた。水中のどこかに引っ掛けはしないかと心配だったが、ルアーは水に落ちた勢いで少し沈んだ後、ゆっくりと水面に浮きあがった。

「さて、あたし達も支度しましょ?」

「おい、コーリン、御座をおろしてくれ」

何をしに来たのか本来の目的をすっかり忘れた二人に御座と毛氈、重箱とトックリを渡し、僕もチルノを追って湖岸に降りてみた。

この辺りは白砂に混じって妖怪の山から流れてきた黒い川石が目立つ。透明度の高い川の水の影響か、それはかなりの深さまで視認できた。

湖水は川の流れに押されてゆっくりと流れている。その中で時折、小刀のような銀色の光が明滅していた。あれが公魚だろう、天麩羅にすると美味しい奴だ。

僕はチルノと同じようにルアーを水面に投じてそのまま待ってみた。

やがてルアーは湖の精気を吸って自ら泳ぎだすだろう。

日は高く温かい、水はあくまでも清く、小刀のように閃く小魚も沢山居る。そして、時折公魚の群れが蜘蛛の子を散らすように逃げまどうので、きっと岩魚か山女魚も居るに違いない。

しかし、ルアーは一向に泳がない。水面に鼻先を僅かに、ちょこんと出して浮いているだけだ。

人の動きが無くなると、飛び去った鳥が戻ってきた。

(はく)鶺鴒(せきれい)が砂の上をちょこまかと走り回り、小さな虫をついばんでいる。

翡翠(かわせみ)炎のように鮮やかな山吹色の腹を丸く膨らませ、の上で公魚が通るのを待つ。

公魚が通りかかると、瑠璃色に輝く羽を広げて水に飛び込み、公魚を咥えて矢のような速さで雛の待つ巣へと急いだ。

真っ白な鷺が優雅な足取りで漁場を吟味しているのも見える。

彼らは既に満足すべき成果を得た後のようで、その動きにはいずれも悠然とした余裕を湛えており、成果が上がっていないのは僕達だけである事を窺わせた。

背後では霊夢達が一杯やり始めたようだ。

話題はどうやら香霖堂の経営状態に関してらしい。

心配してくれているの?…かと思ってちょっと聞き耳を立ててみる。

「あれだな、香霖堂がつぶれたら、あたしはあそこで魔法薬の店を開きたいね、魔法の森の入口っていうのも絶好の立地じゃあないか?」

「あら、寄寓ね、あたしも同じような事を考えていたわ、でもあたしの考えているのはブティックよ、腋出し専門の」


「腋出しってwおい、需要あんのかよw」

「あら、早苗だって出してるじゃない?この夏こそ来ると思わよ?腋出しが」

「ワキが!本当にか?そんな、コアなファッション、本当に受けるかなあ?」

「あら、これ、カチンと来たわね!機能性だって優れてるのよ?涼しいし、袖が汚れたら袖だけ外して洗えるし」

「そうかwそうかwしかし、そればっかりじゃアレだから、何か他のも置いたらいいんじゃないのか?」

「それもそうね、こないだね?紫が外の世界に専門店出して儲けてるって言ってたわ、渋谷で、“ぼんてーじ”とか言ったわね、それ置いたらいいんじゃないのかしら?」

「ボンテージって!おま、そりゃ、SMか何かの衣装だぜ!」

「何なのよ?“えすえむ”って?“えすえむ”ってなんなのよ?」

「詳しくは知らないんだけどさ、ほら、叩かれて悦ぶやつ、天子が専門のアレだよ」

「あらやだ!じゃ、そっちは深夜に霖之助さんに売ってもらうわ、あたしは昼専門」

「コーリン…遂に雇われ店主に降格か!し・か・も・深夜のボンテージショップ!こりゃ傑作だ!いやいや素晴らしい!譲った!香霖堂の経営権は霊夢に譲った!思い切ってやってくれ!」

「じゃ、あたし達の華々しい門出に」

「ああ、応援するぜ、乾杯!」

こ…い…つ…ら…

この腋出し巫女と毒茸魔法使い!

魔理沙の爆笑に驚いたのか、遠くで雉が飛び立ち、高く鳴いた。

上空では雲雀が囀り(さえずり)だした。

話題はアレだが、なんだかのんびりとした休日である。

人間の里によく居る家族連れみたいだなと思う。

あそこではこの時期、鯉と鮒が釣れた。

タナゴという綺麗な魚も居たと思う。

大きな鯉や鯰が田んぼの水路に遡ってくるようになると銛で突きに行ったりもした。

そんな春の楽しみも、友人がひとり、またひとりと成長して大人になってゆくと、行き辛くなって足が遠のき、いつの間にか行かなくなってしまった。

新しく生まれてきた子供達とは何だか話が合わなかったし、成長の遅い半妖怪である自分は外見の割に歳が行っており、人間の子供らからは、いけすかない奴と思われていた節もある。

つまらない事を思い出してしまった。

僕はいつまで経っても泳ぎ始めないルアーをただ、ぼーっと眺めていた。

確かにこれは動くはずである。

どうにかすれば。

しかし、僕の能力はそこまで知る事は出来ない。正しい使い方まで探り当てる能力が有れば、店に有る不稼働のコンピューターだってきっと動かせるに違いない。

僕のこの能力は、有意義に使う気さえ有れば役に立つ。物の名前と用途を言い当てる程度の能力である事をわきまえ、それ以上の事は知恵を絞って別の努力で調べ出せばよいだけの事だ。

しかし、人間にはどうしてもその事が理解できないらしかった。

「用途が分かるのに使い方が分からないなんて馬鹿な事が有るものか」

とか

「お前は俺を騙そうと思って出鱈目を言っているんだろう」

とも言われた。

人間の里に住んでいた頃にはしょっちゅうだった、霧雨の親父さんにも言われた。

それも僕が人間の里を離れた理由の一つだ。

人間と、妖怪をはじめとする魔性の者は本当に分かりあえる事など無いのかと思った。永久に無いのではないかと思う。

ずいぶん昔、幼少の魔理沙が拾ってきたガラクタの中から、僕がL字型の鉄器を選び出して魔理沙に持たせ、「これは地下に埋まっている堅い物を探り当てるのに使う道具だ」と言って遊ばせていた時の、親父さんの驚きと恐れに満ちた表情は今でも忘れる事が出来ない。

魔理沙は地下に埋まっている土器や石器を次々と見付けだし、黒目がちな小さな目を輝かせて無邪気に遊んでいたが、親父さんはそれを強く止めた。

人間にはそうせざるを得ない事情が有るのだろう。

僕もそれ以上何も言わなかった。

またつまらない事を思い出してしまった。

ルアーが泳がないのなら、自分の知恵で動かす方法を考えてみようかと思う。

チルノはさっきから竹竿を右へ左へと動かして遊んでいる。やっぱり子供だなあと思う。彼女はひょっとしたら僕よりも年上なのかもしれないが、妖精という者は幾つになってもああいったものだと聞く。

「す〜い、す〜い、ねえ、コーリン、これ、生きてるお魚みたいだね!」

「そりゃ、そうだろう、君がそうやって引きまわしているんだから」

「そうだ!もっと流れてる所でやったら、すっごく泳ぐかもよ!?」

「あんまり遠くまで行っちゃ駄目だよ?」

「わかってるもん!あたい、天才だもん!」

チルノは楽しそうだった。つまらなそうにしているよりは相当マシだ。いや、むしろいい。

チルノは上流へ向かっていくらか移動し、流れによって水が白く泡立っている辺りで再び糸を垂れた。

「見て見てコーリーン!ここ、すっごく泳ぐよ!超頑張ってる!」

そりゃ、そうだろう、流れに揉まれていれば多少左右に動いて泳いだように見えるだろう。

やれやれ、天才妖精がルアーを岩の間に引っ掛けてしまわないように見守ってやるとするか。

僕が腰を上げ、チルノの方に行こうとした瞬間!

 

ドボーン!

 

チルノが糸を垂れているその場所で大きな水柱が上がり、その中に閃く大きな岩魚の尻尾が見えた。二尺近くある奴だろう。

しばし、チルノと茫然とした表情で互いを見つめあう。

「コーリン!今ね!大きな魚が釣れそうになったの!」

こうしちゃいられん、急いでチルノの所に行ってみる。

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東方ルアー開発秘話(5)河童

 

チルノは思いつきで移動しただけだった。しかも、岩魚を釣ってやろうという目論見は無く、単にルアーを泳がせて遊ぼうとしていただけだ。

しかし、その無作為の行為に岩魚が反応し、もうすぐで釣れそうになった。しかも二尺は有りそうな大物である。

この事態を全く予測して居なかった僕とチルノは茫然としてその場で見つめあった。

「すごいじゃん!チルノ!どうやったの?」

「しいっ!まだそこに居るのよ、あそことあそこ」

チルノの指さす流れの方を凝視するが、白泡と水面のぎらつきで僕にはさっぱり魚影を見付ける事は出来なかった。

「ほらほら、あの白いところ、泡が切れてるちょっと前に居るのよ」

「本当?僕には見えないなあ、ちょっと、またやってみてよ」

突然の大岩魚の出現にチルノは大騒ぎするかと思ったが、意外に落ち着いている。勝負慣れしているからだろうか?ちょっと頼もしくすら見える。

あの青い目も水面の反射や泡を透き通し、その下を泳ぐ魚影を見付けられるようだ。

チルノは竹竿を振った。

チビなので、よっこらしょという感じである。

しかし、その目は自信に満ちていた。

ルアーは空に青い弧を描き、水面に落ちた。

ルアーは白泡の下へと潜る。

自分で潜っている?

チルノの魔力がルアーを動かしているのか?

ルアーは振り込まれた位置から糸に引かれて弧を描くように手前に流れてくる。

泳いでいる?

ルアーは確かに左右に身をくねらせて泳いでいる。

これならイケる!

チルノは神妙な面持ちで再び竿を振った。今度は先ほどより少し上流に。

短い腕を一杯に伸ばして竿を持ち、ルアーが出来るだけ長い時間泳げるように角度を調整している。

身をくねらせて泳ぐルアーが白泡の下へと入る。どうもチルノが魔力でルアーを動かしている様子は見られない。

魔力や妖力で物を動かすという事は、重力や慣性に逆らうほどの力が必要だからか、多くの場合髪の毛が逆立つとか、光が出るとかの外見上の変化を伴うものだ。

チルノは二歩ほど上流へ移動して再び白く泡立つ筋の向こう側へルアーを投入した。どうやらルアーの口の辺りに付いている透明な板が水の抵抗を受け、その反作用でルアーは潜水したり身をくねらせる動作をしているように見える。

これなら僕にもできそうだ。

ルアーはヒスイ色の流れを横切り、白泡の筋の下へと潜っていった。僕は糸の動きを見守った。

先ほど、チルノが魚が居ると言った場所へ糸が差し掛かった。

糸が止まる。

流れに逆らって糸は少し上流へ動いた。

「掛かったよ!」

まさかとは思ったが、本当に釣れている!チルノが支えている二間程もある竹竿は真ん中辺りから大きくしなり、糸は深々と水中に突き刺さっていた。

糸の先には確かに、一尺ぐらいの魚が掛かっているらしく、閃く銀鱗は水面からも確認できる。

糸は大した強度が有るわけじゃあない、いつまでも引っ張り合いをしていたら切られてしまう恐れもある。

「チルノ!切られないように気を付けて少しずつ後ろに下がって!」

「わかったよ!」

チルノは高揚しているようだが、慌ててはいなかった。糸の張力を探りながら、そろりそろりと後退し、遂に岩魚を川岸に引きずりあげた。

「やったよコーリン!」

「すごいじゃないのチルノ!」

川岸で暴れている魚を取り押さえると、確かにルアーの腹側の針が魚の上顎に掛かっていた。ルアーの針を外し、(えら)に紐を通してぶら下げてみる。

灰緑色の背中に白い水玉模様が散り、背鰭と尾鰭の間には鮭科魚類の特徴である脂鰭が付いている。口の中には獲物を捕えるための細かい歯が並んでいる。間違い無い、ルアーは狙い通り、確かに岩魚を仕留めてきたのだ。

僕達の背後から不意に声が掛けられた。

「やったじゃないかチルノ、流石、私が見込んだだけの事はある」

「ねえ、どうやって釣ったのか教えてよ」

霊夢と魔理沙もチルノが岩魚を釣りあげるのを見たのか、今まで一度も触ろうともしなかった竹竿を担いできた。

「君達、この場面でやっと川に降りてきたっていう事は、僕の鑑定を信じていなかったんだね?」

「そんな事全然ないわよ?これで釣れるだろうと思ったけど、まだ釣れないと思ったのよ」

「ちょっと霊夢、釣れると思ったのか、思わなかったのか、どっちなの?」

「そりゃ、霖之助さん、使い方知らないじゃない、天狗か河童が通りかかったら訊いてみようと思っていたのよ」

「あたいが使い方見付けたのよ!」

「そうか、チルノは賢いな」

「あたい、天才だもん!」

少し…引っ掛かる部分は有ったが…まあいい。これでこの品物の名前、用途、そして使い方が判明し、これは晴れて幻想郷の道具としての輝かしい一歩を踏み出したわけだ。

釣り方はこうだ、僕達は魚の居場所がよく分からない。そこでチルノに“あそこと、あそこ”といった感じに場所を教えてもらう。

魚を驚かせないように気を付けてソーッと近づき、チルノの指し示した場所にルアーを落とす。

ルアーは水流を透明な抵抗板に受け、自分で潜ってゆき、扇状の軌跡を描いて岸の方まで泳いでくる。

そのような方法で何度か流すと、チルノの指定した場所では大抵岩魚の反応が有った。失敗して魚に気付かれると「あ、気付かれちゃった」とチルノが教えてくれるから時間も無駄にならず極めて効率がよい。

霊夢と魔理沙はチルノに任せておけばよかろう。彼女らの釣る様子を見て大体手順は掴めた。

岩魚は淵みたいなちょっと深くなった場所にいるが、餌を食う場所は流れの作用で白く泡立っている筋のようだ。そこへソーッと近づき、ルアーを通せばよい。

僕は彼女らから少し離れ、自分で釣れそうな場所を探してみた。

ちょっとした深みに流れがぶつかって、白泡が立っているようなところ…

あった。大石に流れが当たって泡立つ淵頭、あそこがよかろう。

「おーい、霖之助―!こっちでやんないのかー?」

魔理沙が訊いてきた。

「きゃは!釣れた!初めてなのに釣れちゃった!」


霊夢にも釣れたようだ。

僕はとりあえず

「こっちには大きいのが居るんだよー!」

と、適当に答えておいた。

無論、大物の件は、単なるカンである。

自信たっぷりに移動してみたものの…僕の選んだ場所で魚の反応は無かった。春の日射しはいよいよ勢いを増して川面を照らす。向こうの方で上がる歓声は少しづつ少なくなり、やがて静かになってしまった。

釣れる地合いを逃してしまったのだろうか?

僕が手本を見せて釣るつもりであった所をチルノにお株を持って行かれてしまったので少々意地になっていたのかもしれない。

自分で見つけた穴場で大物を釣り上げ、いいところを見せてやろうとも思っていたのだろう。

引き込まれる事の無い竿先は、ルアーの発する振動で小刻みに震えていた。

その先をメジロの群れが行列を作って通り過ぎて行く。

(かわ)(がらす)濃茶の羽に日光を反射させながら上流へと急ぐ。

蜻蛉(かげろう)が一匹、竿先で羽を休めようとして振動に驚き逃げた。

気が付くと、蜻蛉が萌黄色の羽を輝かせながらひっきりなしに川上へ向かって次から次へと飛んで行くのが見える。川面はいつしか、蜻蛉の大移動の道筋になっていた。

時々ヘマをやらかして水面に落ちる奴がいるらしい。目敏い魚が水面に波紋を広げて、それを水中にさらって行った。

!?!?

竿が重い。

上げようと力を込めると向こうからも引っ張り返してきた。

釣れてる?

僕は糸が切れないように用心して少しずつ後ろに下がってみた。

付いてる?確かに魚が付いている!

あまり大きくはなかった。

最初に見た二尺級の岩魚を期待してここに移動したのだが、贅沢を言うものではない。

上がってきた魚は岩魚とは少し違った。岩魚よりも短く、深緑色の背中にはゴマ粒ほどの黒い点が散在している、腹には紫色をした小判型の模様が一列、整然と並んでいた。その模様を貫くように鰓から尾びれの付け根にかけて淡い桃色の線が入っている。

これが山女魚(やまめ)に違いない。

名前の通り色っぽい魚だ、名付けた人物のセンスに少し関心する。

霊夢達の所に戻ってみよう。もうすぐ昼食の時間だ。

川下に向って歩いてみたが、人影は無い。三人とも御座を敷いた所まで戻っているようだ、歩きづらい川岸を避け、小高くなった川砂の上を菜の花を掻き分けながら歩く。

行く手に煙が一筋上がっているのが見えた。もう魚を焼き始めているようだ。

行ってみると流木を集めた焚火の周りに竹串に刺された岩魚が何本も並んでいた。三人とも重箱を開けて既に昼食を始めている。

「あら、霖之助さん遅かったじゃないの、そっちはどうだったの?」

「一匹だけだった」

山女魚をぶら下げてみせる。

「その魚だけ模様が違うなぁ、コーリンは釣ってくる魚までキワモノ狙いなんだな」

「あたいもいっぱい釣ったのよ」

チルノの指さす方を見ると、紐に繋いだ状態で冷水に付けられた岩魚が見えた、十匹ぐらいあるだろうか。

彼女らの方が多くの魚を釣ったようであるが、とにかく鑑定の正しさが証明され、これが道具として使える目途も付いたので一安心。安らかな気分で昼食の席に付けるのは何より有難い事だ。

 



妖怪の川下流に人間の姿を発見したにとりは、光学迷彩服を起動すると、人間達の様子をそっと窺った。

どうやら釣りを始める気らしい、河童の間でも一部の者しか知らないこの穴場に来るとは…
まあ、穴場というのは河童にとっての事だけなのかもしれない。

恥ずかしがりやで人間に見られるとすぐに隠れてしまうような性分を持つ河童の事であるから、人里に比較的近いこの場所が、秘密のためというより、むしろ立ち寄り難いがために穴場となっている可能性もある。

人間は三人、それと妖精が一人。

人間二人は御座と絨毯を敷き、何かを飲み始めた。あの人間二人は以前妖怪の山へ乗り込んできた事がある。巫女の方が霊夢で、魔法使いの方が魔理沙といった。

釣りをしている人間と妖精は知らない者たちだ。

人間達は釣りの腕の方はサッパリのようだ。長い時間何も釣れていない。しかも、最初に付けた餌を換えることもせず、いつまでも糸を垂れたままだ。

暫くして妖精は釣りに飽きたのか、早くも竿を左右に動かして遊び始めた。

「釣れないのだから、早く諦めて移動してくれないかなあ」

妖精と人間がいるお陰で釣り場が塞がっている訳ではない。河童の腕を持ってすれば、彼らの横に居ても自分だけ魚を掛ける事が出来るだろう。単に気恥かしくて出られないだけなのだ。

妖精が竿を上げた。

糸の先に付いているのは公魚か鮠であると思うのだが…明らかに色が違う。

なんというか、青い?

「って、いくらなんでも青すぎやしない!?」

それは川魚の青さどころではなく、翡翠(かわせみ)の羽ほどの鮮やかさで、これでもかと青く輝いている。あんな小魚は見た事が無い。

「気になる、あのちびっ子、どんな魚を餌にしているのか、すっごく気になる」

人間も竿を上げた。

!?!?白い!?!?

クリーム色?

あれは、果たして魚なのだろうか?俄かに怪しくなってきた。

人間が作った新種の毛鉤で有る可能性もある。

気になる。

ものすごく気になる。

にとりは、叢を掻き分けて少しづつ人間の方へ近づいてみた。

バタタタタタ!

「オヴッ!…お…おどかすな…雉かよ…」

にとりの動きに驚いて雉が飛び立った。しかし、タイミング良く魔法使いが高笑いしたので、人間達はそのせいで雉が飛び立ったと思ったようだ。セーフ、セーフ。

妖精が動いた。

少し流れが強い上流の方へ移動する。

適当に投げるのだろうと思ったが、妖精は一番有望な場所に迷わず仕掛けを投入した。

「あいつ、もしかして相当デキる奴なのかも?」

妖精の竿の下で大きな水しぶきが起こった!…岩魚だ、しかも大きい!二尺は有りそうだ。

妖精が魚を釣りそうになったのに気付いて、下流で釣っていた人間も上流へ移動した。

もう一回やってみるらしい、妖精が竿を振る。

一回…二回…三回目で妖精の竿がしなった。あまり慣れていない様子で一尺ほどの岩魚を川岸に上げた。

人間が針を外している、餌を付け替えるか?…付け替えない。

そのままだ、しかも、青い餌は全く痛んでいる様子は無い。

気になる。

魚獲りにかけては右に出る者無しと言われる河童も知らない新種の毛鉤、それを人間が開発したようだ。

ものすごく気になる。

気になって足は自然と前へ出る。

御座を敷いて飲んだくれていた人間達も竿を担いで妖精の所へやってきた。彼女らも釣るらしい。

妖精が指し示す場所へ魔法使いが仕掛けを投入した。一回…二回…三回…四…来た!釣れている!

最初から釣っていた背の高い人間は場所を譲る為か上流へ移動した。

次は巫女に妖精が魚の居場所を教えている。一回…あ、巫女が上流に立ち過ぎて魚が散ったようだ。少し上流へ移動して再び妖精の指示で竿を振る。

一回…あ、もう掛かった。巫女は七寸ほどの岩魚を抜き上げてはしゃいでいる。

巫女と魔法使い、妖精の三人は、何匹かずつ岩魚を釣り上げた所で御座の位置に引き上げていった。昼食にするのだろう。

暫くして上流へ行っていた人間が戻ってきた。一尺近い山女魚をぶら下げている。岩魚に比べれば小さいが、山女魚としては大きい方だ。

ここまでの間、誰として一回も餌を付け替えなかった。しかも、どの餌も全く痛んでいる様子が見られない。

 

見たこともない魚の形をした毛鉤

 

人間が開発したのだろう

 

新しく、とても珍しい

 

しかも色が綺麗で、ちょっと粋な感じもする

 

超絶気になる。

 

小高くなった川岸では人間達が魚を焼いている

 

良い香りが漂ってきた

 

しかも、彼らは酒を持っているようだ

 

岩魚の塩焼きを食い、その骨を酒に漬けてお燗にしたら、素晴らしい風味の骨酒になるだろう

 

しかも朝からずっと何も食べていない

 

あらゆる意味で全面的に気になると言わざるを得ない!

 

「あら?にとりじゃないの?どうしたの隠れたりして?顔、まるみえよ?」

「あはは!言うの早いって!もうちょい弄って楽しめたぜ!」

巫女と魔法使いに気付かれた!?

「ふ〜む、河童の光学迷彩を見たのは僕も初めてだが、顔と手足は隠せないんだね」

「河童もお魚食べるー?」

知らない人間と妖精にも!

「…って言うか、あたし、ここに居たのバレバレ?…」

にとりは前に出てき過ぎて霖之助達のすぐ傍まで来てしまっていた。

しかも…(よだれ)垂らした顔見られた!

「へぇ〜、河童も顔赤くなるんだ、折角だからにとりもこっち来て飲もうぜ!」

逃げるタイミングを完全に逸して決まったにとりは、赤毛氈の上に、顔を赤らめながらちょこんと正座した。


 

酒を飲んで、塩焼きを食べてりラックッスしたのか、河童は打ち解けると割と話しやすい相手だった。店に来る河童と商売上の話しをする事はあるが、彼らは必要な話だけするとすぐに帰ってしまい、世間話や雑談をした事は無い。てっきりそういう話はしないものだと思っていた。

「あー、河童と言えば胡瓜(きゅうり)だと思われてるけどね、普通は夏しか食べないの、ガラスの温室で作ったのはね、値段が高いし味も薄いのよヒヒヒッ」

などと早速盛り上がっている。最初の様子から逃げ帰ってしまうのかと思ったが、魔理沙が上手く引き止めてくれたので興味深い話を聞く事が出来た。

魔理沙は気さくというか、誰に対しても一切物怖じしない性格のおかげでか、気難しい妖怪や魔法使い達にも妙な人気がある。

最初からそうだった気もするし、一人暮らしを続けてるうちに会得した処世術なのかもしれないと考えると、そうとも思える。多分、両方なのだろう。

「ところでこのね?魚の形した毛鉤?みたいなの、これ、人間の里で作ってるの?」

にとりが気になる事を聞いてきた。

「いいや、僕もこれを昨日初めて目にするまでは、見たことも聞いたことも無い物だった、ルアーというんだけど、どうやらこれは河童や天狗の道具でもないようだね?」

僕はこれが外の世界から流れてきた物であると密かに確信していたが、一応妖怪の物でないのかも確かめておきたかった。

「うーん、人間の里にも無い…妖怪の山でも見ない…こりゃ、外の世界の漁具みたいだね?」

「僕もそう思っていたところだよ」

よしよし、間違ってない間違ってない!

「ところでさあ…」

「なんだい?にとり?」

「あのね…」

「どうした?コーリンに告白か?」

「やめときなさいよ、霖之助さんのお店、閑古鳥よ?」

肝心の所で毒毒魔法使いと腋見せ巫女が邪魔に入った。どうやら打ち解けてはきたが、河童の性分からか、まだお願いや提案まではし辛い様子だ。話を引きもどそう。

「ちょっと君達、にとりさんが折角何か提案しようとしているんだから、話を遮らない!」

にとりは暫くもじもじと躊躇った後、意を決したのか、か細い声でこう言った

「これ…作れないかな?」

「え!?」

作れないか?…そうだ!それは思いつかなかった!今までこれの使い方に気を砕くばかりで、これと同じ物が作れないかまでは考えてもみなかった!

にとりは重い口を開いた勢いで堰を切ったように話を続けた。

「ねえ!これ作ったら売れると思うよ!あなた、お店やってるんでしょ?これ、作れるようになったら売ってくれないかな?」

「あら、良い考えなんじゃない?ほら、香霖堂のプライベートブランドにすればいいのよ」

あった!そう言えばその話もあった!これを河童と共同開発し、香霖堂で売ればいいんだ!これは幻想郷に無かったものだし、効力も確かなものだ、これは高い注目度を期待できる!

「決まりだな、よし、作り方を調べてみようぜ!」

…そうだ、盛り上がりはしたものの、どうやって作るのかは皆目見当もつかない。外見から分かるのは鋼鉄の釣り針とそれを繋ぐ針金、そして銀箔らしい表装。ペンキらしい絵具で彩色されている事は窺い知れるが、全体を覆っている透明の皮膜は何だか分からない。

漆はここまでの透明度は無い。透明なラッカーペイントに近い感じはするが、あれはこんなに硬くなりはしない。

「調べると言っても…どこで?」

僕には心当たりは無かった。

「ほら、紅魔館、あそこには大きな図書館が有るぜ!」

「でも、そこに資料が有るにしても、見せてくれるかなあ?」

紅魔館は吸血鬼姉妹とその従者が住む洋館だ。場所は霧の湖の真ん中辺り、住人が向こうから香霖堂へ買い物に来る事はあるが、こちらから出向いた事は一度もない。

「チルノは霧の湖に住んでるんだろ?湖の島に有る紅魔館に知り合い居ないのか?」

岩魚の串焼きに顔をうずめていたチルノは魔理沙から急に話を振られた為か、キョトンとしてこう答える。

「こうまかん?なにそれ?」

「ほら、湖の小島に有るだろ?洋館」

「ようかん?湖には無いよ?」

「ほら、湖の真ん中辺りに有ったぜ、良く思い出してみろよ」

「フランちゃんの家?」

「そう、それ!」

「あそこ、羊羹っていうよりは、ケーキだよ?おやつ」

「ちょwおまw羊羹じゃなくって、洋館の話してるんだってw」

「ようかん?…ようかん?…同じでしょ!」

違うってwwww僕も心の中で激しく突っ込みを入れた。霊夢とにとりは呆気にとられて固まっている。

まあ、とにかく、チルノの人脈を利用すれば紅魔館の図書を閲覧出来そうだ、なにしろ紅魔館のティータイムに出るのが羊羹でなく、ケーキである事を知っているほどの人物だ。

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東方ルアー開発秘話(6)紅魔館
-前篇

霧の湖には島が一つあった。湖のほぼ真ん中にである。

その存在はこの湖がカルデラ湖であり、休火山の噴火口である可能性を窺わせるが、本当にそうなのかは誰も知らない。

島にはちょっとした出城と言えるほどの大きさを持つ洋館が赤々と聳えており、その外観からその館は誰言うともなく紅魔館と呼ばれていた。

紅魔館の主、レミリア スカーレットは、霧の湖を望む自室で椅子の背もたれに深々と身を預けながら紅茶の入ったカップを口に運ぶ。浮かない表情であるのは、この紅茶がまずい事も原因の一つではある。

淹れ過ぎの紅茶は渋く、純白のティーカップに注がれて尚、血のような深い赤さを湛えていた。

ミスでこうなったのではない。寝起きの一杯をこのようにしてくれとメイド長に依頼したのは、他でもないこの吸血鬼、レミリアスカーレット自身だった。

重い気分を少しでも動かしたくなり、レミリアは椅子から立ち上がって翼を広げて思いっきり伸びをしてみた。

蝙蝠(こうもり)を思わせる骨張った黒い翼は月光を透き通し、中に通ってる血管を赤く浮き上がらせ


「ちょっと、そこのあなた」

レミリアの背後、自室の扉に控えていたメイド姿の妖精に話しかける。

レミリアの言葉に、妖精はビクッと少し驚いてかしこまった。

レミリアは妖精の方を振り向きもせず言葉を続ける。

「メイド長にここへ来るよう伝えなさい」

妖精は眼を一杯に見開いてレミリアの言いつけを一言一句漏らさぬよう細心の注意を持って訊き届けた後、深く一礼してから慌てて室外へと出た。慌てて飛ぶと、光の航跡が残るのでそれと分かる。

このような態度で館の従者達に接するのは、正直あまり気分の良い事ではなかった。しかし、吸血鬼がそれ以外の種族の者に甘い顔を見せるわけにはいかない。

たとえ館に仕える妖精たちに対してでも弱みを握られるのはまずい事だ。それはやがて人間達の知る事となり、万一人間に「吸血鬼に対して勝算あり」との認識を持たれたら、また面倒な吸血鬼狩りと戦わなければならなくなる。

人間は、殺しても殺しても隙を見せれば飽きる事無く何度でも襲ってくる。それはきっと、人間の寿命が吸血鬼のそれと比して極端に短いからなのだろう。

あまりに面倒になって以前住んでいた館の周囲の集落を全滅させた事もあった。

しかし人間は、血が染み付き骨が埋まっているその跡地に、すぐに戻ってきて何事も無かったかのように生活をはじめ、災厄が起きる前の数まですぐに増えた。

人間の儚い命を憐れんだ事もあったが、その儚さこそが人間の強みであるのだろう。仲間が惨たらしく殺された記憶も、その儚い命と共にすぐに滅び、新しく生まれてきては同じことを何度でも無限に繰り返す。

レミリアが外の世界で暮らす事を諦め、幻想郷に来た理由もそれだった。いつまでも戦争を繰り返していれば、やがて人間は吸血鬼との戦いに慣れ、やがて吸血鬼という種族を滅ぼしてしまう日が来るだろう。

いかに強い力を持つ吸血鬼といえども、無限の戦いに耐える事は出来ない。そして、吸血鬼は人間のように増える事は出来ない、偶然生まれて来るのを待つしかないのだ。

偶然生まれてきた吸血鬼は、幸運が重なって吸血鬼であることがばれずに人間の子として成長できなければ、人間に殺されてしまう。人間には吸血鬼を排除する習性が有るのだろう。

レミリアは、ばれて殺される寸前に逃げ出すことに成功した数少ない吸血鬼の生き残り。妹のフランドールを連れて人間の両親のもとを去ってから500年は経っているだろうか?

扉がノックされた。

「入りなさい」

赤いチーク材の扉が開かれ、若いメイドが入ってきた。仕事の邪魔にならぬよう艶やかな銀髪をきれいに編み、服は飾り気のない普通の仕事着であった。

一見して彼女がメイド長である事が分からないような簡素な出で立ちをしている理由は、単に家の仕事のためだけではない。

見る目の有る者が見れば分かるが、女らしからぬ堅い動きをし、常に死角が最小となる立ち位置を選ぶ習慣から、彼女がこの館の用心棒を兼ねている事がうかがえる。


レミリアは円卓の上に置かれた濃すぎる紅茶を見下ろしている。月光は薄闇の中にレミリアの白桃色のドレスを強く浮き立たせているが、それでも尚、彼女の体は小さく見えた。円卓の高さは彼女の背丈の半分も有る、錯覚でなしに本当に小さいのだ。

「いかがなさいましたかお嬢様?」

「咲夜、紅茶が渋くてよ?」

メイド長十六夜(いざよい)咲夜は、目を閉じて少しだけ考えた後、こう答えた。

「お嬢様がお望みの物を出して差し上げたいのは山々なのですが…これ以上血を抜くと立ち上がって仕事をする事が出来なくなります」

レミリアは予想通りの答えに溜息をつき、咲夜の方に正対し伏し目がちに答える。

「そうだったわね…気にしないでちょうだい、栄養不足で私も気が立っているようだわ」

メイド長はさすがに主人とのやり取りに慣れているようだった、レミリアの方も慣れ合い関係になる事を防ぐ意味で小言を言ったにすぎない。お互い十分に分かり合ったうえでの事なのだ。

「ああ…人間が来ないかしら?…誰か、血を沢山抜いても死ななそうな体の大きい人がいいわ」

「美鈴もそろそろ限界ですし…」

「私はまだ我慢できるのだけれども、あの子はもう駄目かも知れないわ」

「フランドールお嬢様は今のところ落ち着いておられますが…」

「限界を超えるのは時間の問題ね…」

二人は月を見上げて良案が無いかと考えたが、何も思い付かなかった。深い藍色に染まる空に煌々と輝く月の光は、ただ紅魔館を優しく照らし続けるだけだった。

 

その夜、霧の湖の舟上

月の光は良いものだ。昼間の日光は勿論良いものだが、それを24時間続けるのは無粋というものだろう。強力に照りつけて地上を温めてくれる太陽も、然るべき時に身を引いて月に場を譲る事によって、はじめて人々に感謝の目で見られるものなのだろう。

昼の間、日光を浴びて活き活きと働いた人々の疲れを、夜に月の光が優しく癒してくれる。世の中はこのように陰と陽の織りなす絶妙の釣りあいによって安定を保っているのだろう。

太陽がいつまでも出ていては、人々は休む事もままならず、へたばってしまうだろう。

月がいつまでも出しゃばって太陽に場を譲らなければ、人々はいつまでたっても働く気力を起こさず、地上は冷え切ってしまう事だろう。

月と太陽は陰陽を象徴するとともに、父と母の存在をも象徴しているのかもしれない。

僕は夜の闇の中、小舟で霧の湖を進んでいた。舟を漕ぐのは河童のにとりだ。


夜の湖を小舟で流すのは一見呑気な舟遊びにも見えるが、少々危険を伴う行為だ。夜になれば強い妖怪に出くわす確率は昼間よりずっと高くなるばかりか、月の満ち欠け次第では、普段おとなしい妖怪が突如として凶暴化する事もある。

遠くに見える妖怪の山は月の光を受けて青く聳えている、晴れているのに星があまり見えないのは満月の光があまりにも強いからであろう。

その光は遠くの雲を白く浮かび上がらせ、湖面を強く照らしていた。

時折風が吹くと湖面にさざ波が立ち、その上に映り込んでいる月が金砂をばら撒いた様に形をくずした。

霊夢は「燻製を作らなくちゃ」

と言って来てくれなかった。

魔理沙は「今夜は客人が来るから行けない」

と言って、やっぱり来てくれなかった。

チルノは「あたい、先に行ってるから!」

と、言い残して止める間もなく飛んで行ってしまった。

にとりさんは…来てくれるかなーと、一応聞いてみたら

「舟で送るだけならいいよ」

と、言ってくれた。

家を出て舟を出し、湖へ漕ぎだしてからここまで会話らしい会話は無い。

しかし、別に険悪なわけではない。

河童は話し下手なものだし、こちらから必要な事を問いかければ快く答えてくれる。向こうが何か話しかけてきたら必要と思えるだけ応えてあげればよい、無駄な言葉を無理に継ぐ事は却って迷惑なのだ。

人間の里には常にべらべらと会話とも言えないような社交辞令と売り文句を並べただけの虚しい話をしたがるものが多かったが、僕は彼らと一度たりとも分かり合えた事が無い。

彼らはいつだって自分の意志と目的を隠して人と話し、常に漁夫の利を狙っているような輩だ。あんな者達とは何時間語り合おうが一秒も会話をしたとは言えない。

それに比べれば、にとりの沈黙は分かり合えているだけに心地よく、優しくさえ思えた。心も意味も持たない言葉を、弾幕のように放ち続ける無神経な連中とは大違いだ。

月光に輝く湖面を舟は滑るように進む。にとりが漕ぐ()が音を立てるだけで言葉は無い。

青い闇に黒いシルエットとして在った紅魔館は、近づくに連れその赤い色を表し、桟橋が目視できる辺りまで来ると、それは血塗られたようで気味が悪かった。

「怖がる事は無い、住人はちょくちょく店に来ているじゃないか…」

そう自分の心に言い聞かせて、僕はようやく桟橋に足を掛ける事が出来た。

 

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東方ルアー開発秘話(7)紅魔館-後篇

紅魔館の地下

フランドールスカーレットは苛立っていた。

最近、食事の味付けが薄くなっているせいだと気付いたのは一昨日ぐらいからだろうか?

地下室の自室に運ばれてきた物足りない食事を終えると、フランドールは食器を鉄の扉の小窓から外へ押し出した。

目の高さに有る監視用のスリットに口を近づけ、食器を片付けるよう外へ向かって声をかける。

「咲夜―!食べ終わったから片付けてちょうだーい!」

妖精が飛び立つ音がした、もうすぐ咲夜は来るだろう。

フランドールは敢えて返さなかったナイフを口に咥え、せめてその、鉄の味で血の代わりが出来ないかと試みた。

しかし、その代償行為は却って血の味を思い出させ、フランドールの心を掻き乱すばかりだった。

ピンク色の寝巻兼部屋着の裾を意味も無く一杯に引っ張ってみる。

絹のように輝く金髪を数本抜いて、指でつまんで吐息にたなびかせてみる。

七色に輝く水晶のような羽が並んだ翼を羽ばたかせてランプの灯を揺らしてみる。

何をやっても気は紛れず、赤い瞳を目いっぱい見開いて光採りの天窓から満月を仰ぐ。


「外に出られたら…人間の血…吸えるのにね…」

ドアがノックされた。

「フランドールお嬢様、お客様がお見えです」

「誰―?人間―?」

「いえ、チルノさんです」

「すぐに通してちょうだい!」

フランドールは扉が開くのを待った。

チャンスは一瞬しかない。

ドアノブに掛かっているであろう咲夜の手首に爪を立て、引き込んで噛みつく動作を二回ほど練習してみた。

 

紅魔館門前

紅魔館にはちゃんとした門番が居た。背が高く、緑色のチャイナドレスのような服を着て出てきたその女は、ソフトな外見に似合わぬきつい忠告をいきなり僕にしてくれた。


「入るのは良いけど、ここが誰のお屋敷かご存じでしょうね?中に入ってそれっきり出てこない人も…稀にではありますが、居ます、それでもよろしいでしょうか?」

なんだか断る方が勇気が要りそうな訊き方だったので、とりあえず頷いてしまった。

「チルノちゃんから話は聞いていますから…まあ、大丈夫とは思いますが」

門は開かれた。

城壁のような門の下をくぐり、その天井を見上げると、そこには突破してきた敵軍に石や煮え滾(にえたぎ)った油を浴びせかける仕掛けが見て取れる。やはり、城として作られた建物であるようだ。

門から母屋まで真っ直ぐに道が延びている。館が赤なら、植えてある植物も赤い葉や花が選ばれ、効果的に配置されている。その長い通路をを暫く歩いて館の玄関に行ってみると、そこには人間のメイドが一人立っていた。

香霖堂に時々買い物に来る貴重な買い物客の常連、この館のメイド長をしている十六夜咲夜だ。知っている人に会えてかなりほっとする。

館の主人であるレミリアも何度か香霖堂に来た事があり、まあ、知らない訳ではないのだが、何分にも吸血鬼の事である。夜、彼女が自らの館でどう動くのか、僕には全く予想できなかった。

「お待ちしておりました、図書館はこの地下です、河童さんはご一緒でないのですか?」

咲夜は客を招き入れるごく自然な動作で扉の内側へ右手を差し伸べたが、その手が普通で無かった。

手首には白い包帯が巻かれ、それの下からは、真新しい血が滲み出ており、それはついさっき怪我したであろう事が窺えた。

「にとりさんには船で待ってもらっていますが…手…どうしたんですか?」

「ああ、これですか?いつもの事ですよ、満月の夜には時々ある事です」

それ以上何も説明は無かったが、僕もそれ以上何も訊こうとはしなかった。訊けば怖くなるだけであろうから訊く勇気は無い。

そして、この場で帰る事は更に勇気の要る事で、僕には到底できそうになかった。

もう、幸運を信じて足を前に運ぶ以外の選択肢は無くなっていた。

この館が吸血鬼の城として最初から建てられた物であるかどうかは知る由もないが、館内もドアに始まり、壁、天井、絨毯、カーテンに至るまで赤で統一され、その内装も吸血鬼の館に相応しいものであった。

いいコーディネートだと言えばそのように思え、彼女らが襲った人間の返り血が目立たないようにするための隠蔽工作だと思えば、その赤はこの上もなく不吉にも見える。

僕は長い赤大理石の廊下を咲夜に案内され、地下へと降りる階段を進む。この辺りから壁は黒い岩盤むき出しの部分が多くなり、空気はひんやりと冷たい。

館内部はランプに照らされている部分が多くてそれなりに明るかったが、この階段だけはその存在を隠すかのように暗い。石段も不揃いで、慣れていなければ踏み外しそうになるほどだ。

階段を下りきり、短い廊下を手探りで進んでゆくと重そうな鉄の扉に行きあたった。鍵穴はあるが、鍵は掛けられていないようで、扉は手で開かれた。

図書館の中は階段よりはかなりマシであった。外気を取り入れる仕掛けが有るのか、空気は思ったほど悪くないし、薄暗いとはいえ、焦げ茶色の重厚な本棚が並ぶ館内は全て見渡せる。中は広く、香霖堂よりもずっと広かった。

その奥の一角、ランプの灯に照らし出されている図書閲覧用の机に誰かが座って肩肘をつきながら本を読んでいる。館の主、レミリアスカーレットだ。

「お嬢様、香霖堂さんをお連れしました」

「ありがとう咲夜、でも待ちくたびれたわ香霖堂さん?」

僕に気付いたレミリアは本を閉じ、僕の方に正対して向こうの方から話を切りだしてきた。

「チルノちゃんから貴方がここへ来る事は聞いているわ、どうやら外の世界の本をお探しみたいね?」

レミリアの話しぶりは勿体ぶった感じだった、それに気になるのは何度かチルノの名前が出たにも拘らず、チルノの姿が見えないのも気になる。

時折揺らめくランプの灯はレミリアの赤い瞳に映り込み、目自体に炎が宿っているようで嫌な予感を増幅させる。

「お話の通り、僕は外の世界の本を探していますが…チルノはどこに居ますか?」

僕の問い掛けに対し、レミリアは待ってましたとばかりに赤い瞳をカッと見開き、勢い付いた。

「チルノちゃんは、ちゃんと来ていますよ?この館で最も厳重に守られている部屋にね」

そこまで言うとレミリアは机から立ち上がり、蝙蝠を思わせる黒い翼をゆっくりと羽ばたかせて舞い上がり、僕の前にフワリと降り立った。

「お探しの本はあるわ、洋書だから貴方には読めないかもね?でも、パチュリーが帰ってくれば読んでさし上げる事が出来てよ?」

何だか雲行きが怪しくなってきた。

パチュリーというのはこの図書館を管理する魔法使いであるらしい。

以前、咲夜がパチュリーの言いつけでロケットの材料を買いに来た時にこの図書館とパチュリーの事が話題に上った。

そして今、そのパチュリーは館に居ないらしい。

レミリアは不敵な微笑みを浮かべながら再び舞い上がると、僕の背後に回った。

「う〜ん、いいわぁ…貴方、最高ねぇ?以前からずーっと…あなたみたいな人に館へ来てもらいたかったのよ?」

レミリアの言葉は妙にねちっこく、言葉の端々に上位者の空気を含ませ来るのが気に食わなかったが…それにも増して、この館に踏み込んでからずっと右肩上がりで増幅し続けていた僕の危機感は、遂に「明らかな危険」を感知するまでになっていた。

「パチュリーはどうせ暫く戻ってこないと思うわ、貴方、それまでずっと館にいなさいよ?」

レミリアの言葉は提案しているような意味ではあったが、それは違う。何故なら僕は既にレミリアの方に振り向く事が出来なくなっていた。

それどころではない、僕は彼女の眼力に射すくめられて金縛りに遭い、どうにか瞬きが出来る程度まで自由を奪われてしまっていた。

「あら?もしかして動けなくなっちゃったの?貴方、体の大きさに似合わず意外に憶病なところが有るのね?可愛いじゃない?益々気に入ったわ」

レミリアの声は耳のすぐ後ろから聞こえてきた。生温かい吐息が首筋に絡みついてくる。

「ねえ?パチュリーは喘息の転地療養に行ってるわ、魔法の森にね?治るまでずっと帰ってこないわよ?本だったら私が読んであげるから…あなた、ここに住みなさいよ?」

レミリアは僕の背中に身を寄せてきた、吸血鬼の高い体温が僕の背中に伝わってくる。吸血鬼はいつでもそうなのか?それとも人間を襲う時だけ体温が上がるのか?本当の所は知る由もないが、それは今、僕を襲う為であるように思えてならなかった。

僕自身の体温の上昇もはっきりと感じ取れた、顔中に汗が伝う感触もある。僕はこれが最後のチャンスだと思って声を振り絞ってみた。生きて外へ出られる最後の望みをかけ、絞り出すように喘ぎ喘ぎ声を出してみる。

「…帰ります…店が有るから…霊夢と魔理沙が来るから…」

店に来る買い物客でない方の常連の名前を一応出してみた。助けに来てくれるとしたら、彼女達以外には考えられない。僕は、初めて彼女達が僕のもとへ来てくれる事を強く願った。

「あら?レディーの誘いを断るなんて野暮な方ね?いいのよ、すぐに答えを出してくれなくとも、どの道貴方はこの館を出られない、そうね?貴方の答えは最初から一つしかないのだわ?違うかしら?」

不意に分厚い鉄板を叩く音がした。僕の向かいに見えている、入口以外の扉を叩く音のようだった。

それは入口の扉よりもずっと重そうで、まるで監獄の扉そのものだった。それがノックと言うより、その扉を叩き破ろうとするかの如き勢いで連打されはじめた。

ドンドンドンドンドン!「お姉ちゃーん!人間の匂いがするよー!」ドンドンドンドン!

ドンドンドンドン!「開けてよー!居るんでしょー?人間―!」ドンドンドンドンドン!

ドンドンドンドン!「ずるいよ!あたしにも襲わせなさいよー!」ドンドンドンドンドン!

「フランちゃん、ダメだよ、あれ、コーリンだよ!」

ドンドン!「いいのよそんな事!」ドンドンドンドンドン!

「チルノ!下がってな!」

「ダメだよフランちゃん!」

「お黙り!」

そこまで聞こえて扉の隙間から目が潰れるのではないかと思えるほどの閃光と、雷鳴のような轟音が漏れてきた。

扉の鉄板はその瞬間、青白いプラズマ光を放ち、衝撃に耐えきれず破断した鉄の破片は周囲の本棚を鋭く突きさした。

チルノは怪物のような恐ろしい何者かと、共に扉の向こうに居るらしい。

突然の事にレミリアは少し驚いたようだったが、駄々っ子に言い聞かせるような口調で扉の向こうに居る者を制止しようと試みる、その間も扉の連打と罵声は響き続けた。

「フラーン!後で貴方にもちゃんとあげるから、いい子にして待ってなさーい!」

レミリアは僕の背中に深くもたれ掛かり、僕の胸の上で手を組みながら話を続ける。嫌に慣れ慣れしくするのはこの場合、交渉術としてそうしているのだろうか?

実際、この場面であの怪物から僕を庇護してくれる者はレミリア以外に考えられず、レミリアの馴れ馴れしい行動は、僕の心を扉の向こうに居る怪物から守った。

レミリアがぴったりと寄り添ってくれていなければ僕は気がふれてしまったかもしれない。それは大袈裟であるにしろ、少なくともみっともなく取り乱してしまっていた事は確実だ。

「あの子の能力、貴方はご存じかしら?全ての物を破壊できる程度の能力、この世の全ての物にはね?一突きで構造を崩壊させる事が出来る目が有るの…」

その時、タイミング良くランプの一つが悲鳴を上げて砕け散った。細かいガラスの破片が顔に降り注ぐ。

「例えば今割れたランプのガラス、アレの目は吹口だった場所、下縁辺りだわ、あの子にはそれが見えるのね?今、あの子を閉じ込めているあの扉、あれには結界が張ってあるからあの子の能力でも壊せないけど…時間の問題ね、何十回も攻撃魔法で撃ち続けたら…じきに破られてしまうわ」

レミリアはそれっきり少しの間黙っていた。

扉の向こうの声を僕に聞かせ、降参を促す腹であろうか?

扉を叩く音は次第に大きくなり、罵声は言葉としての形を保てなくなり、どんどん崩れてきている。それは扉の向こうに居る、おそらく少女であろう人物の心の形を写し取っているように思えた。

ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!「あ``````!殺らせてよー!一回でいいからー!あ``````!」

ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!

「あの子はね?人間の襲い方、知らないのよ?」

レミリアの言葉は又しても途中で閃光と轟音にかき消された。扉には遂に縦の亀裂が入り、その隙間から漏れ出た閃光で僕の目は幻惑され、一瞬見えなくなった。

「フフ…あの子にやらせると、いつも能力を使って人間をぺしゃんこに壊してしまうわ、人間の目、どこに有るか知ってる?」

レミリアは僕の背筋にすうっと指を這わせた。

「ここよ、脊髄の神経、あの子は遠くからこれを握りつぶす事が出来るわ、そうなったらね?どうなるか知ってる?」

レミリアは勝利を確信し、この状況を楽しんでいるようだった、クスクスと笑いながら話を続ける。

「全ての筋肉が自分の意志と関係なく、一瞬で一杯まで縮むのよ…真っ赤な飛沫が飛び散ってとっても綺麗だわ…」

レミリアは多分恍惚とした表情でいるだろう。顔を覗き見る事は出来なかったが、口調からそう確信できる。流血を楽しみ、それを味わい、無限とも思える時間を生き続ける吸血鬼の、これが本性だ。

「あら、あなた、今、あたしの事を酷い奴だと思っているでしょ?そんな事は無いわ、人間だって私達と同じ、人間どもの吸血鬼狩りが私の生家に押し掛けて何をしたと思う?教えてあげましょうか?」

その時、レミリアは僕の顔を覗き込んだ。

その瞳は赤いガラス玉のように白目の部分が無く、ほぼ全面に瞳孔が開かれていた。人間の目ではない、蝙蝠の目だ!

「あなた、怖がりだから、聞いたらお漏らししちゃうかもしれないわね?いいわ、結果だけ聞かせてあげる、私の両親は血の涙を流しながら私達姉妹の居場所を白状したわ、それを見て…あの子は覚醒しちゃったのね?吸血鬼の能力に、あの子はそこに居たすべての人間を握りつぶしてしまったわ…その時に…壊れてしまったのだわ…あの子の心も…」

レミリアはその時、初めて辛そうな声になった。

強大な力を持つ吸血鬼にも耐え難い事が有ると知って、僕は少し驚いた。

「あなたも、このまま答えを渋り続けていればあの子に握り潰されてしまうわよ?も・ち・ろ・ん、あたしにはあの子を止められるわ、どうする?」

レミリアは気を取り直したようで、再び強気の提案をしてきた、答えを聞かずに僕を館に監禁する事など、彼女にとっては造作もない事であろうが、敢えて僕に答えさせるのは彼女の流儀なのだろうか?

それは強国が属国を従わせるような強制力を、僕に対して発揮する為にレミリアが仕掛けている交渉術であるように思える。

「貴方の運命は今、私の手の内に有るわ、ねえ?いいでしょう?ここで死ぬなんてつまらない事だわ、私と、ここに住みましょうよ?血は時々くれるだけでいいのよ?」

バアアアアアーン!

!?!?!?!?

入口?が…急に開いた?

少女の叫び声も聞こえた。まだ聞いた事の無い声だ。

「レミリア!あたしの図書館で何やってるの!!」

その一声にレミリアは一瞬ビクッとして話をやめた。

「パ…パチェ…あなた…いやに早いじゃないの…」

レミリアは明らかに動揺している様子だった。

「今夜は大事なお客を呼んで来たんだから、すぐに空けてちょうだい!」

彼女がパチュリーだろうか?

気付けば僕の金縛りは解け、僕はその場にへたり込んでいた。

「あなた…喘息は?魔法の森で転地療養じゃなかったの?」

「そんなもの!一瞬で治ったわ!魔理沙―!魔理沙―!早く下りてきてー!」

何故ここで魔理沙の名前が出る!?

僕には状況がサッ…パリ呑み込めなかった。

レミリアも同じ様子だ。

「あ〜あ、やれやれ、魔法の森からずっと箒に二人乗りだったから肩が凝ったぜ、おお、コーリンも来てたのか?あーちょっと御免よー、フランに肩でも揉んでもらうわ!」

呆気にとられる僕とレミリアをそのままにして、魔理沙は怪物少女とチルノがいる部屋のドアを無造作に開けて中に入ってしまった。外からは開くようになっているらしい。

ドアの向こうから話し声が聞こえてくる。

「あーら!魔理沙じゃないのー!どうしたのよ急にー?」

怪物少女は魔理沙に気さくに話しかけている。

「いやぁ〜、パチュリーがどうしても見せたい魔導書が有るって言いだしてさ〜」

「ねぇねぇ魔理沙!さっきね?コーリン、血を吸われそうになってたんだよーw」

「あはは、なんだ、血ぐらいケチケチしないで分けてやればいいじゃん、あ、そうだ、折角だから今日もしとく?献血?肩凝りにはこれが一番だぜ」

咲夜が僕達の横を一礼して通り過ぎて行った。手には注射器とゴム管、消毒液やティーカップが乗った銀のお盆を持っている。そのまま怪物少女の部屋に入って行った。

パチュリーも後を追って入る。パチュリーの体は細く、確かに病弱なようにも見えるが、今、彼女は何事かにエキサイトしているらしく、顔は紅潮して妙に元気が良かった。

「ねえ!魔理沙!今夜はここに泊って行くわよね!?遅いからそうするわよね!?」

パチュリーは魔理沙の答えるのも待たずに鼻息も荒く怪物少女の部屋から出てきて、激しく扉を閉めた後、僕達にこう告げた。

「魔理沙とあたしの初夜!…」

言い間違えてというか、隠すつもりであった本心が口をついて出てしまったようである。


「コホン!…私はこれから魔理沙と大事な魔法の勉強が有るから、席を外していただけないかしら?」

その様子を見てレミリアは、やれやれといった表情で額に手を当て、呟く。

「パチェ…あなた、そっちの病を治しに行ってたの…そうだったの…」

レミリアは床にへたり込んでいる僕に、少しばつが悪そうな顔をしながらこう頼んできた。

「いいムードだったんだけど、邪魔が入って興ざめしてしまったわね?良かったら…献血をお願いできないかしら?香霖堂さん?」

僕はだらしなく開きっ放しにした口を閉める事も出来ずに、ただ顔を縦に振り続けるしかなかった。

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東方ルアー開発秘話(8)魔法の森
-前篇

 

魔法の森は人間の里と妖怪の山の間に広がっている樹海である。

入口付近は山菜採りや茸狩り、薪拾いに入る人間もいるが、奥の方は人を寄せ付けない危険な場所だ。

森林相は里の近くが広葉樹林帯で、奥へ行き、妖怪の山に近付くに従って針葉樹林帯へと移行して行く。

幻想郷には時折外の世界から自殺志願者が迷い込む、魔法の森というところは、幻想郷内でも比較的そのテの人を引寄せる、そこはそんな場所である。

森の奥部は毒の胞子を漂わせる毒茸や粘菌、葉や花から毒気を蒸散させて身を守る危険な植物の作り出す瘴気、有毒な火山性ガスの噴き出し口、迷い人を混乱させて遊ぶ意地の悪い妖精等の危険に満ちている。

それでなくとも道らしい道も無く、そこかしこに埋まっている磁鉄鉱の影響でコンパスも殆ど役に立たない迷いやすい場所であり、しばしば帰り道を見失った遭難者が餓死するような不吉な場所だ。

魔法使い達はそのような不吉な場所である魔法の森に好んで住み着いている。

毒性のある瘴気や火山性ガスは、一つ間違えば命を落としかねないような危険な物であるが、それに何とか耐える事に成功し、耐性を身に付ければ逆に魔力を高める薬効も期待できる。

そして妖怪の山から魔法の森に延びる活断層は地殻変動が多く、地震の前に発生する帯電エアロゾルやプラズマは新しい魔法を開発する為に必要なインスピレーションを得る助けとなり、その理由からも魔法使い達はこの場所を好んだ。

しかし、魔法使い達は森の中に集落を作ろうとはせず、むしろ互いの動向を知りえない程度に離れて住む事が習わしとなっていた。

そもそも魔法使いというものは、生活に殆ど他人の助けを必要としないものであるからなのだろうと言われている。

それ以前の話をすれば、彼女達はもう二度と人間として生きるまいと心に決め、人としての生活一切を捨てた上、死を覚悟してこの魔法の森に来た者達だ。

お互いに深く知り合って話をしても、それは互いの心の傷を深く抉り合うだけだと分かっているから普通、合おうなどとは思わないものであるらしい。

 

魔法使いのアリス マーガトロイドは1フィート程の背丈の妖精人形に命じて夕食に出すシチューの火を弱火にさせた。

合わせて火力を一定に保つように命じておいたので夕方まで放っておいても大丈夫であろう。

一人分にしては多い量を作るのはアリスの習慣になっている。年に何度も有る事ではないが、森で道に迷った遭難者がアリスの家に助けを求めに来る事もあるからだ。

訳有って人の暮らしを捨てはしたが、無意識下ではそれを望んでいないのかもしれない。家の中で多くの人形を同時に操って仕事をさせ、賑わいを演出するのも正直な話、能率は自分の手を動かして作業するのとさほど変わらない。

ずいぶん昔に、人は人形に対面するその時、目前の人形に無意識のうちに内なる自分の姿を投影するものだと聞いた事がある。

そう言われてみれば、自分が作って操っている人形のデザイン。青い目と金髪、青と白の町娘風の服装など、自分に似ている事に気付く。

人形に対して、家族や友人のように振る舞ってくれることを期待するあまり、遂には魔力でそれを生きているかのように操れるほどになった今の自分は、本当にアリス自身が成りたかった姿ではないのではあるまいかと最近薄々気付き始めた。

本当になりたかった姿は、今、あたかも幸せな家庭人であるかのように操られている人形の方なのだと気付いてしまった。

気付かなかった方が多分、気が楽であっただろう。

こうして遭難者が来るのを心待ちにするようになって以来、人の生活が恋しくなり、心乱れるばかりであったが、遭難者が来れば来たで更に辛くなるだけだとも思えるようになってきた。

それは真実を悟ってすっきりできるという側面と、知ってしまったがために諦めなければならない幾つかの夢の終わりという、悲しい側面とを表裏に合わせ持つもののようだ。

人間の遭難者と話をすれば、話題はすぐに「一人で住んでいるのか?」「何故こんなところに来たのか?」「家族はいないのか?」という内容に及び、気まずい空気のまま話を切り上げなければならなくなる事は目に見えている。

いつでもそうだった。

アリスの心に傷に触れず、心を開いて話が出来た人間は一人も居なかった。

多分、人間には無理なのだろうと思う。

この状況から救い出してくれそうな人物に、一人だけ心当たりはある。

アリスの素生について一切触れずに、アリスが笑っていようが泣いていようが…戦った直後ですら一切お構いなしに、その時の在るがままを無条件で受け入れてくれる人物。

おそらく自分と同じ種類の傷を心の中に隠しているにも拘らず、それを一切表には出さず、いつでも、誰に対してでも陽気に振る舞うその姿には憧れすら抱いていた。

山荘風のきれいに飾り付けされた家には、今日も誰も訪ねては来ないだろう。

増してや滅多に来る事が無いあの人が来る事は、更に無い事だろう。

ノックされる事が無いドアを眺めながら呟くのは日課になっていた。

「今日も・・・来てくれないのね・・・」

 

 

香霖堂店内、早朝

別に早起きしなくてもいいのに目が覚めてしまった。

香霖堂店内に差し込む朝日は、いつも通り昨日から出しっぱなしの湯飲みに長い影を曳いていた。

いつも通りの何でもない朝をこれほどありがたいと思った事は無い。

昨夜、僕は危うく吸血鬼の館に捕らわれの身になりそうだったところを、何と言うか魔理沙の奇妙な人気のおかげで救われたのだ。

紅魔館の図書館から、命がけで借りる事に成功した本は全文横文字の洋書であった。

出来れば、ある程度パチュリーに訳してもらいたかったが、僕は紅魔館から一刻も早く立ち去りたかったのでそれは言わずにいた。

パチュリーも何と言うか…魔理沙と様々な分野で勉強が忙しそうだったし。

本を開いてみる。

かなり古い本であるらしい。

文章は読めなかったが、銅版画の絵からなんとなく内容は分かる気がする。

鱒やパイク、鯉や鮠らしき魚の釣り方が図解で出ている。

その中にルアーらしき物の絵はあった。

どうやら鱒を釣る道具として紹介されているようだ。

ルアーはこの間入手した物より、かなり簡素な物の絵が見られる。

小魚の形をしていて、三本錨針が二つ付いている物の他、金属板を曲げただけの物もある。

そして、肝心の作り方が出ているかどうかまでは分からなかった。やはり、誰かに訳してもらう必要がある。

不意に店の戸が開いた。こんな朝早くに珍しい。

「いらっしゃいま・・・霊夢か」

「あら、いらっしゃいま霊夢かとはご挨拶ね?ここは、お早うと言うべきよ霖之助さん」

「ああ・・・御免、お早う霊夢」

「で?どうだった?血を沢山吸われてすっきりした?」

…人が…生死の境を彷徨った大事件を…まるで献血みたいに!

…まあ、献血ではあったのだが。

「それより霊夢、パチュリーの図書館で難しい本借りてきたんだけど、読めなくってね〜霊夢なら読めるだろうあなぁ…っと!思っていたんだよ!いやあ本当によかった!」

それを聞いた霊夢は悪い気はしなかったようだ。ややふんぞり返った偉そうな態度で目をつぶったまま右手を差し出し、人差し指を上にチョイチョイと動かした。

読んでやるから寄こしなさいという態度が露骨に見て取れる。


僕は少し大袈裟に、両手を使ってまるで献上仕る(つかまつる)かの如き恭しき(うやうやしき)態度で霊夢の手に本を渡してやった。

ふんぞり返ったまま本を開き、霊夢は少しの間動かなかった。

冷や汗が一筋、頬を伝うのが見えた。

何か言おうとしているのか口は小さく開いたが、言葉が見つからない様子で又閉じた。

目をつぶって何か考えているようだ。

冷や汗がまた一筋流れる。

ここいらで僕は我慢できなくなってしまった。

「ブフッ!ハハハハ!引っ掛かった引っ掛かった!」

「もー!何よ霖之助さんの意地悪!洋書なら洋書と最初から言ってよね!」

また扉が開いた。

霊夢の次に来るのは大体決まっている。

「お早う魔理沙、昨夜は助かったよ」

思った通り、店に入ってきたのは魔理沙だった。

「いやいや、別に助けたつもりは無かったぜ、こっちはもー!パチュリーに夜遅くまで色々付き合わされて大変だったぜ、いやー肩以外のいろんな所も凝ったぜ」

いろいろ…の内容が気になったが深くは追求せずにおこう。

今度は霊夢が魔理沙に話を持ちかける。

「魔理沙はさ?紅魔館へ魔法の勉強をしに行ったんでしょ?」

「まあ…表向きはね」

「またまた謙遜しちゃって!私達には読めないような難しい本で勉強するんでしょ?」

「まあ…魔導書なんてものは暗号で書かれている事が多いから、まずは暗号の解読から入るね」

「すっごいじゃないの魔理沙!いやいや見直したわ、あなた賢いのね!」

「まあ、それほどでもあるぜ」

「それじゃこの本…」

「あ、それ、無理!」

「なによ早いわね!もうちょっと弄られなさいよ!」

「漫才の稽古じゃないんだから、話は早い方がいいぜ、その本ならアリスが読めるよ」

アリス…魔法の森の奥に住む魔法使い、アリス マーガトロイドの事か。

魔法の森からあまり外へ出ないが、彼女の作る人形の完成度には定評がある。以前、僕もリリーホワイトとブラック、ヒーリングの縫いぐるみ制作を依頼した事がある。

祭りの時にはには、それらの人形を魔力で操る人形芸を披露する事もあるらしい。

そして、魔理沙の口調からすると、どうやら魔理沙とアリスは知り合いであるらしい、これは好都合だ!

「丁度よかった!できたらこの本を・・・」

「おっと!コーリンにも来てもらうぜ」

「えぇ?…僕はインドア派だから外出は気が進まないんだけど…」

「何言ってるんだ、魔法の森なんて、妖怪も居なし安全な場所だぜ」

「そりゃ、魔法使いにとっての話でしょ?ほら、森の奥って言えばね?あるでしょ?毒ガスとか毒茸の胞子とか」

「そんなもん、避けて歩けばどうってことないぜ」

「いや…比較的どうってこと有ると思うんだけど…できればお願いしたいなー」

そこまで話が進むと、魔理沙は少し難しい顔になった。危険というよりは、何か面倒事が有るといった感じだ。

「いやね?一人で行ってやってもいいんだけどね?中々帰らせてくれないんだよあの家」

来た来た!魔理沙が中々帰れないという事は、それは僕にとって全く帰れないというに等しい事だ。やはり、監禁されてしまうのだろうか?

「でもなあ…僕なんか、弱いから捕まると危ないんじゃないかなあ…と思うんだよ」

「いいや、捕まりはしないね!」

「じゃ、どうなるの?」

「太る!」

「ハァ?」

「あそこへ行くとね?色々出されるんだよ、食事とかお菓子とか、で、私が食べるところをね?目をキッラキラさせながら見てるわけよ?ねえ?美味しい?美味しい?って、目が言ってるんだよ、で、結局出された物完食して、その分目方は増えると」

「つまり、僕にも食べてほしいと?」

「つまり、そういう事だぜ」

なるほど、この様子だと危険が及ぶのは魔理沙だけであるようだ。僕は少しぐらい太ろうが気にしない。

話の途中で霊夢が口に人差し指をあてがい「しいっ!」の動作をした。

続けて近くに有ったハタキを手にすると、件の本の近くの空間を“つん!”と小突いた。

「ひゃうっ!」

何もない空間から声がした。

声のした場所に次第に浅葱(あさぎ)(いろ)の人影が浮かびあがり、例の光学迷彩服を着た河童の河城にとりが現れた。今度の服は、フードが追加され、頭も隠れるように改良されていた。

にとりは、発見された事に慌てた事と、こっそり話を聞いていた言い訳をどうしようかと一瞬にして考えようと試みたのだろう、目を白黒させながら次のような一声を発した。

「はっ…話は聞かせてもらったよ!魔法の森へ行くならこれ!にとりのガスマスク!!」

一瞬の沈黙。

「?…?…?…?…」

そして、一同絶句。

いつまでも固まってもいられないので、僕が問いかけてみた。

「あ…あのにとりさん?どの辺りから聞いていたんですか?」

ここで霊夢と魔理沙は爆笑し始めた。

伏し目がちに顔を真っ赤にしながらの説明を、にとりから聞いてみると、実は僕が起きる前から店の外に居て、窓から本を見たらしい。(しかも透明状態で)

で、近所でこれを訳せる人物がいないか考えてみたら、魔法の森のアリスの事を思い出し、急いで帰ってガスマスクを取って出直したところに霊夢が来店し、透明状態のまま一緒に店に入ったらしい。

つまり、話は全て聞いていたのだ。

「ガスマスクまで用意してくれたっていう事は…もちろん、にとりさんも来てくれるんだよね?」

にとりは小さく頷いて同行を承諾してくれた。最初から来るつもりであったのだろう。

河童というものは、技術的分野に秀でており、妖怪の山の地下には、河童が高度な科学技術を研究する施設も有るらしい。おそらく、にとりも外の世界の本に書かれている技術的情報に興味が有るのだろう。

僕達は霊夢の持ってきた岩魚の燻製とご飯で朝食を取り、そのまま魔法の森へ向かった。

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東方ルアー開発秘話(9)魔法の森
-後篇

 

魔法の森入口近くは人の利用する道が普通に通っており、植物も危険な物は見当たらなかった。

魔理沙によれば、この辺りはまだ薪拾いや山菜採りに訪れる人間も多い場所だという。この調子なら単なる山歩きみたいなもんであるが、さて、この先はどうなっている事やら。

魔法の森に付き合ってくれたのはこの魔法の森をホームグラウンドとする魔法使いの魔理沙と、技術屋にして河童の河城にとり。

霊夢は店番を買って出てくれたので、ここには来ていない。

霊夢の事だから、きっと隠しておいた一番いい煎餅と極上のお茶を(勝手に)見付けていつまでも店でくつろいでいるだろうから心配は無い。店番の手間賃として考えたら、煎餅とお茶に掛かったコストは…まあ目をつぶれる範囲だ。

森を案内してくれるガイドは今、にとりと昨夜の紅魔館での出来事で盛り上がっているようだ。

「でさあ、パチュリー、あたしの家に来て突然“具合が悪くなったわ!横にならせてちょうだい”とか言いだしてさぁ、来て早々に鼻息も荒く、具合が悪くなったもないもんだと思ったぜ」

「あはは、きっとパチュリーは魔理沙に会いたかっただけなんじゃないの?具合悪いは長居する為の口実だよきっと」

「あたしもね、そうなんじゃないかなーっと、思って“じゃあ、箒で送ってやろうか?”ってね?永琳の所へ送ってやろうか試しに訊いてみたんだよ、そしたら“箒で暫く空気のきれいなところを飛べば治るわぁ”って言いだすもんだから、いや〜飛んだ飛んだ!」

「結局どこまで行ったの?」

「人間の里の夜景を見たいわぁに始まって→間欠泉地下センターの穴を上から見たいわぁ→三途の川に、こっちから彼岸が見える場所が有るらしいのぉ→霧の湖から見る満月はとっても綺麗なのよぉ…で、結局妖怪の山を一周したぜ!」

「その後、紅魔館へ帰ったんでしょ?」

「いやいや、帰ったけど、その後が長い長い!香霖堂で入手したっていうゲーム機、電池が切れるまで遊んだり、美鈴から教わったっていう健康体操に付きあわされたり…」

「で、魔法の勉強ってしたの?」

「するもしないも、全っ然してないぜw」

「ところでさあ?香霖堂さんがレミリアに血を吸われた時、そこに居たの?」

「いやいや、咲夜が注射器で抜きとるだけ!吸われた訳じゃーないぜ!」

「なあんだ!そんなの全然怖くないじゃん!」

「そーなんだよ!コーリンびびっちゃってさあ!図書館の床でへたり込んでいるから、本当に襲われたのかと思ったぜ!」

「注射、駄目なのかなあ?」

「それ以外にも、コーリン、レミリアの館に住めって言い寄られてさあ?完全にガクブル」

「あはは!そりゃ、ちょっと怖いかも!」

「まあ、血を抜き取る以外は、コーリンにとっては理想の生活とも言えるけどね」

「紅魔館で日がな一日ボーッと?」

「そう!香霖堂に居る時と変りなし!」

「もう、香霖堂さん、レミリアの所へ店ごと引越せばいいのにね!」

「そりゃいいねー!いやいや、丁度いい!いや実はね?こないだ霊夢と話してたんだけど、あたし達、香霖堂の跡地にブティック出そうって言ってるんだよ!」

「えぇ!?マヂで!?」

「ああ、マヂだぜ!店名も既に決めてある!」

「なになに?なんていうの?」

「ブティックwaki waki!

「なに?どんな店?」

「詳しくは霊夢に聞いてみないと分かんないんだけど、腋出しファッションの専門店だぜ!」

「そりゃ、またコアな客層狙いね!」

「霊夢は腋出しがこれからのトレンドになると睨んでるらしいね、でも、それだけじゃないんだぜ?」

「なになに?まだ何かあるの?」

「実は、夜には別の物を出す計画でね!」

「なになに?勿体ぶらずに言ってよ!」

「深夜はボンテージショップになる!」

「魔理沙が売るの?」

「いや、ちがう、それはコーリンに売ってもらうね」

「へぇ…いいね!夜中に紅魔館から出勤する変態道具屋!」

「おお!そのアイデアもらった!そうだな…吸血鬼の館より降臨せし(ふんどし)カリスマ店長のボンテージセレクション!!」

「おお!きれいに決まった!降臨とコーリンが掛かっている!」

「こりゃ、文々(ぶんぶん)(まる)新聞に広告出さなきゃな!」

「あたし達の未来は、今、ここから始まったんだね!“にとりのルアー”も置いてよ?」

「ああ、店舗内店舗みたいな形から拡張していけばいいぜ!」

「いやあ!すごい!すごいことだよ?ちょっと早いけど、行っとく?」

「ああ、乾杯だな?」

「あたしたちの未来の為に!」

遂に瓢箪から酒出して飲み始めた。

こ…い…つ…ら…人の店…なんだと思ってるんだ!

僕の店は健在で、辞める気はこれっぽっちもない!

毒毒魔法使いと河童のガールズトークが続く中、森にはチラホラと針葉樹が混じり始めた。危険な植物は、こういった森林相の変わり目に多いと聞く。

それもお構いなしに、魔理沙は僕達の前を自信満々に歩き、力強くリードし続けていた。魔法の森を知り尽くしている彼女の存在は有難く、心強くも有った。

魔理沙は森の道なき道を辿り、時には巨大な岩を迂回し、時には僕達の手を引いて小川を渡り、苔生す樹海を一心不乱に進み…

 

 

 

 

 

 

迷った。

 

 

 

 

 

「あ〜あ、ダメだこりゃ」

「ちょっと魔理沙!僕は君を信じて道案内を任せたんだよ!?“ダメだこりゃ”は無いと思うなー!!」

「あたしは、いつもコレで行くからね?歩いて行くのは初めてだぜ!」

魔理沙は箒を地面に立てながら、実は地上からアリスの家に向かう道を知らないと、今、ここで初めて宣言した。

「そういう事は、比較的、事前に聞いておきたかったんだけどねぇ?」

僕は少々歩き疲れていたせいもあって、かなり口調が嫌みったらしくなっていたせいもあるだろう。魔理沙は表情にこそ出さないでいたが、多分、道が分からなくなった事に相当の焦りを感じていた事もあったのだろう。魔理沙が僕に返してきた返事は、ちょっと棘のあるものだった。

「大体、連れて行ってもらっている身なんだから、何も言わずに地図ぐらい用意しておくものだぜ」

「魔理沙、あなたね、そう気安く言うけど、魔法の森に道らしい道なんか無い!地図も作りようがないから最初っから無いの!」

「なんだよ!だったら最初から言えばいいじゃん!“道は無いけど行けるのか?”って!」

「君が来てくれって言うから僕は付いてきたんだぞ!」

「最初に本を訳してほしいって頼んできたのはそっちだぜ!」

「訳してほしいとは言ったけど、探検に連れて行けとは言ってない!」

「コーリンが飛べないから無理して歩いて案内してやってるのに!」

「ふんっ!道を知らない道案内なんか、最初っから願い下げだよ!」

ちょっと言い過ぎたかと思った。

まさか魔理沙が涙目になるとは思ってもいなかった。

魔理沙は、赤くなった目頭を押さえ、顔をそ向けてこっちを見なくなった。

何と言っていいか分からなくなって困り果てている僕を見かねて、にとりが助け船を出してくれる。

「ねえねえ、迷った事はもう、しょうがないじゃない、魔理沙に飛んでもらって、アリスの家の方角を見てもらって、それからまた歩けばいいじゃない?ね?」

魔理沙は言葉なく頷き、箒に跨った。

こんなに彼女が小さく見えたのは初めてだ。まるで空気が抜けてしまったように。

魔理沙は何も言わずに舞い上がると、そのまま飛んで行ってしまった。

静かだ。鳥の声もせず、魔理沙が巻きあげた木の葉が落ちて行く音だけが聞こえる。

「さあて、あたし達は少し休んで待ちましょうか?」

「そうだね、何処か座る場所でも…」

「そんな時には、これこれ…」

にとりは、バックパックから何かを取り出した。

「にとりの折り畳み椅子!これからの時期、レジャーに大活躍だよ!」

「…あの…にとりさん?」

「なに?」

「一つだけ?」

「うん」

そう言うと思った。

僕は座れそうな物が無いか周囲を見回してみた。

辺り一面、水分を含んだ水苔に覆われている。それは倒木の上も深々と覆い尽くしていた。

倒木の傍に、かなり大きな茸が有る。

丁度座れそうな大きさだ。

表面の皺が人間の顔みたいで気色悪かったが、それ以外は大きさといい、適度な硬さといい、座るのに打って付といえる。

心配するような毒も無いようだ。茸は一部、虫が食っていたし、実際に今、この茸から毒気は出ていない。


僕は、茸のションボリしているような、微笑んでいるような微妙な表情に見える皺を気にしながら、ゆっくりと腰掛けてみた。

「ぶしゅうっ!」と変な音はしたが、それ以外は至って快適だった。

「あるれぇ?にとりしゃん、これ、ごっつはんなりしてますどすえ?」

「あはは、香霖堂さん、疲れたの?ロレツ回って無いし、“してますどすえ”ってw何弁?」

「これはきっと、あちきがやんごとなき地位に居た前世の名残なんどすw」

「あはは!“なんどす”って、そりゃ、貴族じゃなくて舞子はんか何かだよw

笑いながら、にとりも近くの茸に座ってみた。

やはり、「ぶしゅーっ!」と音がした。

にとりもこの茸の得も言われぬ不思議な座り心地に少し驚いたようだ。

「あるれぇ?これ、なんだか、とっても具合いいねぇ?これ、売れないでしゅかねえ?」

「いやあ、こんなションボリした顔のクッしょん、店に置いといても誰も…あるれぇ!?」

「何よ?コーリン?」

「顔…さっきと変ってる!」

「変わってるって…あるれぇ!?!?」

僕とにとりは、我が目を疑った。何故ならさっきまで微妙に人間の顔に似ている程度だった茸の皺は…皺どころじゃない、色も形も丸々と太った人間の顔そのものになっている!」

「なに?なんなにょこれ?ねえ?これなに?おーかーしーいーじゃーん!はっはっはっはっはっはっ…」

にとりは爆笑しながら茸?を両手で持ち、それを何度も両側からフニフニ圧縮して遊び始めた。

茸は圧縮されるたびに「ゆっ!」「ゆっ!」「ゆっ!」「ゆっ!」と変な音を立てた。

「ひとりはん!これ!ホンマ、ようさん人の顔に似てまっせ!」

僕も真似して茸?をブニブニと圧縮してみた。

「ゆっ!ゆっ!ゆっ!ゆっ!ゆっ!ゆっ!ゆっ!ゆっ!…」

「あはは!それ、可笑しいー!コーリンの顔が“ゆっ!ゆっ!”って言ってるよ!!」

「うひゃひゃ!にとりはん!私の顔がそないに、“ゆっ!ゆっ!”て…そんな事あらしゃりまっ…あっれえ??????」

僕の手にしている茸?には、無かった筈の眼鏡が掛かっている!

しかも、銀色の髪の毛も生えており、その髪型は僕にそっくりだった。

試しに、にとりの茸?にも目をやってみる。

「ちょっと…にとりはん…貴方の茸…ほんま…ごっつ…似てはりまっせ?」

にとりは、一瞬キョトンとなってから茸?を裏返して対面してみた。

「うっわっ!…すごく…あたしの顔です…」

 

「にとりはん…これ…一体…何!?!?」

「香霖堂さん…これ…一体…何!?!?」

 

二人とも、しばし自分の手にしている茸?と見詰合った。

試しにまた、何度も圧縮してみる。

僕の顔そっくりになった茸?は圧縮される度に口を開いて…

「ゆっ!ゆっ!ゆっ!くり!していってね!」

!?!?今何か言った!?!?

僕は茸?の変化に夢中になった。

「にとりはん!喋りましたどすえ!この子!今!」

にとりも押す。

「ゆっ!ゆっ!…くりっ!していってね!…ゆっくりしていってね!」

「コーリン!この子も言ったよ!“ゆっくりしていってね!”って言ったよ!」

「これ…ほんまに…ほんまに茸でっしゃろか?」

「明らかに成長してるね!」

「これ…もしかしたら!もしかしますぇ?」

そこまで話が進むと、にとりの表情が急に変わった。

真剣な面持ちで茸?の顔を見詰めた後、僕の方へ振り向き、力強くこう断言するのだった。

「これ…あたし達の赤ちゃんだよ!」

「ハァ?」

「だって!それ以外に考えられないじゃん!成長するし!言葉しゃべるし!あたし達に顔、ソックリだし!」

「いや…だからって…そない急に言われましても…」

「コーリン!いや!霖之助さん!ちゃんと責任とってよね!!」

そう言われると…だんだんそれ以外に考えられない気がしてきた。茸?改め、僕達の赤ちゃん?は、にとりが出した結論に満足したのか、二人してゲラゲラと笑い転げている。

「にとりはん…そやかて…責任言わはれましても…」

「霖之助さん…これはもう…結婚するしかないよ!」

「またまた…」

「だってそうじゃん!」

「出来ちゃった婚?」

「いいじゃん、形なんかどうでも!順序なんかどうでも!今は!この子達の未来の為に!」

この子達の未来のために、とまで言われたら後には引けない気がする。

僕の決意が固まり始める頃、丁度魔理沙が帰ってきた。

重大な話だから、ちゃんと魔理沙には通しておかねばなるまい。

事によったら、本当に香霖堂は霊夢と魔理沙に任せ、僕は“産休?”を取らねばならない。

先ほどのわだかまりは有るが、後回しにも出来ないと、今は真剣にそう思えた。

「魔理沙…ちょっと大事な話が有るから聞いてくれないか?」

僕の言葉が急だったせいもあってか、魔理沙は呆気にとられているようだった。

「僕達…」

「あたし達…」

「結婚します!」

「結婚します!」

魔理沙は心底ビックリした顔をした後、僕達の赤ちゃん?に目をやって、ようやく状況が呑み込めたようだった。

呆れたような顔をして天を仰いだ後、にとりの背後に回ってバックパックからガスマスクを取り出し…

「ああ、分かった、分かった、君達の言わんとしている事はよーっく分かったぜ!森の空気は咳き込む事もあるからさ?ほら、これ付けて、まずは深呼吸を何回かしてから詳しく聞かせてくれないか?」

 

魔法の森奥部、アリスの自宅

アリス マーガトロイドは窓際の作業机で人形作りに取り組んでいた。

売りに出したり、家の仕事をさせるための物ではなく、自分の技術向上のために取り組んでいる題材である。

心血注いで取り組んではいるが、もう半年も前から顔の部分で制作は行き詰っており、5回目になる作り直しを経てなお、未だに手応えは無い。

多分、この顔の部分を他の誰かに見せれば「モデルにそっくりじゃない?どこが気に入らないの?」と言われるだろう。

どこが気に入らないか判明すれば、それはすぐに作品に反映できるはずなのだが、その、

「どこ」が分からなくて先へ進めなくなっていた。

最近、どうやらこの人形の顔に気に入らない部分は何一つない事に気付き始めた。

どこを探しても見つからない訳だ。

「どこかが気に入らない」のではなく、「何かが足りない」のだと思うようになっていた。

この人形の顔は、写実的に完成すればするほどにその「何か」から遠のいてしまう性質を持っているようだった。

他のモデルだったらそんな事は無いだろう。似れば似るほどに満足感は増してゆき、完成度は高くなっていくものだが、あの人の姿を象ったこの人形だけは例外だった。

5回も姿を現した作品は、イメージを膨らませる為に作った簡素なプロトタイプを超える事ができなかった。

きっと、いくら精巧に作り、それをいくら巧みに操ったとしても、それは全て自分が為した行為であり、あの人がしてくれた事ではないからなのだろう。

それだったら精巧な写実性はむしろ邪魔になる。簡素な人形にイメージを投影して、想像の中で遊んでいた方がよほど満足できるに違いない。

しかし、今はどうしてもその壁を越えてみたかった。そうしなければ、何かをして気を紛らわせていなければ、自分の心が潰れてしまいそうだったからだ。

今回もどうやら壁を越えられそうにない。

6回目に取り組む前に気分を入れ替えようと思い、自ら立ち上がってコーヒーを淹れようと思った。

椅子から立ち上がり、作業部屋を出る。

いつものリビングには開かれる事の無い玄関ドアが有った。

「今日もとうとう…」

トントン!

!?!?

ドアがノックされ…?

トン!トン!トン!

間違いない!家のドアが何者かにノックされている!

人形にドアを開けに行かせようと思ったが、息を潜めて自分の足ででドアまで歩いて行った。

頭の中は心臓の鼓動する音で充満する。

ドアノブに手を掛けてみる。

深く息を吸いこんでから、恐る恐るドアを開けてみた。

午後の日差しが家の中にすうっと射し込んでくる。

強い日差しの中に尋ねてきた人のシルエットが見えた。

目が慣れるのに2秒ぐらいかかる。

幻覚を見たのかと思ってシルエットを再度凝視する。

間違い無い!でもなぜ突然?

「魔理沙!ど、ど、ど、どうしたの突然!?」

「あ…悪い悪い、そんなに驚かれるとは思わなかった、来る前に連絡した方がよかったかな?」

「いや…まさかあなたの方から来てくれるなんて思ってなかったから…」

「いやね?どうしたも、こうしたも、コーリンがね?洋書を訳してくれって言いだすもんだからさあ、もう、初めて森の中歩いてここまで来たぜ!あ〜歩いた歩いた!」

魔理沙の後ろには香霖堂の店主と河童がいる。

「コーリンの事は知ってるよね?その隣は河童のにとり、二人は結婚を誓いあう仲だぜ!」

「ちょ!魔理沙!それ、毒茸の胞子で見えた幻覚!」

「ちょっと!ダメだよ魔理沙!あたしの人生最大の黒歴史をばらしちゃ!」

「ちょ、にとりさんまで…人生最大の黒歴史ってそんな言い方…」

香霖堂店主と河童のやり取りが、期待通りの展開であったのか、魔理沙は爆笑し始めた。

アリスもおかしくなって、悪いと思いながら噴き出してしまった。

「あ…ごめんなさい、皆さん折角いらっしゃったんだから、今夜はここで夕食などいかがかしら?」

アリスは三人を家に招き入れた、詳しい話は後で聞けばよかろう。

今日は久々に忙しくなりそうだ。

取りあえずコーヒーを出そうと思ってアリスは小走りにキッチンへと向かう。

午前中に命じられた仕事を全て終えた人形達は、ソファーの上に寄り添って並び、そのままずっと動かないでいた。

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東方ルアー開発秘話(10)人の業

 

妖怪の山には無数の谷が有り、その全てが知られている訳ではない。天狗達によって厳重に出入りが管理されている山の奥には、名前も付けられていない多くの谷が存在する。洩矢技術研究所はそんな谷の一つに有った。

技術研究所は、外の世界から落ちてきた様々な機器を分析評価し、その道具を模して同じような物を作り出す役割を持っていた。

今日も河童が外の世界から落ちてきた道具を試験している。

「たいぷ64らいふる はんどりんぐまにゅある ゆーえすえあふぉーす よこたえあべーす おーd…」

「あーもー!そんな表紙から読まなくってもいいよ!操作方法からでいいから、あと、メドイから訳して訳して!」

「あ…そうか、え〜っと…セレクターレバーをセフティーモード(ア)に合わせます」

「はい!合わせた!」

「マガジンウェルに弾薬が装填されたマガジンを差し込み、ターゲット方向に銃口を向けます」

「はい!次!」

「チャージングハンドルを一杯まで後ろに引き、手を離して第一弾をチャンバーに装填します」

銃上面にある排莢口覆い兼貢桿を一杯まで後ろに引き、手を離すと弾倉の中の弾薬は、幾つかの金属音を立てて銃身の中に納まり射撃準備が完了した。

「装填完了!」

「シューティングフォームを取り、セレクターレバーをセミオートモード(タ)に合わせます」

「はい、合わせた!」

「ターゲットを照準してトリガーを引きます」

弾は少ししかない。

河童の技術者は命中確率が最も高い伏撃ち姿勢で目標を狙う。

銃付属の二脚で銃を地面に布置し、床尾板をしっかりと肩に押し当てる。

照門と照星、そして300m先に立てられた古畳の中心を正確に合わせ、銃がずれないように慎重に引き金を絞ってみる。

雷鳴よりも大きな爆発音がした!

何か使い方を間違った!!

幻想郷に有る最も出来の悪い鉄砲でも、もっと籠った音がする!

河童の技師二人は、そう思い込んで一瞬、目を堅く閉じていた。

しかし、標的にしていた畳を、木刀か何かで思いっきり叩いたような弾着音が聞こえたので、恐る恐る目を開けてみた。

銃が壊れた様子は無い。

「当たったのかな?」

「見に行ってみよう!」

銃の弾を抜き取って畳の所へ急いだ。

畳には確かに箸で突いた程度の穴があいている。

「え?あんなに大きな音がしたのに、こんなに穴、小さいの?」

畳の裏を見る。

貫通していた。

そればかりではない、標的を支える為に立てられていた一尺ほどの太さを持つ丸太も完全に貫通してしまっていた。

爆発したのかと思えるほど弾けてささくれ立った丸太の射出口に恐る恐る触ってみる。

「すごい!一発で当たったよ!」

「すごいすごい!しかも見て!あんなに離れていたのに、殆ど威力が減衰していないよ!」

二人は実験の成功を一瞬喜び、その後、すぐに深刻な面持ちに表情を曇らせた。

何万人居るか知れない外の世界の兵隊は、一人に付き一丁、これを装備している。

しかも、これはどうやら旧式化したので忘れ去られ、幻想郷に落ちてきた物であるらしいのだ。

 

妖怪の山に春は深まり、遠くホトトギスの鳴き声が聞こえる頃、香霖堂の周囲も冬の気配がすっかり消え失せ、新緑へと装いを変えていた。

店は相変わらず暇であり、本当に何か客の気を引く物で客寄せをしなければ、店の存在自体が幻想郷から忘れられてしまいそうだった。

外の世界で忘れ去られた物は幻想郷へと落ちて来る訳であるが、幻想郷でも忘れ去られたらどこへ落ちて行くのだろうか?

僕は、地底の底に有るという灼熱の地霊殿の横に香霖堂が移転し、真っ赤に燃え盛る灼熱地獄跡を横目に、褌一丁で汗だくになりながら商品保存のために店内を団扇であおぎ続ける有様を想像して少しブルーになったりしながら日々を過ごしていた。

紅魔館から借りてきた古い洋書を魔法使いのアリス マーガトロイドに訳してもらってから二週間。

河童のにとりは、外の世界から流れてきたルアーの現物とそのレントゲン写真、そして洋書に書かれていた情報を参考にしてルアーの試作品をいくつか作り、僕の所に持ってきた。

洋書の内容はルアーを作るにあたってそれほど参考にならなかったようだ。原始的なルアーの仕組みと、かなり簡単な作り方、使い方が解説されているにすぎなかった。

例えば、ルアーの作り方はこうだ。

まず、桐等の軽い木を小魚のシルエットに削り出します。

その下面に鋸で切れ目を入れ、ワイアーフレームを入れ込んで木の板などで塞ぎます。

水を受けて泳ぎを出すためのリップは、竹の薄板かブリキで作り、本体に入れた切り込みに刺し込んで(にかわ)で接着します。

エナメル塗料で塗装し、針を付けて完成です。

その姿は、先頃外の世界から流れてきた物に比べ、かなり原始的な物だった。

また、使い方については新たな発見が有った。洋書によれば、これはどうやら小舟で曳いてトローリングをするときに使う物であるらしい。

トローリングなら舟の都合さえ付けば僕達にも出来そうだ。

しかし、アリスはそれ以外の使い方にも言及した。

僕達が竹の延竿にルアーを結んで、川の流れを利用してルアーを泳がせたと言ったら「よくそんな方法で釣れたわね!」と驚いていた。

どうやら彼女は遠い昔に川にピクニックに行った時か何かに、この道具を借りて使ってみた事が有るらしい。

アリスによると、その時使っていた竿は7フィートぐらいの短い竿で、糸を通すための鋼のガイドが先端から握りにかけて幾つか付いていており、握り部分には糸を高速で出し入れする為のスピニングリールと言う機械が付いていたらしい。

その道具でルアーを20〜30ヤードほど飛ばし、スピニングリールのハンドルを回して糸を巻き取ってルアーを泳がせ、足もとまでルアーが来たら又投げるを繰り返すらしい。

なるほど、この方法なら湖などの止水でも舟を使う事無く広範囲を釣る事が可能だ。

ルアーの種類についても情報が有った。僕らが使ったのはプラグという種類のルアーであり、アリスの使った事が有るのはスプーンという種類であるらしい。

スプーンルアーは、金属板をプレス機で曲げたものであり、最も初期に出来たルアーであると洋書に書かれていた。

舟遊びの最中に誤ってティースプーンを湖に落とし、ヒラヒラと沈み行くティースプーンに鱒が食い付いたのを見て、それをヒントに作られた針付きスプーンがルアーの始まりであるというような内容だったと思う。

どうも、スピニングリールとその専用竿は、僕が借りてきた洋書が書かれた時代にはまだ存在しなかったようだ。

アリスによれば、スピニングリールはミッチェルという銘柄で、竿はブラウニングという銘柄だったという。量産品を商店で買えたとの事だった。

(おぼろ)げにではあるが、洋書は外の世界で産業革命、即ち工場での大量生産が始まる以前のものであり、アリスが使ったスピニングリールは量産品であるのだから、産業革命以後の物であると推測できる。

スピニングリールがどこで手に入るか聞きたかったが、「小さな頃だったから覚えていない」とはぐらかされた。

話は今の香霖堂に戻って、にとりの持ってきたルアーの試作品。色々と試行錯誤して、どうにか泳ぎだけは外の世界の物をそっくり真似る事が出来たが、どうしても再現できない部分が有るという。

ルアー全体を覆っている透明の堅い皮膜、これが手に入らない。

有る事はあるのだが、まだ実験室でそれを作る事が可能であるレベルまで到達したに過ぎず、それを購入する事は出来ないという。

天然にもこれに代わる材質が有るのだが、入手が極めて困難で、高価であるという。

同じくリップの材質として使われている透明で極めて頑丈な板材、これも同様だという。売られておらず、そして、天然の物は極めて入手困難であるという。

「ヴ〜ん、香霖堂さん、これで釣れるんじゃないかとは思うけどね?イマイチ自信が無いのよ」

にとりは試作品に自信が持てないと率直に打ち明けた。

確かに、綺麗な輝きを持つ銀箔を堅く透明な皮膜で覆い、艶やかな光沢を持つ外の世界のルアーに対し、にとりの試作品はエナメルで黒と銀のツートーンに塗り分けているにすぎなかった。外の世界のルアーに、洋書の原始的なルアーの彩色を施したような外観だ。

「でも、にとりさん?ちゃんと動きはするんでしょ?」

「うん、ちゃんとクネクネ泳ぐ」

「なら、また妖怪の川下流で試してみたら?」

「いや、それがね?こないだ釣ったあの場所、あんなに魚が集まる事って、年に何回も有るもんじゃないのよ、もう、竹竿で届かないところまで散ってるね」

「なら、舟を使えば?紅魔館へ行った時の舟を使ってトローリングをすれば?」

「それがねー、あの舟、借りもので、しかも最近ずーっと使ってるから借りられないのよ」

「あ〜あ、湖の上をゆっくり移動しながらルアーを引けるような道具…」

「あれ?あれあれ?道具じゃないけど居るじゃん!」

「そうか!チルノか!」

僕達は早速チルノトローリングのプランを練った。

簡単な構造のリールなら糸車を改造すれば出来そうだったが、今回は単なる竹竿に20間程の長さの糸を付け、それを引いてもらう事にした。魚が掛かったら岸へ向かって飛んで引き摺りあげてもらえばよかろう。

釣り場は例の妖怪の川下流、その沖合と決まった。

その日はもう時間も遅かったのでお開きにする。

 

翌朝、僕とにとりは霧の湖まで来ていた。

チルノが住む場所は紛れもなく霧の湖で有る事は間違いないのだが、霧の湖のどこに家が有るのかは知らない。いやいや、それ以前に家が有るのかどうかすら分からない。

妖精というのは自然に存在する物や場所の魂が実体化したものであるから、住んでいるという表現自体が当てはまらない可能性すらある。

僕は、にとりに持たされた“大事な物”が入っている重たい背負子を地面に下ろしながらちょっと途方に暮れてしまった。

「来たのは良いんだけど…にとりさん、チルノをどうやって見付けるのかまでは考えていなかったよ」

「香霖堂さんがそう言うんじゃないかと思って、ちゃんと用意してきましたよ!」

「用意してきましたよって…何を?」

「氷の妖精を呼ぶならこれ!にとりのアイスクリームメーカー!」

「え?作れるの?ここで?」

「うん、氷さえ有ればね?」

「でも、氷無いじゃない」

「と・こ・ろ・が!氷は向こうの方からやってくる!」

にとりは僕の背負子から取り出した樽みたいな物に卵黄と牛乳、砂糖とバニラエッセンスを入れて掻き混ぜると、必要以上に大きな声でこれから何が始まるのかを宣言し始めた。

「にとりのアイスクリーム作り!はっじまーるよー!!!!」

ここに至っても、僕には意味が分からなかった。氷が無くてアイスクリーム作りが始められないのに、何故“はっじまーるよー!”なのかがサッパリわからない。にとりは尚も大声で話を続けた。

「さーあ、準備は出来た!あ・と・は・氷さえあれば美味しいアイスクリーム、出来るのにな〜!!」

まさか?これで呼び出せるのか?

「冷たくて甘〜いアイスクリーム!氷さえ有れば出来るのにな〜!」

「ほらほら、何やってるの、香霖堂さんもやんなきゃ」

「え?僕もやるの?」

「当然!」

僕は半信半疑のまま、にとりの真似をしてみた。

「さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!夢か魔法か幻か!この温かい春の日に、冷たい、冷たい、アイスクリームが出来るって!」

「さーあ、あとは氷さえ有れば出来る!夢のアイスクリームは目前だよー!」

湖に張った氷に一直線のヒビが入り、それが隆起する現象“御身渡り”を見た事が有る人も居るかもしれない。しかし、これは多分、どんな人でも初めてなのではないだろうか?

何しろ遥か沖の方から高速で氷の道が真っ直ぐこっちに向かってくる!

道が向かってくるというのも変な表現だが、そう見えるほどのスピードで湖面が氷結し、それは矢のような速さでこっちに向かってきた!

「チルノ!?ええ!?まさか!?」

「ね?氷は向こうの方から来るって言ったでしょ?」

氷の先端に青い点が見え、それが叫びながら迫りくる。

「あ!い!す!クリーム!!」

遂に氷の道がこちら岸に到達し、チルノは走り幅跳びの着地姿勢で岸に降り立つ。衝撃で完全にスカートが裏返り、悪いとは思ったが、不可抗力でチラどころじゃなく完全に中身が見えた。


「アイス!あたいのアイスは!?」

チルノはこちら岸に来るなり激しくアイスクリームを求め始めた。目は青く光り、小さな体から発散される青白いオーラで周囲は肌寒くなった。

まさか、アイスクリームがこれほどの引力を持つとは思わなかった。

簡単に呼び出せはしたが、はたしてチルノをどうやって落ち着かせ、そして、いかにしてルアーを引かせるのか?これは呼び出す事よりも相当難しく思える。

にとりは氷の道の一部をアイスピックで砕きながらチルノに話しかける。

「いや〜助かったよ、チルノが氷を出してくれたおかげでアイスクリーム作りが始められるよ!」

「えーっ?まだ出来てないのーっ!?」

やっぱり、チルノはすぐにアイスクリームが食べられると期待していたようだ。

「さーいしょに言ったじゃん、今から始めるの、少し時間がかかるよ?」

何故そんな面倒な事を言う!?

チルノの事だからそれを聞いて益々待ちきれなくなり、アイスクリーム種をコチンコチンに凍らせてしまうかもしれない。“すぐに出来る”とか何とか言って誤魔化した方が穏便に済み、楽なように思えるのだが。

「あー!もー!あたい!すぐアイスクリームが食べたいよーっ!」

ほら、始まった。

しかし、にとりは少しも慌てた様子を見せず、砕いた氷をアイスクリームメーカーに入れ、大量の塩と混ぜ合わせながら尚も話を続ける。

「こうやってね?氷に塩を混ぜると、だんだん温度が下がってきてね?」

「アイスが出来るの!?」

「このままじゃ駄目だよ、こうやって氷をかき回して塩を少しずつ溶かしていくとね?」

「すぐ出来るの!?」

「いやいや、塩が氷水に溶ける時にね?温度が下がってアイスクリーム種が少しずつ凍ってアイスクリームに成っていくのよ」

「え〜っ!時間がかかるの〜?」

「うん」

「あたい!待ちきれないよーっ!」

「じゃ、これで魚でも釣りながら待っていれば?」

「なにそれ?」

「ほら、こないだのルアーだよ、今は魚が深い所に居るからね?この、長―い糸で湖の上を引いて深いところを釣るのよ」

「釣れたらもう出来てる?」

「きっと出来てるよ、釣れる前に出来たら呼んであげるよ」

チルノはアイスに対する執着から少しだけ離れて、にとりの提案に耳を傾けている。これなら上手くいきそうだ。

「やったー!あたい、釣ってくるよ!」

上手く・・・いった?

チルノは喜々として釣り具を受け取り、文句ひとつ言わずに言われた通りにルアーを引き始めた。なんだか、保育所の先生みたいな手際のよさだ。

「いや〜やるね、にとりさん、あのチルノが大人しくアイスが出来るまで待ったうえに、ルアーのテストにも協力した、いや〜感心した!」

「あ〜あ、うちは子沢山だったからね、慣れてんのよ、駄々っ子も待たされる理由さえちゃんと理解出来れば、そうそういつまでも泣いたり怒ったりしないもんなのよ」

にとりはアイスクリームメーカーのハンドルを回しながら、ぽつり、ぽつりと話を続ける。

「あたしは二番目でさあ、上に姉ちゃんが居るのよ、姉ちゃんは子供の頃から頭が良くってね?今じゃ、技研で幻想郷を変えるとかいう大きなプロジェクトに参加してるらしいんだ」

「技研って?」

「妖怪の山に有る技術研究所だよ、外の世界の道具とか…例えばコンピューターとかを分析して、似たような物を作ったりしてるらしいんだよ」

「そりゃすごい!コンピューターが出来れば幻想郷は変わるよ!」

「技研のエリート達は幻想郷を変える為の産業革命を起こすとか息巻いてるけど、道具さえ揃えれば人間の社会を越えられるもんじゃないのよ」

「どういう事?」

「例えばコンピューターね?河童のコンピューターは、人間が作った物に比べて単体では性能で圧倒してるんだけど、ネットワークが作れないのよ」

「ネットワークって?」

「まあ、簡単に言えば沢山のコンピューターを繋げて作った社会みたいなものね、沢山の小さなコンピューターが分業で大きな仕事をするのよ」

「河童のコンピューターは分業できないの?」

「そうなのよ、河童のコンピューターは人間のみたく工場で規格品を大量に作ってるわけじゃなくって、全部一から一人の職人が作った一品物ばっかりだから、データも部品も共有できないのよ」

にとりの話は難しくて理解できない部分も多かったが、要約するとこうだ。

河童の技術者の能力は人辺に比して高い。まあ、人間からしてみれば無限の寿命を持つに等しい河童の事だから有利なのは当然か。

しかし、それが故に河童の技術者は人間のやり方を馬鹿にする傾向が有り、人間のシステムを一旦全否定してから独自のシステムを構築しようとする。

その傾向はエリートほど強く、エリート達は「人間の世界の最新鋭より○○倍の能力」といったスペックの優劣を競うばかりで、一向に統一規格の部品やソフトウエア制作に着手しようとしないらしい。

だから、河童のコンピューターを二つ繋いで分業しようと試みても、データのやり取りが出来ないので、一台でやるより効率が悪くなるそうだ。

しかも、人間のコンピューターは面倒なマニュアルを読んで、使い方を一旦理解しさえすれば後はどんなコンピューターも大体同じ方法で扱えるが、河童のはそうはいかないという。

河童のコンピューターは、指示の殆どを日本語入力するだけで期待通りの動作をしてくれる便利さはあるものの、コンピューターの中枢になっている式神と言葉の解釈が合致しなければ期待通りの性能は引き出せない。

例えば、「表を出してくれ」と入力した場合、持ち主が使い慣れたコンピューターなら即座にいつも使っている表を出してくるが、持ち主以外の者の指示だとそうはいかない。

数百種類ある表の中の、どの表であるかコンピューターの方が尋ね返してきて、それだけで相当な手間になってしまう。極端な話、表を手書きした方が数倍速いという事態にもなりかねない。

人間の社会では最初から人間一人ひとりの能力が低い事を承知の上で、その人間が使うことを前提に全てのシステムが組まれている。面倒な事も多いが、それさえ努力と妥協で克服してしまえば、互いに協力して大きな仕事ができるシステムに成っているという。

しかし、人間に比して寿命が極端に長く、身体能力も優れているが故に相互の助けをそれほど必要血しない妖怪…この場合は河童だが、妖怪同士で協力し合って大きな仕事をしようという発想自体が希薄だという。

横並びで協力しあうという習慣も持たないので、どうしても主導権争いに成るとも言っていた。

「あたしはねえ、そんなんじゃダメだと思うのよ、今にあたしは外の世界のシステムをマスターして姉さんを見返してやるよ、今はまだ小物や生活用品ばっかり作りながら細々と研究を続けてるけど、きっといつかは妖怪同士が協力し合って大きな仕事を成し遂げるシステム…だけじゃなくって、社会を作ってみせるよ」

僕はにとりの壮大過ぎる野望にちょっとたじろいだ。

本当にそんな事が出来るとは思えないが、少し考えてみれば、外の世界で人間が構築しているというネットワークを実現する為には、にとりの言う“協力”が不可欠であるとも思える。

「釣―れーたーよー!!」

沖からチルノが帰ってきた。

竹竿は魚が暴れる度に鋭く締め込まれ、確かに大きな魚が掛かっている様子がうかがえる。

「やったじゃんチルノー!アイスも出来たよー!」

僕は荷物の中からお椀とスプーンを三組取り出した。

 

間欠泉地下センターは、妖怪の山の麓に有る地下施設である。

最初は秘密裏に建造されたが、今ではその存在は地底で起こった異変のおかげで露見し、知れ渡る事となっていた。

しかし、その内部への立ち入りは厳重に制限され、中でどんな事が行われているのかも秘密にされていた。間欠泉地下センターという施設名も、本来の目的を隠すために付けられた上辺だけの呼び名だと囁かれて久しい。

洩矢諏訪子は地下センターの一室で、技研において評価試験が終わったばかりの64式小銃を八坂加奈子に見せ、深刻な面持ちで説明を始める。大きすぎる麦わら帽子に付いた蛙みたいな目玉はきょろきょろと愛くるしく動いていたが、その下に有る小さな顔は曇りがちであった。

「これが外の世界の兵隊が装備している一番標準的な武器だよ」

諏訪子の説明を聞き、加奈子はあまりピンと来ていない様子だった。

背中に背負った大きな注連縄が陰を作り出して細部が見えなかったので、少し向きを変え、青い髪をかき上げながら目の前に二脚で布置されている銃を凝視してみた。


「どうって事ない鉄砲に見えるけどねえ?ゴテゴテと色々付いてて持ちにくそうだね」

加奈子は猟期の初めに鉄砲のお払いに来る猟師達が持っていた鉄砲を思い出しながら、それとこれとの違いを探してみようとしたが、そのような感想しか浮かばなかった。

「これは猟師が普通持っている散弾銃じゃなくって、数が制限されているライフルだよ、外の世界じゃ、猟師の持つライフルにもいろいろ規制が掛かって性能も制限されてるけど、これは兵隊のだから無制限だよ」

「例えばどんなふうに?」

「猟師の鉄砲は3発しか弾が入らないけど、これは20発入るよ」

「あんまり変わらない気がするけどねぇ」

「これは弾幕が張れるんだよ」

「どれぐらいの密度の?」

「一分間に600発」

「20発も一瞬だねぇ」

「射程距離は幻想郷に有る一番新しい鉄砲、スプリングフィールドマスケットの3倍だよ」

「三倍で毎分600発か…」

加奈子はここで、少し気になる事を思い出した。最近、外の世界の兵隊が幻想郷に時々紛れこむようになり、妖怪どもと小競り合いの末、どうやら食われているらしいのだ。

「諏訪子…この銃の弾にねぇ…言霊を乗せて撃ち出す事は出来るんだろうか?」

「理論上は可能だね」

「最近、外の世界からこっちに落ちて来る通信機器の数は?」

「すっごく増えてるよ、しかも機種が変わる度にその電波はどんどん強くなって、結界の外と一瞬通じる事もあるらしいよ」

「そいつは厄介だねぇ、お空にももっと働いてもらわないと、結界の中が外の世界に感知されかねない重大な懸念事項だよ…」

「産業革命を計画より早く進めないと、これを持った兵隊と戦わなきゃならなくなるね」

加奈子と諏訪子は暫くの間、言葉なく銃を見下ろし続けた。

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東方ルアー開発秘話(11)里へ

 

春の日はゆるゆると暮れていく。

日が傾けばすぐに暗闇と冷え込みが迫りくる危機感に追われて急ぎ足で帰ってきたが、帰り付いてもまだ西の空はぼんやりと薄桃色に染まっただけで夕暮れというにはまだ早すぎた。

僕とにとりはルアーの試作品テストを霧の湖で行い、上々の結果を得て香霖堂に帰りついていた。

実際にルアーを操作して魚を釣り上げたのはチルノであったが、その事は却ってこの道具の有効性を裏付ける事となった。

現場で突然渡された、竹竿に長い糸で繋がれたルアーをチルノが引き、首尾よく大きな岩魚を釣り上げる事に成功したのだから、試作品は外の世界から流れてきたルアーに迫る性能を持つ事が確認できた。

釣れた岩魚を筒切りにして粗塩をまぶし、炭火に掛け始めた頃、外で天蛙がケロケロと鳴き声を上げはじめた。もうすぐ雨が降るのだろうか。

僕は店の窓を閉めようと思い、お勝手から店内の方に行ってみた。いつも通りの食卓にはいつも通りに食器や酒瓶が出ていたが、それは、これから試作成功を祝する打ち上げの為に出したものだ。

店の戸が開いた。こんな時間に来るのは高確率で買い物客じゃない方の常連だ。

「あ〜もう、そろそろ帰ろうと思った矢先とうとう降り出したわよ、霖之助さん、何か拭く物無い?」

やはり買い物客でない方の常連、博麗神社の巫女、霊夢だ。

「手拭いでいいかな?」

霊夢は僕から手渡された手拭いで髪の毛を拭きなが話しを始めた。

「あら?にとりじゃない?こんな時間に珍しいわね?最近このお店、めぼしい物なんか仕入れてないから無駄足だったんじゃないの?あ、でも今日は寄ってみるべきね、だって魚を焼くいい匂いがするじゃない?」

なるほど、雨宿り兼、夕食の為に立ち寄ったというわけか。

しかも、“めぼしい物なんか仕入れていない”という店のプロフィールまで紹介してくれた。いつもながら、この腋出し巫女は暇であるようで、神社の掃除が終わるとすぐにここへ来る。神社には酒飲み鬼か、吸血鬼か、吸血鬼宅のメイド長か、隙間妖怪か、毒茸魔法使いか…それらのいずれかが来て、勝手にくつろいでいるので留守番の心配は無いという。

毒茸魔法使いはお賽銭箱の中身を堂々と“借りて行く”事もあるが、博麗神社は最近人間から“妖怪神社”などと呼ばれるようになり人足も遠のいたので、お賽銭箱は常時空であり、盗難、無断借用ともに心配は無用だという。

「あーもー、人間の里に行こうと思ったんだけど、途中で妖怪が集まってて何か企んでいるみたいだったから、こっそり様子を窺っていたらこんな時間になっちゃって、結局里には行けなかったわ」

多分、お茶が切れたから買いに行こうとしたのであろう。しかし、多分、恐らくではあるが、手持ちのお金が心もとなかったので、どうしようか思案している内に雨が降り出し、取りあえずタダ飯にでもあずかろうと香霖堂に立ち寄ったというのが本当の所ではないだろうか?

そこのところを確かめるために僕はちょっと疑いの言葉を掛けてみる。

「本当に?妖怪が?集まってるなんて祭りの時じゃあるまいし、本当に?」

一部図星であったのだろう。霊夢は手拭いに顔をうずめ、顔を拭く振りをしながらぶつぶつと呟くように答える。

「“本当に?”ったって、本当の事よ、そんな厭味ったらしい事言うんなら、妖怪が押し掛けてきても助けてあげないわよ?」

それは少し困る。多分ないだろうが、有ったら困る。

「いやいや、悪かった悪かった、で、妖怪達は集まって何をしようとしていたの?」

「う〜ん、よく聞こうと思って近づいたら、感づかれて逃げられたけど、“狩りに行く”とか聞こえたわ」

「妖怪が集まって狩りを?一人で出来る狩りをわざわざ集まって?人間じゃあるまいし」

「あたしもそこが不思議だと思ったのよ、順番がどうとかも言っていたわ、まるでもう獲物を仕留めて、その肉を取る順番を決めるみたいに、食いしん坊な連中だから鹿か猪一頭ぐらいじゃ、分けるほどの量でもないのにね?」

それは確かにちょっと怖い話だ。

単体でいるから何とか防ぐ事が出来ている妖怪の脅威だが、徒党を組まれたらそれもかなわなくなるだろう。天狗や河童は独自の決まりで人間の里を襲わないようにしているが、単独で住んでいる妖怪にそんな決まりはない。

人間の里で悪さをしていると、隙間妖怪の紫他、古参妖怪にシメられるからそれを恐れて人間の里でおとなしくしているだけだ

妖怪のメンツも有り、“つるんで戦うなど弱い奴のする事だ”なんて強がりを言ってもいる。しかし、それを改めて集団で行動するようになったら非常に危険だ。

大挙して徒党を組めば古参妖怪もそれを抑えきれなくなる可能性がある。

「今日はもう、妖怪達は帰ったのかな?」

「それが分からないのよ、すぐに何処かへ行ってしまったからね、森の奥まで深追いしてもアレ全部の相手は流石に無理だと思ったから、そこで引き下がらざるを得なかったわ」

霊夢もやや悔しそうだった。

火を細くして焙り続けていた岩魚が焼けてきたのだろう、いい匂いがお勝手の方から流れてくる。

「詳しい話はあとあと!話しこんでいたらすっかり遅くなってしまったわ、雨も降ってきたし、今日はここで夕食にするけど、いいわよね?」

結局霊夢の思い通りになってしまったか。まあいいだろう、岩魚は二尺近いのが三本も有り、食べきれない分は焼き枯らしにしようかと思っていたところだ。

しかし、この恩義を利用して霊夢に一働きしてもらう事もできる。人の世は持ちつ持たれつであるのだから、それぐらいのお願いはしてもよかろう。半分妖怪が入っている僕も、全てとは言わないが、半分は人の世の恩恵に与ってもよいのではないかと思う。

「ああ、僕達もこれからルアー試作成功の打ち上げをしようと思っていたところだ、一緒に食べて行ってくれてもいいけど、ひとつ、お願い聞いてもらってもいい?」

「いいわよ別に?お金が掛かる事以外だったら何でもいいわよ」

「実は明日、人間の里へ行こうと思ってるんだけど、一緒に行ってくれないかな?」

「そんなのお安いご用よ、霖之助さん不味そうだから食われる心配は無いと思うけど、追剥の方だったら心配だから付いて行ってあげるわよ」

どうやら取引は成功だ。いくらなんでも三人居れば襲われる事は無いだろう。

「にとりさんは…来てくれるよね?」

居てくれると心強いから一応聞いてみた。

「あたしは…」

と言って掌を顔の前で左右に振った。

やっぱりか。人見知りをする河童が人間の沢山住む里に来てくれる可能性は低いと思っていた。これで人間の里行きは二人連れに決定した。

明日は稗田家の蔵書の中に、ルアーに使われている材料、取り分け透明皮膜と透明なプラスチック板の手掛かりがないか探しに行くつもりである。これさえ揃えば外の世界のルアーに比肩する物が出来るので、こうなったら行ける所まで行ってみたい。

もしかしたら外の世界のルアーを幻想郷製が超える可能性もあるのだ。

この日は食事をして、酒を飲んで、ルアーの話やブティックwaki wakiの話、ボンテージショップの話、紅魔館での出来事、などでひとしきり盛り上がった後、お開きとなった。

にとりは“雨ぐらい何ともない”との事だったのでそのまま帰って行った。

霊夢は酔いつぶれて座敷を占領してまったので、カーテンを引いてそのまま寝かせておいく。

 

翌朝…というか、暑苦しさの中、布団の中で目を開けてみると、もう昼近かった。

いかん前兆である。

午前中だけでも店を開けようかと思ったのに寝過ごしてしまった。経営が悪くなって傾きつつある店の店主は、往々にして客足が遠のいた事を言い訳によくこうやってずるずると開店時間を遅くしていき、遂には終日閉店となり店の歴史が終了するものだ。

僕は暑苦しい布団を払い除けて少し慌てた振りをして店に出てみた。食卓の上には何時もの出しっ放しの食器類は無く、既にきれいに片づけられている。

座敷には既に誰もおらず、カーテンは開いていた。

「霖之助さん遅いわよ?あたしは、霖之助さんが寝ている間に一仕事したんだから」

霊夢はどうやら朝早くに起きて昨日の宴の片づけを済ませ、しかも店番までしてくれていたようだ。

「ああ、霊夢、おはよう、悪いね、店番までさせちゃって」

「美人巫女が店番をしていると聞いて、話題になってるんじゃないかしら?今朝は珍しくお客さん来たわよ?」

「へえ、そりゃ珍しい、で、なんか売れた?」

「もちろんよ」

「何が売れたの?」

「“あぶとれっくす”とかいう物だったわ、恍惚とした表情で“これだわ…”とか呟いて買って行ったわよ?天人って、やっぱよく分からないわね?」

ああ、あの人か。

霊夢には使用方法がピンと来なかったのだろう。僕にも本当の使用方法までは分からなかったが、天の人は独自の専門的視点から独自の使用方法を見出したようだ。

「で、いくらで売れたの?」

「値段が書いてなかったから、勘で適当に決めたわよ?結局現金を持っていなかったから、物々交換だけど、あぶとれっくすよりは嵩が多くて綺麗な物だったからいいでしょ?」

霊夢は仕事机の足に立てかけてある物体を指差した。

「よりにもよって…またこれか…」

机の下に有ったのは、以前も店に有って長期不良在庫になっていた河童の五色甲羅だった。以前、苦労して紅魔館のメイド長を言いくるめて何とか売りつける事に成功したのだが、またここに戻ってきてしまった。

まあ…いいだろう、アブトレックスも幻想郷の商品価値基準からしたら五色甲羅と似たようなものだ。

「よりにもよって、ってどういう事よ?ちゃんと店番もして、こうやって利益も上げてるんだからいいでしょ?しかも、美人巫女だし」

美人巫女…は余計かと思ったがここは敢えて追及しないでおこう。人間の里への往復で護衛を頼むのだ。少々の出費と犠牲には目をつぶろう。

「ぁ…ああ…美人巫女、美人巫女、そうそう…河童の五色甲羅は、以前店に有ったものだからちょっとびっくりしただけさ、まさか霊夢が再びこれをここに引寄せてくれるなんて、やっぱり美人巫女の引力はすごいねー!」

手応えはあった。

「まあ、当然ね?名のある物には遍く神が宿るというわ、きっとこの甲羅に宿る神がこの香霖堂に帰りたいと思い続けたからその思いが届いたのよ?でも、ただ待っているだけじゃだめね?素敵な美人巫女との巡り逢わせで、はじめてここに戻ってこれたのよ?こういうエピソードって、商品の価値を高めたりしないかしら?」

ああ…そう云う事か…

この甲羅は吸血鬼の館へと売り飛ばされたにも拘らず…ここに戻って来たいと思い続けるあまり、特殊な趣味人である天人の手を経て、腋出し暇人巫女に見初められ、そして、晴れてこの香霖堂に帰ってきた訳か。

そういったエピソードは酒の席で笑いを取る為には大いに役に立つ事と思うが、商品価値を高める効果の方は……やはり、サッパリとしか言いようがない。

まあ、客の気を引く時にちょっとした小話には使えるか。

まあ、良かろう、良かろう。何事も気の持ちようだ、前向きに事を進めようという気概さえあれば、大抵の事は結果オーライまで持って行ける。それが僕の経営方針でもある。

「いやいや、流石美人巫女だ!その上強いときている、そんな巫女さんに護衛をやってもらえるなんて、僕は、ついてるな!今日!」

「まあ、今回は特別よ?あたしだって忙しいんだから、普通だったら高額なお礼を貰わないと合わないんだけど、いいわよ?香霖堂さんにはいつもお世話になっているから、特別に無料でいいわ」

はいはい、いつも忙しく香霖堂に上がり込んで煎餅とお茶を消費して行ってるんだから、これぐらいしてもらわないと困る…と、いう本音は帰ってくるまで仕舞っておこう。

僕達は、昼も近いので、御結びとお茶を持って香霖堂を出て人間の里へと向かった。

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東方ルアー開発秘話(12)人間の里

 

博麗神社は幻想郷と外の世界の境目に位置する。

境と言っても、幻想郷の外と中を隔てている結界は物理的な物ではないので見たり触れたりできるような物ではない。

人の意識の中に幻想郷の常識が有れば、即ちその人は博麗神社の鳥居をくぐれば幻想郷に入り、外の世界の常識しか意識できなければ、博麗神社の鳥居を何度くぐっても外の世界から幻想郷に入りこんでしまう事は無い。

結界を越えて外から内側に入ってくものは、

結界に穴を開ける特権を持つ一部の妖怪や神。

外の世界で忘れ去られ、幾つかの偶然が重なって幻想に落ちてきた物品。

外の世界で居場所を失い、外の世界との関わりを回復不能なまでに失ってしまった人や妖怪。

妖怪や神によって幻想郷内に持ち込まれた物品、或いは神隠しで連れてこられた人間。

など、限られたものしかない。

博麗神社の主は代々この博麗大結界を管理する役割を担っており、現在その任にあたっているのが博麗の巫女こと博麗霊夢だ。

 

博麗大結界の設置にも関わったと言われている幻想郷でも最古の妖怪、八雲(やくも)(ゆかり)は、博麗の巫女に久しぶりに技の稽古でも付けてみようかと思い立って博麗神社に来てみた。

霊夢は有力な妖怪と戦っても引けを取らないほどの実力を持つ事は確かであるのだが、それでも所詮は人間である。

今のところ仕来たりやルールに従って決闘をしている妖怪達が、何かの切っ掛けでそれを無視して動くようになる危険は、実のところこの幻想郷内にも常に存在する。

仮にそうなったとしても、それに耐えられる程度の実力と知恵を授けておかなければ幻想郷も安泰とは言い難い。

かつて、外の世界には戦のルールがあり、武門はそのしきたりに沿って戦うことを誇りとしていた。

しかしそのしきたりは、共通のしきたりを持たない外来勢力との競争によって一つ、また一つと失われて行ってしまい、一時はとうとう完全に失われててしまった事すらある。

軍勢の衝突は武将同士の決闘に換える事が出来る

海戦で漕ぎ手を射る事はしない

民百姓の生活を保護する為に(いくさ)は秋以降にする

神社仏閣が武装する事は無い

旗印を偽る事はしない

非戦闘員を装って奇襲をかけてはいけない

将校を狙ってはいけない

非戦闘員とその居住区を攻撃目標にしてはいけない

開戦前には敵に開戦する旨通告する

化学物質で毒殺する攻撃を禁じる

これらは、全部外の世界に実在した戦のしきたりであったが、全てが破られた経緯を持つ。幻想郷内ではそのような野放図な戦争が広まる事を断固として避けなければならない。紫はその為に博麗の巫女に時々稽古を付け、妖怪達との決闘に勝ち続けられるよう面倒を見ていた。

人間を代表する地位に有るといってもいい博麗の巫女が力を持ち、幻想郷のルールに従って効果的に妖怪を退治し続けている内は紫自らが乗り出して里の人間を支配する必要もなく、短い命であるが故に何かと無茶をしがちな人間達の頭を実力行使無しに押さえつけておく事が出来る。

妖怪である八雲紫自身が里を支配しようとすれば、人間は必ず幾つもの禁じ手を新たに編みだして妖怪との全面戦争を試みるだろう。そうなったら外の世界と同じだ。

霊夢に稽古でも付けてやろうと思って来はしたが、生憎霊夢はどこかへ出かけてしまっているようで、神社にその姿は無かった。

もしかしたら紫が密かに危惧している異変の前兆に付いて気付き、自ら動き出しているのかもしれない。

だったら神社の縁側に座ってくつろいでいればいい。

異変だったら幻想郷をかなり広い範囲で見渡せるこの場所からそれを見てとれるだろうし、そうでなかったら、くつろいでいる内に遠からず霊夢は帰ってくるだろう。

紫は白い日傘をたたみ、紫色のロングスカートを指で摘まんで持ち上げながら縁側の踏み石に足を掛け、霊夢が香霖堂でそうしているのと変わらぬぐらいの自然さで神社に上がり込み、まるで自宅であるかの如き迷いの無さで茶箪笥から茶筒と急須を取り出し、自らが飲むお茶を淹れ始めた。

縁側に戻り、そこに腰掛けて幻想郷の様子を見渡す。

小高い丘の上に有るこの博麗神社からは、幻想郷の異変らしき事態は確認できない。

ゆっくりと待つ事にしよう。仮に今日、稽古が付けられなかったとしても、都合のいい日取りを聞いて日を改めればよい事。

今朝は昨日降っていた雨も止み、少し汗ばむくらいの暑さになった、そろそろ春秋物のドレスでは過ごしにくくなってくるだろうかと思い、紫は外の世界に置いてあるファッション雑誌を持ってこようと思い立った。

何もない空間を人差し指でなぞる。

すると空間が裂け、その線に沿って暗紫色の隙間が現れた。

隙間の中には無数の目が見える、これは結界の外、多分ファッション雑誌が置いてある紫の仕事場の一つに居る人々の目だ。

隙間の中心部にはぼんやりと目当てのファッション雑誌が見える。

紫は隙間の向こうに有る視線の全てが狙いの雑誌から逸れるタイミングを計らって、それを隙間の向こうからヒョイっと取り出した。

手を抜き出すと隙間は自然に閉じて再び何もない空間に戻る。

雑誌を開き、この夏、外の世界で流行りそうな物を物色してみる、外の世界は相変わらず猛暑続きであるようで、異様に露出度の高い物が目立った。

幻想郷内での着用に向きそうな物を見付けたかったが、どうやら参考になりそうにない。紫は雑誌のページに目を落としたまま、それに全神経を集中して居る素振りを見せて周囲に意識を配った。ただならぬ気配が近づいてくるのを感じていたからだ。

ページをめくりつつ向こうの出方を窺う。

春の蝉が小さな唸り声を上げる向こうに玉石を踏む小さな音が聞こえた。

もういいだろう、これ以上近寄られたら奇襲の一撃を避けられない可能性もある。

紫は雑誌のページをもう一枚めくりながら足音の主に問いかけてみた。

「おや?博麗の神社に来客とは珍しいね?」

紫の問い掛けに相手は特に驚いた様子もなく答える、声を掛けて来るタイミングを予見していたような印象だ。

「珍しいのはそっちの方じゃないのかい?神社に妖怪っていう組み合わせが、そもそも似合わない気がするんだけどねぇ?」

紫は尚も雑誌のページから目を上げず、会話を続ける。

「守矢神社の神様が何の用だい?神様だったら間に合ってるから、どっか他所でやってくれないか?」

雑誌からそーっと目を上げ、横目に相手の様子を目視する、やはり守矢神社に祀られている二柱のうちの一つ、八坂神奈子であった。

赤い服は日の光を反射して目に眩しく、背負っている巨大な注連縄(しめなわ)の視覚効果と相まってその体は実態よりも相当に大きく見える。

紫は神奈子の攻撃を誘発しないように気を付けながらそっと立ち上がる。加奈子の攻撃を受け流せるように扇子で顔を半分隠したまま、神奈子に対して斜めに構えた。

「おやぁ?紫、もしかしてやる気じゃないだろうねぇ?その前に、あたしはあんたに一つ聞いておきたい事が有るんだけど、その後じゃだめかねぇ?」

「いいだろう、あたしも丁度、あんたに聞いておきたかった事が有るんだ、言ってみな」

「じゃあ、お言葉に甘えようかねぇ?最近あんたの配下が妖怪の山近くで人間狩りをしているそうじゃないか?まさか、結界に隙間を作ってわざと外の人間を入れたりしてないだろうねぇ?」

紫は神奈子の言葉に動揺を隠せなかった。神奈子の口からその話題が出るとは全くの想定外であり、実のところ、紫が神奈子に対して聞きたかった事もその件であったのだ。

「?!……それは…こっちのセリフだよ、あんた達の間欠泉地下センター、アレが稼働する頃から外の人間が多く入ってくるようになったんだ、しかも武装して…あんた!あそこで外の人間とツルんで挙兵しようって腹じゃないだろうね!?」

「月まで喧嘩を売りに行ったあんたじゃあるまいし、あたしはそんな馬鹿げた事しないねぇ」

「ハっ!どうだか!あんたならやりかねないね!河童や天狗を巻き込んで何をやろうとしているのか知らないが、結界が危うくなったらあたしは全力であんたを叩き潰すよ!」

「へぇ?そりゃ凄いわ、妖怪がねぇ?神を倒す?あぁ、コリャ見ものだねぇ?」

「あたしはね!神様のそういうスカしたところが気に食わないんだよ!なんなら今ここでやってやろうか!?」

「あぁ怖い怖い、精々気をつけとくよ、でも、これで外の人間がやたら入ってくる原因があんたじゃないと分かったよ、あたしも忙しいからねぇ、今日はこの辺にしてお暇(おいとま)するよ」

神奈子は目的を達するとアッサリと立ち去った。

去り際の空気にも怪しむべきところは無く、神奈子も外の世界の人間と妖怪達の小競り合いに付いて危惧している様子がうかがえた。

腹を割って話をすれば何か解決策を見つけられるかも知れなかったが、それはこちらが握っている重要な情報の数々をタダで盗られてしまうリスクを半分以上抱えているように思えた。

紫には今、神奈子の背中を疑いの視線で鋭く突きながら見送る事しかできなかった。

 

ここのところ人間の里へ行く用事もなく、また、人間の里から香霖堂へ買い物に来る客もほとんど無かった為に、もっと遠いものだと思い込みはじめていた。

思い込みに反して、人間の里は呆気にとられるほど香霖堂から近い場所に有った。里にはこれといった境目や境界線が有るわけではなく、ただ、田圃や畑が点々と見え始める辺りから適当に人間の里と呼んでいる。

解釈のしようによっては周囲の里山まで含まれそうだから、かなり曖昧である。

しかしながら、夜になれば里の外れは妖怪が出てきて悪さをすると言い慣わさせているから一応、人間の里が無限に広がりはしないようになっていた。

夕暮れにはまだ遠い時間であったので、里の畑では普通に人が働いている。冬の間から育ち続けていたであろう麦には青い実が沢山付いていた、麦が終わればもうすぐ田植えの時期になる。

僕と霊夢は、さやさやと風に揺れる麦の間をゆるゆると歩いて里の中心部へ向かった。途中でお地蔵さんの横に腰掛けて御結びを食べる。

幻想郷内にも仏教の信仰はあり、それはむしろ神道より人間達の間に定着しているように思える。幻想郷内でも「困った時の神頼み」ではないが、神社は何かコレと決まった明確な願い事が有る時に訪れる場所という位置づけになっているようだ。

因みに仏教寺院の僧達は、念仏を唱える事によって一応妖怪と戦う事が出来る。

しかし、僧達は積極的に妖怪を退治しようとはせず、(あやかし)のもの達と休戦状態を維持すべきと考えているようだった。

念仏に直ちに妖怪を倒せるような即効性は無い。

しかし、この念仏は妖怪達にとっては毒物や病原菌のようにじわじわと深いダメージを与える事が出来るものらしい。

例えば、単に妖怪の片腕を切り落としたとしても、斬られた妖怪はもう片方の腕に斬られる前と全く遜色無いか、場合によってはそれ以上の力を込めて反撃してくる。

片腕を失っても、それを妖怪が持ち帰れば、妖怪の種類にもよるが、早ければ数日でそれを元通り繋いでしまうという。完全に失っても数カ月で又新しい腕が生えてくる。

そんな強健な妖怪も念仏のような言霊の攻撃には弱く、念仏を唱えながら斬りつけられれば、たとえ小さな切り口でも傷口が腐り始め、悪くすればそのまま死んでしまう事すらあるという。

もし、剛の者が振り下ろす一撃に合わせ、高僧がお札を投げるなどの援護を効果的に行う事に成功すれば一撃で妖怪に致命傷を与える事も出来る。

それほどの好条件が揃う事は稀であるが、そのような攻撃が実現する可能性はある。

しかし、そのような戦いをしない理由は、全面戦争を避けるために有力な妖怪が人間達と結んだ取り決めでそうしているだけだ。もし全面戦争になれば、妖怪か人間のどちらかが滅びる事になるだろう。

稀に禁を破って人間の里に被害を及ぼす妖怪が居るが、これを退治する事は人間の正当な権利であるとされている。妖怪達は「人間の里に被害を及ぼさない」という簡単なルールさえ守っていれば、存在を消されるほどに徹底的に退治される心配は無いようになっていた。

霊夢が時々気楽に口にする「退治してやったわ」は、多くの場合小さなもめ事に決着を付ける為の、言わば試合みたいなものであり、本当の意味での退治ではない。

食事を終えた僕達はすぐに里の中心部へ向かい、商店が軒を連ねる大通りに到達する。霊夢は「お茶を買いたい」と言うので、専門店で暫く茶葉を物色し、多分、そう来るだろうな〜と思っていたが、やっぱり支払いの段になって「霖之助さん、立て替えておいて」と当然のように言いだした。

まあいい、これぐらいは想定の範囲内だ。

「ああ!そうだったわ!ここまで来たらあそこにも寄ってみなくちゃ、霖之助さん、ちょっといいかしら?」

油断していた。

この“ちょっといいかしら?”を甘く見ていた。

僕は「まあ、ちょっとなら」と曖昧に答えたのもよくなかったのかもしれない。

霊夢は「香霖堂の石鹸がすっかり小さくなっていたわよ」

と言いながら石鹸を五個も購入し

「値札ぐらい付けといたほうがいいわよ?」

と言いながら紙を二巻き買い

「イケメン道具屋なら髪の毛もビシッとキメておかなくちゃね?」

等と言いながら、僕が一度も手にした事すらない整髪料を買い(因みに、変態道具屋と呼ばれる事はあってもイケメン道具屋と言われた事は一度もない)最後に

「ちょっとだけ私の物を買ってもいいかしら?」

と言いながら自分の下着を大量に買った。

想定外であったのはそれだけではない、里に売られている品々のことごとく全てが以前に来た時より一割〜二割値上がりしている。米や麦など貯蔵の利く食料品と布製品の値上がりは特にひどく、三割〜四割の値上げは当然のようだった。

霊夢は妖怪の山から下着を売りに来ていた露店の主人(無論妖怪)に

「ちょっと!一週間前に値上げしたばかりでしょ?また値上げってどういう事よ!?あんまりあこぎに稼いでると、退治するわよ!?」

妖怪店主は、霊夢の言葉を意に介さず、平然とこう答えた。

「あこぎとは人聞き…いや、妖怪聞きが悪い事言うね?いまじゃ、どこに行ってもこれぐらいはするよ?いやいや、うちはこの里の中じゃ一番安い値を付けている筈だね、なにしろ山の縫製工場直販だからね、文句が有るなら先に他所で言って来な」

里で一番安いというのは本当の事だ。何しろ目抜き通りの商店、屋台、裏通りの職人街まで隈なく見て回ってここが一番安い事を確認してから霊夢は店主と交渉を始めたのだ。

「も〜!わかったわよ!わかったから、もうちょっと負けてよ?あたしのところはお賽銭の入りがサッパリで商売あがったりなのよ、お願い!神様、仏様、妖怪様!」

遂に泣き落としに入った。

巫女が妖怪様を崇めるのは如何なものかと思うが、取りあえず効果はあった。目抜き通りで主婦達が忙しく夕飯の買い物に往復する里の午後、下着を振り回しながら臆面もなく妖怪店主に神社の窮状を訴える巫女の姿は、嘲笑を通り越し、もはや涙を誘う領域に差し掛かろうとしていた。

「わかった!ここは博麗神社さんにお賽銭上げたと思って、特別に一割引いてあげるよ!」

「よかった!ありがとー!今度神社に来たら、おみくじタダで引かせてあげるわね!」

そのお御籤(おみくじ)も今さっき買った紙で作成するのだろうが、ここは武士の情けで黙っておいてあげよう。

早々に稗田家に向かった方がよさそうだ、これ以上霊夢の“ちょっとだけ”に付き合っていたらいくら必要になるか分かったものではない。

僕達は霊夢に持たされた“ちょっとだけあたしの”改め、“ほぼ全てあたしの買い物を抱え、稗田家へと歩を進めた。

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東方ルアー開発秘話(13)御阿礼の子

 

稗田家は代々御阿礼の子と呼ばれる特殊能力を持った子を輩出する名家である。

稗田家にはちょっとした図書館と言ってもいいほどの蔵書をもつ書庫が有り、御阿礼の子はなんと、その全てを記憶する能力を持つという。

しかもこの御阿礼の子、記憶を持ったまま何度も転生する事が出来、現在の御阿礼の子は九代目であるという。今は稗田阿(ひえだのあ)(きゅう)が御阿礼の子として書庫の資料を管理している。

単に図書館の蔵書の内容を全て暗記しているというだけでも驚異的な事だが、それだけではなく、繰り返す転生の間に蓄積された記憶をも引き継いでおり、本当なら紙に書きとめたり資料を保存しておく必要は無いらしい。

※作者注
御阿礼の子
がどの程度前世の記憶を持ったまま転生できるかについては、原作でもわざと曖昧にして在ります。
この場では色々メドイので「全ての記憶を持ったまま転生」説を採ります。

書庫は万が一御阿礼の子が転生しなくなってしまった場合に備え、知識を保管して置く予備手段という側面も持つという。

果たして十代目が転生するかどうかは運次第というところが有るらしく、そして、何故御阿礼の子だけがそのような能力を持つのかも誰にも分からないという。だから、突然何の前触れもなく転生が終わってしまう可能性もある。

僕は霧雨の家で丁稚をやっている時から稗田家の人々とは顔見知りであったので、面倒な手続きも無く稗田家に上げてもらえた。

家の中の様子も知っているので、案内もなくそのまま書庫へと向かう。霊夢は他の所で用事が有るからとか言って何処かに行ってしまったから僕一人だ。

この書庫を管理する稗田阿求は、以前見掛けた時と同じ、緑を基調とした落ち着いた色の着物に身を包み、きちんと正座しながら机に向かって幻想郷内で起こった様々な事象の記録を続けていた。

阿求は蔵書の内容を全て知っている訳であるから、一々本を探しまわる事は無い。彼女に質問しさえすれば、直ちに正しい答えが返ってくる。

「今日は、これの件でお尋ねしたい事が有るのですが」

阿求は十代の少女であるのだから、このような口調で話しかけるのは少々奇異な気もするのだが、十代であるのは現在御阿礼の子が使用している肉体の年齢であり、精神は一代目が生まれた時からの年数を加算しなければならない。実際は長老と話すようなものなのだから、これでいい…と、思うが、いかがだろうか。取りあえずそのまま話を続ける。

阿求は僕が取り出したルアーを見るなり即答する。

「ああ、これはルアーですね、外の世界の釣り具の中でも趣味性の高い物ですよ」

阿求の説明によると、これは最初から趣味の道具として発明された物であり、漁具としての能力は低いという。

ちょうどいい、のんびりした幻想郷では趣味の道具も比較的よく売れる。

そして気になっていたルアーの表面を覆っている透明な皮膜、これはウレタン樹脂であろうとのことであった。

関係資料が無いかと尋ねてみたら、それにも即答してくれた。

阿求が筆を進めながら口頭で指示した位置、今いる位置から三つ向こうの棚の6段目、その左から32冊目を抜きだしてみると、それは外の世界の書物、ルアーの手作り指南書であった。

その本にはウレタン樹脂の他に、バルサの木やセルロースセメント、ポリカーボネート等の素材名が出てきた。

大抵の物は幻想郷内に有る物で代わりになる物が有るが、やはり、ウレタン樹脂とリップに使われる透明で頑丈なポリカーボネート板だけは代替品に心当たりがない。

ルアーの色についても質問してみた。

赤、青、黒、緑、白、の各色は、やはり五行説に基づく色の持つパワーを利用した物なのか?と聞いてみたら笑われてしまった。

単に緑は鮎、青は海の真鰯、黒は金鮒、赤は金魚で、白は体調を崩して死に掛けた小魚の色だという。つまり、これは単に大きな魚が好んで食いそうな魚の色をルアーに彩色しただけであり、それ以外の意味は無かろうとのことだった。

しかし、それだけでは終わらず、気になる一言を付けくわえた。

この大きさのルアーは一般的に淡水で使われる物であるにも拘らず、海の魚である真鰯を模すのはおかしかろうという。しかも、緑色のアユも、こんな二寸程度の大きさの稚魚が緑色を発色する事も有りえず、疑似餌としてはおかしな彩色で写実性には甚だ劣るとしか言いようがないという。

しかも金魚、これに至っては思いつきとしか言いようがなく、金魚なんてものは2〜3代も代替わりを放置していたら直ぐに原種である鮒に戻ってしまうものだから、これを疑似餌の彩色に採用するのは酔狂としか言いようが無いとも言った。

さらに、さらに、付け加えると、これが趣味の道具として首尾一貫するのものであるのなら、その酔狂は全て説明がつくとも阿求は言った。

なるほど、遊び心でそれらの彩色をルアーに施した訳か。

これはますます面白い。

ならば花柄とかもアリなわけか。

僕は稗田家の人々と阿求に礼を言って家を出た。

僕が探しているウレタン樹脂とポリカーボネートの入手方法は分からずじまいであったが、彩色はワリとざっくばらんにやって大丈夫だと分かって安心した。事実、にとりが試作した簡単なカラーリングのルアーも大きな岩魚を仕留める事に成功している。

しかし、これは純粋な漁具ではない。

趣味としての道具である。

趣味の物であるからには、道具としての一種研ぎ澄まされた武骨さから少し離れ、その中に粋を求めるべき物であると思える。

その為に外の世界のルアーも疑似餌としては首をかしげざるを得ない彩色を敢えて施しているのであろう。

この事から考えると、必ずしもウレタン樹脂とポリカーボネートは必要ないともいえる。

極端な話、金蒔絵でもルアーに施せば、粋という要素だけは外の世界のルアーを超える事が出来るだろう。金銭的に割に合わないものになりはするだろうが。

その事を思えば、外の世界のルアーを完全再現せずともいいと分かって少し安心した。完全再現は達成されれば望ましい目標として次に取っておく事が出来る。

稗田家の前で感慨にふけっている僕の背をつつく物が居た。

何事かと思って後ろを振り向いてみる。

「チルノ?あんた、なんでこんな所に居るの!?」

後ろを振り向いても誰も居ないので少し驚いたが、足元の方を見たら、ちんまりと氷の妖精チルノが居たのでちょっとびっくりした。

「なんで?って、お仕事に決まってるじゃん!」

チルノが?仕事?こんな事は初めてだ。少々興味を引いたので更に聞いてみる。

「お仕事って…チルノが?氷の妖精も仕事する事が有るんだ?」

「リグルちゃんの仕事を手伝ってるんだよ、あたい、偉いでしょ?」

得意げに“偉いでしょ?”と言われても俄かには信じ難いが。試しに少し話を合わせてチルノから状況を聞きだしてみよう。

「いやぁ…すごいね!遂にチルノも仕事するようになったんだ!で、何の仕事?」

「伝言メモを渡してお金を貰うんだよ」

「へ〜え…で、誰の所へ伝言を渡しに行くの?」

「コーリンだよ」

「僕?」

「はい、これ、二文だよ」

「僕が払うんだ!?」

「霊夢がお金持ってなかったんだよ」

イヤな予感がする。

悪い知らせでなければよいのだが。

僕が伝言メモを開いている間にチルノは「あいす♪あいす♪」などと口ずさみながら飛んで行ってしまった。高確率で今の二文は全てアイスクリームに化けてしまうだろうが、その辺はリグルも想定済みであろう。

おそらくチルノが「あたいも仕事するー!」とかいって煩く纏わりついてきたから追い払う意味で一件やらせたのであろう。

メモを開く。いきなり飲み屋街の見取り図だ。かなり…いやな予感がする。

その見取り図に霊夢の漫画化された顔が書かれており、「ゆっくりした結果がこれだよ!」とも書かれている。これはもはや予感ではない、明らかに悪い知らせだ。



行ってみるべきか?

このまま見捨てて帰るべきか?

帰る場合は危険な夜道を僕一人で帰らなければならない。

妖怪と戦う力が有ればそうするのだが、それが出来ないから今回霊夢に同行を願い出た訳で…残念ながら選択の余地は無い。

仕方なく迎えに行く事にした。

飲み屋街も宵の口となり、早々と仕事を終えた人達が足取りも軽く街を行き交う。

赤提灯に吸い込まれてゆく人々を横目に僕は霊夢の寄こしたメモに書かれている店を目指し、あまり気は進まないが、ゆるゆると進んだ。霊夢はいったい飲み屋でいくら使ったのだろうか?

多分“博麗神社のツケ”という伝家の宝刀をアテにしての行動であったのだろうが、こう物価の上昇が速くてはどこでもツケを断るであろう。何故ならいつ返ってくるとも知れない返済を待っていたらその間に酒の値段はどんどん上がり、次の仕入れがままならなくなる事は明白であるからだ。

飲み屋街の一際寂れたというか、古い店が立ち並ぶ一角に差し掛かった。

いや、寂れていると言うには当たらないか。

表通りから一本入った裏路地、古い店ばかりではあるが、そのいずれからも料理をする為の煙が立ち上り、明るい笑い声が絶えない。どうやら地元の常連ばかりが集まる大衆酒場であるらしかった。

メモに有った一軒を見付け、暖簾(のれん)をくぐる。

店内はやはり地元の常連らしき人々で賑わっていた。

居た居た、霊夢は特に困った様子もなく、お茶などを啜り(すすり)ながら澄ました顔で座っている。

まあ、これから困るのはこの腋出し借金巫女ではなく、この僕だからであるからだろうが。

「ちょっと霊夢!あんた、ここでいくら使ったの!?」

「いや…その…何と言うか、申し訳ないけど…35文だけ、ちょっと立て替えておいてくれないかしら!」

自分の買い物も人に立て替えさせておいて、この上飲み代まで出させようというのだろうか?さて?どうしたものか?ここでおいそれと出してしまったら底無しになると思えた。

「う〜ん…出してやってもいいけど、条件が有る!」

「なに?」

「おみくじに香霖堂の広告を入れる!」

「ちょっとまってよ!広告入りのおみくじなんて聞いた事もないわよ!」

「じゃ、世界初という事で」

「ちょっと!お願い!もっと世間体の良い条件にしよーよー!」

「ダメです!他に君に何が出来るって言うの!?」

「妖怪退治とか…」

「じゃ、その妖怪退治で稼いで払ってよ」

「もー!霖之助さんの意地悪!異変が起きても香霖堂だけ解決してあげないんだから!」

香霖堂だけを除いて解決できる異変が有るのであろうか?

僕は珍しく困っている様子の霊夢を見て、俄かに嗜虐(しぎゃく)の炎が湧き上がり、もう少し弄って遊びたくなった。しかも、こちらが優位に立って一方的に話を進められる条件というのも、そう何度も有る物ではない、この機会を有効に使わせてもらおう

さて、半泣きになりそうな霊夢にどんな面白い罰ゲームを課してやろうか?

「そうだ、霊夢、いい事を思い付いたよ、何か面白い一発芸をやってここに居るお客さんに受けたら三問ずつ払ってやるっていうのはどうだろうか?」

酒場の中は途端に拍手に包まれた。満場一致である。

「えぇぇぇ…勘弁してよモー!」

「何言ってんの!ほら!日頃の修業の成果を今こそ見せる時じゃん!」

「なんなのよもー!一発芸の修業なんか、一回もした事無いわよー!」

「だってほら、天狗の宴会に招待されたら、やってるって言ったでしょ?一発芸?それやってみなさいよ」

「じゃ…私の得意な奴でいい?」

「もちろん!決まりだな、さ、お願いしますよ」

霊夢は酒が入っているせいというよりは、恥ずかしさの為に白い頬を真っ赤に染めて立ち上がった。タイミングを見計らって僕が前口上を入れてやる。

「皆様!長らくお待たせいたしました!博麗の巫女に選ばれてから幾星霜、天狗や河童、妖怪達は言うに及ばず、時には神までも向こうに回し、幻想郷を西へ東のお笑い武者修行、艱難辛苦打ち耐えて涙にくれた夜も有る、その思いを込め、今宵、初めて博麗霊夢がプロとしてお客様にネタを披露いたします!それでは霊夢さん!張り切ってどうぞ!」

口上が終わると霊夢は先ほどの半泣き赤面表情から打って変って真剣な顔になった。

“プロとして”という口上が効いたのかもしれない、はたまた彼女の宴会芸は本当に真剣な物であり、そのクオリティはプロとしてのそれに相応しいレベルに達しているのだろうか?

その立ち姿からは只ならぬ決意がオーラのように立ち上り、それは場の空気となってこの小さな酒場を支配した。

霊夢は食卓の上に有った味付け海苔を一枚、素早く人差し指と中指の間に挟んで摘まみ取ると、顔面に掲げて念を込めた。

あたかも海苔がスペルカードになったかのようだ。

ここまでしたという事はタダのネタではないと、この場の全員が確信した。

夢想封印か、二重弾幕結界クラスの大ネタに違いあるまい。

観衆が固唾(かたず)を飲んで見守る中、霊夢は海苔に険しい表情で念を込め続けながら左手を真上に振り上げた。掌がランプの光を受け止め、あたかもその手から神聖な力が放射されているように見える。

霊夢のトレードマークとなっている腋と神聖な力が融合した大技が出る予感がする。観衆の期待は否が応にも高まり続けた。

露出した霊夢の腋に素早く海苔が重ねられた!

来るのか!?

幻想郷を揺るがす腋巫女芸人誕生の瞬間に立ち会う事になるのか!?

霊夢が力いっぱい顔面を歪めて渾身の垂れ目笑いを作った!

今だ!出る!神のネタが!!!!!

 

「 ま・さ・に!酒池肉林でござぁます!」

 

笑いは起きなかった。

店内は一瞬、しいん… とした静寂に包まれてから小さなざわめきに包まれる。

「何あれ?誰か意味分かる?」

「知らないよあんなの、ってか、あれ、どこで笑えばいいの?」

時は止まった。

開かれし腋に海苔を重ね、捨て身のタレ目笑いを浮かべたまま巫女も動かなくなった。

笑いが死んだ瞬間である。

ここ一番のネタを外した芸人は、その立ち姿を墓標とし、静かに人々の記憶から朽ち果てて行くという。

「あの…霊夢さん?」

「な…何よ?」

「それ、もしかして、黒木カホル?」

「…だったら何なのよ」

「古いな〜!そのネタ、幻想郷に落ちてきてから何十年経ってんの!?」

「だって!これやると紫にバカ受けするんだもん!」

「うわっ!コアだなー!そんな化石ギャグ、幻想郷最古の妖怪しか笑わないって!」

「もー!いいでしょ!これが私の今の実力よ!笑いなさい!笑いたければ笑えばいいでしょ!!」

ここで爆笑が起きた。

皮肉にも受けたのは霊夢のネタではなく、ネタが滑ってリアルに泣き崩れる霊夢の姿であった。どんな緻密に計算されたネタも、天然のボケには及ばないと聞いた事が有る。

あまりの恥ずかしさにとうとう霊夢は机の下に隠れてしまった。しかし、頭隠して尻隠さず状態になっており、その姿は霊夢の期待に反して憐れみを引く効果を全く発揮せず、却って笑いを誘った。

可哀想だからそろそろ許してやろうかとも思ったが、この機会を逃してはいけないと僕の心に住む悪魔が囁いた。

しかも、机の下にちょっとだけ出ている丸くて赤い尻はちょっと可愛くて更に嗜虐心をそそった。

さて、次はどんな面白い事をしてやろうかと僕が考えあぐねていると、助け船は意外な所から出てきた。

「話は全て聞かせてもらったよ!ここはあたしに任せな!」

と、いう声がするや否や、閉まっている座敷の障子がガタガタと揺れ出した。

「ここは!あたしが!」ガタガタガタガタ…

「任せな!この場はあたしに!」ガタガタガタガタ…

「ちょ!この障子建付け悪っ!」ガタガタガタガタ…

「こ!ここは!…ちょ…(もみじ)見てないでそっち押して」ガタガタガタガタ…

「もーしょうがないですねー」ガタガタガタガタ…

「あーもー!(あや)も手貸してやって!」ガタガタガタガタ…

「せーのー!ここは!華麗に!あたしがぁぁぁぁ!!!!!」ガターン!

とうとう倒れてしまった障子の上に長い二本の角を生やした鬼の娘が、うつ伏せ状態でチョコンと乗っていた。

 

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東方ルアー開発秘話(14)外の世界村

 

人間の里の名家、稗田家に住む御阿礼の子こと稗田阿久からルアーの材質に関する重要な情報を得た帰り、僕は霊夢が酒場で困っているらしいとの知らせを受け、行ってみた。

嫌な予感は的中し、霊夢は酒場の飲み代を僕に立て替えようとさせたが、そうそう僕も気安く霊夢のツケを引き受ける気は無い。

酒場で困っている霊夢をさらに困らせて、少し灸をすえてやろうと僕が霊夢に意地悪を仕掛けていると、偶然酒場に居合わせた鬼の娘が霊夢を助けてやろうと突然申し出てきた。

 

突然座敷の障子を倒して現れたこの鬼娘、鬼と言えば霊夢の博麗神社に入り浸っているという酒飲み鬼の(すい)()しか思い当たらないが、この娘がそうであろうか?長い角二本を生やしたチビッ娘鬼と聞いているから多分そうであろう。

鬼娘が居た座敷の中にはその他に天狗が六人。

文々(ぶんぶん)(まる)新聞を出版している(しゃ)(めい)丸文(まるあや)だけは知っていたが、後の五人の白狼天狗は見た事が無い者達だ。

霊夢は早速この助け船に乗ろうと、鬼娘に縋るような声で助けを求めた。

「もー見ての通りよ!萃香!お願い!助けてよー!」

「にゃはは!35文ぐらい、このあたしがドーンと払ってあげるよ!」

流石は鬼である。言う事が大きくて良いが、果たして本当に払えるのだろうか?なにしろ、霊夢の所に入り浸っているような者である。類は友を呼ぶというから…

しかし、萃香は自信満々に何やら身分証明書のような物を提示し、「この座敷と霊夢の支払いは全部このあたし、地下センター警備隊の伊吹萃(いぶきすい)()にツケといてよ!」

まさか?とは思ったが、酒場の店主はいそいそとやって来て、萃香の身分証の番号を書き控えて支払いは呆気なく済んでしまった。

何と全員分、約400文の支払いを身分証一枚で済ませてしまったのだ。

僕は驚いたが、それ以上に驚いたのが霊夢だった。

「萃香!あなた!いつの間にそんなお金持ちになったの!?」

「ふっふ〜ん!実はね?地下センターのバイトの時給が良くって、こんなのはすぐに払えちゃうのよ!」

「それより聞いてよ霊夢、今日は目出度いんだよ?この白狼天狗、犬走(いぬばしり)(もみじ)が、遂に出世して部下が付いて組頭になったんだよ!」

射命丸がそれに付け加えてこう言う。

「今日は白狼警備中隊、第2小隊、第1分隊、椛組発足の記念すべき第1日目を祝して打ち上げをしてたのよ!ねー椛?」

椛と呼ばれている白狼天狗は照れ臭そうにしている。椛以外の四人の白狼天狗が、話の筋からして椛組の組員であるらしい。全員そろいの白い制服に、椛柄のストライプを入れている。識別に役立つからだろうか?

射命丸は椛組に整列するように促すと、楽しそうに写真を撮り始めた。

(あや)様、ちょっと!みんな見てるじゃないですか、恥ずかしいですよ〜」

「いーの、いーの!新聞にも載せるんだから!ほらーもっと笑って、笑って」

射命丸のカメラが発する小さな蓋を開け閉めするような音が聞こえ続ける中、萃香は次の店に行こうと誘う。椛達はどうするのだろうか?

その件について萃香に質問してみると、「ああ、この娘達は深夜から早朝に掛けて勤務シフトが入ってるからさ?これからすぐに帰らないといけないのよ」と言った。

射命丸はこっちの話を聞いてか聞かずか、写真を撮りつつこう口走る。

「外の世界からの侵略に備える為組織された、幻想軍の特集には、椛も出るよー!」

外の世界からの侵略?本当だろうか?そんな事は聞いた事も無かった。かなり眉唾な話に思えたが、こうして現に白狼天狗が組織化されているのを見ると、まさかとは思うが、あり得ない話ではない気がしてきた。

「ちょっと、萃香さん、侵略って…」

そこまで僕が言い掛けると、霊夢がそっと制止して耳打ちしてきた。

「霖之助さん、直接聞いたって教えてくれないわ、あたしに考えが有るの」

ここは霊夢に任せてみる事にする。

「ねえ、萃香?次はどこに行くの?もう行く店決まってるの?」

霊夢の問い掛けに対して、萃香は次のように答えた。

「表通りはさあ、意外に鬼お断りの店が多いんだよ、だから最近里の外れに出来た“外の世界村”に行ってみない?妖怪達も沢山店を出していて、楽しいよー!」

鬼お断りの件については分かる気がする。酔って暴れ出したら誰にも止められないからだ。しかし、“外の世界村”っていうのは初耳だ。ちょっと気になる。

「萃香さん?外の世界村っていうのは何なの?」

「外の世界で今、最もトレンディーな文化を紹介するテーマパークだよ、外の世界マニアの間で大ブームでね?特に最近ベビーブーム専用宿が大ブレイク中でさあ、西洋のお城みたいな建物にね?鏡張りの部屋が有って、もーベッドは回るは、参考映像はタダで見られるはでね!そこへ…」

「コホン!萃香さん?そこは村の外れのそのまた外れ、アダルトコーナーの話しでしょ?」

「ああ…そうだった、そうだった、ま、その辺の事情は射命丸が詳しいから後で聞いといてよ、まあ、その他は付いてくれば分かるから!とにかくおいでよ!」

なんとなく…分かったような、分からなかったような?

霊夢は萃香の説明を途中で打ち切ってしまったが、射命丸がベビーブーム専用宿で何の写真を撮っていたのかが気になる。

あれだろうか?こないだ出た文々(ぶんぶん)(まる)新聞の号外“アリス×キスメのカップル誕生か!?”の背景は確か西洋風の城であった気がする。

後でよく読もうと机の上に置いておいたら魔理沙に“借りて”行かれてしまって内容は確認できなかったが…まあ、大体の想像はつく。

射命丸と別れた僕達は、夜の飲み屋街を歩いて外の世界村へ向かう。街は物価高にあえいでいるのかと思いきや、意外とそうでもないようで、中々の賑わいを見せていた。

以前あまり見掛けなかった焼き鳥屋や牛鍋屋、鰻屋等が目立つようになってきた。少し前はいずれも贅沢な物で、庶民が気軽に立ち寄れるような店ではなかったと思ったが。

結構歩いた気がする。里の外れに差し掛かると、盛り場が一旦途切れ、少々さびしくなる辺りにその入り口というか、看板は有った。

商店街の入り口にありがちな(なんとか銀座とか書いてありがちな)アーチ状の看板には“ジュリアナ東方”と明記されていた。

外の世界村という施設名は前面に押し立てなくていいのだろうか?

その疑問には萃香が答えを出してくれた。

「あの看板、変でしょ?最初はジュリアナ東方しか無かったんだよ、でもさあ、段々似たような毛色の店が増えてきて外の世界村になったんだよ、アレはその名残」

なるほど、最初からテーマパークとしてスタートした訳ではなく、店が集まった結果、テーマパークになった訳か。あれだ、中華街みたいなものか。

看板を潜って中に入ってみる。

客層は僕が予想していた通り、ちょっとヒネたというか、コアなマニア系の客が多いように見受けられた。外の世界から流れてきた珍しい服を着てコスプレをしている者も少なからず見受けられる。

「歩いていたらお腹すいちゃったね、あたしが奢るからさあ、イタメシ食べに行かない?」

イタメシ?初めて聞く言葉だ。霊夢も疑問に思ったようだ。

「萃香?イタメシってどんな飯なの?」

「うん、外の世界で今流行っていてね?とっても美味しいんだ、う〜ん…説明すんのも難しいから、とにかく付いておいでよ!」

萃香の後に付いて行くと、村の中心部、一際ネオンが激しく光り輝く場所に出てきた。店も色々だ。

プールバー

カラオケ

テレクラ

ゲーセン

パン無ししゃぶしゃぶ…

看板だけでは殆ど何の店かは分からなかったが、兎に角面白そうではある。

萃香お気に入りであるというイタメシ屋は、どうやら鉄板焼き屋の事であるらしい。店内には炭火鉄板の上に客が乗せる思い思いの食材が発する香ばしい匂いが漂い、食欲を誘う。

萃香は席に付いて早々に慣れた様子で店員を呼び、注文を入れ始めた。僕達はイタメシに付いて何一つ予備知識が無かったので全て萃香にお任せする事にしよう。

「おばちゃーん!カルビ6人前!あと、一気飲み持ってきてー!」

これは?…

イタメシ?…

言うよりは…

むしろ、積極的かつ、完全に焼き肉なのではあるまいか?

確かに客層は西洋風のスーツでキメた男女が多いが、箸でつついている物は紛れもない焼き肉である。

…いやいや、まてまて、この森近霖之助の目は欺けないぞ、あのスーツは普通の物と少し違う。

例えば向かいに座っているあの女、白いスーツは外の世界が雪深いから、その保護色であると推察できる。

しかも、そのフィット感、アレも尋常ではない。スーツは殆ど余裕がないと思えるほどに体のラインにぴっちりと密着している。スカートも然りだ、最小限度まで布面積を減らして衣擦れの音を消す工夫がなされている。

つまり、彼女は雪原を、この服装で音もなく移動する目的でこのような格好をしていると推測できる。

そして、決定的なのがあの肩だ。ソフトなラインで隠蔽しようと試みているようだが、僕の目は誤魔化しきれないぞ、肩には剣闘士が装着するような肩当てが装着されるのがその厚みから見て取れる。

これらの事から結論付けられる事は、彼女は外の世界で忍者のような隠密裏に情報を集める仕事に従事しているに違いない。

そしてその隣に座っている男のスーツだ。

前はV字状に必要以上に開いており、隠し持っている武器を素早く取り出すのに向いたデザインになっている。

ズボンも鳶職が使っている物ほどではないが、相当に足の部分が太く、素早い動きを妨げない工夫がなされている。

なるほど、そうかそうか、女が情報を集めて、戦闘は男が主に引き受けるのか。なるほどなるほど。

わかったぞ、このイタメシと云うのは、その存在自体が外の世界の忍者たちが秘密裏に情報交換をする為の一種の溜まり場に違いあるまい。

「イタメシしよう」と言えば、情報交換か命令下達だ。

そして、これらの食材一つ一つには隠された意味があり、その組み合わせが暗号文を形成するに違いない。

深い!深いぞイタメシ屋!萃香はカルビ6人前プラス一気飲みというメニューに、どんなメッセージを隠しているのか?

最初に出てきたのは一気飲みと云う奴だった。

冷えた一抱えほどの樽と、大きなグラスが三つ。

萃香は、これまた慣れた手付きで樽の中身のビールをグラスに注ぐと「外の世界の乾杯は変わっていてね?一人づつやるんだ、周りの人が囃し立てながら、ささ、霖ちゃん、飲んで飲んで」と言う。

僕が勧められるままにグラスに口を付けると、周りのテーブルからも一斉に思い思いの囃子声が湧き上がる。

「一気!一気!一気!一気!…」

「D!V!D! D!V!D! D!V!D!…」

「ニッポン!ニッポン!ニッポン!…」

「イーノーキ!イーノーキ!イーノーキ!…」

囃子声の意味はサッパリわからない。

しかし、声の調子からグラスを一息に空けろ言いたいのは何となく分かった。

 

イタメシ屋でどれだけ飲まされたのか定かな記憶は無い。

その後、プールバーへ行って今度は水着に着替えさせられ、(外の世界で最もポピュラーで、しかも、専門のコレクターも居る“すくみず”と云う奴だった)泳ぎながら酒を飲むという荒業もやらされた。

河童が見張に付いていたが、それでも一人溺れかけ、かなり危険な遊戯に思える。

しかも、途中で萃香が“蓮ラー”とかいうチンピラ連中とひと悶着起こし、僕が間に入って何とか場を収めた。

とばっちりを受けて彼らが投げる蓮の実が当たって痛い。

しかも、角の尖ったヒシの実を混ぜて来るのは反則だと思った。

ゲーセンにも行った。

どうやらコントや漫才を見せる見世物小屋であるらしいのだが、何故か半裸芸人が多かった。覚えているだけでも

OPPとかいうネタを披露したギョロ目芸人

杵と臼を携えてシュールボケを繰り出す芸名“冷やし餅”

イスタンブルで公開した折には、そのあまりの過激さに禁止令が出されたうえ、国外追放にまでなったという曰く付きの芸を披露した“エガツラ3時前”

漲るパワーを前面に押し立てた力技で、さあ笑えとばかりに迫りくる“中山筋肉者”

まあ、大体が外の世界で一回ブレイクし、地方巡業を繰り返すうちに次第に僻地を回るようになり、やがて幻想郷にまで流れてきた芸人達であるらしく、ネタにパワーは有るが、飽きられると、どうにもならないという弱点を共通に抱えているように見受けられた。

しかし、中にはコアなファンの獲得に成功した者も居るようで、ネズミ妖怪から「先輩」と呼ばれ慕われていたサングラス芸人や、猫又に圧倒的に受けていた“小さいほうのヒロシ”等の例もチラホラとではあるが見受けられた。

彼らはひょっとしたら、年末に行われる漫才コンテストに出場するかもしれない。

かなり、外の世界の文化に触れてヘトヘトになったところに止めを刺したのはレーザーカラオケと云う奴だった。

地底妖怪のキスメが経営しているというその店は、醤油作りに使われるような巨大な桶が個室になっており、その中に歌の伴奏だけを奏でる機会が入っている。

「これはやった事が有る」と霊夢が言うのでやらせてみると、上手に猫巫女の歌を歌い始め、これは面白そうだと思った矢先、突然機械からレーザー光線が発射され、霊夢を撃ち始めた。

しかし、こちらの心配をよそに霊夢はレーザー光線を全て避けた上、猫巫女の歌も歌い切った。

機械が今のプレイを採点してくれるというので確認してみると、見事に100点が出ていた。

次に萃香が砕月なんとかと云う歌を歌い、これは霊夢よりずっと上手かった。しかも、レーザーの攻撃もものともせず、全て掌で受けて防いだ。

が…点数は0点であった。どうやらレーザーを避けられるか否かだけで点数を付けているらしい。

僕にも歌うようにしきりに勧められ、気は進まなかったがやってみると、一発目のレーザーが尻に当たってその場でギブアップとなった。これは危ない、外の世界でも既に廃れているのではあるまいか?

もう帰りたいと思ったが、萃香が「あと一軒だけ付き合って!いや!付き合え!」と言うので仕方なくもう一店入った。

これが本日のメイン、ジュリアナ東方であった。

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東方ルアー開発秘話(15)ジュリアナ東方

 

人間の里の外れに有る、キワモノ達の集う怪しいテーマパーク“外の世界村”。

鬼娘の萃香に誘われるがまま、深夜まで付き合った僕達が最後に案内された店は“ジュリアナ東方”なる怪しい外観の店だった。それは外の世界村が出来る切っ掛けともなった、村内最古参の施設であるらしい。

 

言われるがままに付いてきたが、怪しげな外観を持つ、割と大きなこの店が何の商売をしているのかが分からない。

萃香に尋ねてみると、即座に「闘技場だよ!」と答えた。

どんな闘いをする場所なのか萃香に尋ねてみると、また、

「う〜ん、説明すんのもメンド臭いから、ま、とにかく入って入って!」と来た。

まさか、僕も参加しろとまでは言われないだろうが、少し嫌な予感がする。

ジュリアナ東方の建物は建て増しが繰り返された物である為か、大きな蔵二つ以上も有る大規模な物だった。門構えは西洋の宮殿風で、そこに観音開きの大きな扉が有る。

扉を開けると、中からいきなり物凄い音圧が圧し掛かってきた。何やら強烈なダンスミュージックと、舌を震わせながら絡み付くような声で絶叫を繰り返す女の声が響いてきて、かなり怖い。

「レディィィィ…ス!アンド!ジェントルメェェェェン!」

「イッツ!ショオォォォォウ!タアァァァイム!」

何を見せると言うのだろうか?僕には相変わらずなんの事かサッパリ意味不明であったが、萃香は慌てて前に進み出た。

「あっ!やばっ!もう始まっちゃうよ!面白い見世物が始まるから、霖ちゃんそこで見ててよ!」と、言い残して萃香は中央の円形闘技場らしき所へ飛び込んで行ってしまった。

飛び込んだ直後に、萃香は僕を手招きで呼び寄せ

「あー!霖ちゃん!大事な物忘れてた!あたしのジュリセン取ってきて!

ジュリセン???なんだそりゃ???

「萃香さん!ジュリセンってなんなの!?」

「あー!その辺のボーイ捕まえて“萃香のジュリセン出して”って言えば持ってくるから!」

“萃香のジュリセン”で通じるほど、彼女はこの店に入り浸っているのだろうか?ボーイといっても、何処から呼んでいいのか、僕にはその段階から分からなかった。

困っている僕の背中をつつく者が居たので振り返ってみると、タキシード姿のボーイが何か長い物を手渡してくれた。

「あ!それそれ!あたしのジュリセン!投げて投げて!

ぱっと見、分厚い紙で出来たズッシリと重いハリセンである。広げてみると、それには筆書きで大きく萃の字が書かれていた。

言われた通り、次第に挑戦者達で込み合い始めた闘技場に投げ込んでやると、萃香は長い手を伸ばしてそれを器用に受け取った。

そのジュリセンなる物を使って今からどんな闘いが繰り広げられるのであろうか?円形闘技場はすぐに思い思いのジュリセンを携えた挑戦者ですぐに埋まり、やがて真ん中の一部が突然せりあがって来て五段の円形雛段のような形になった。

例の舌を震わせる女の声が

「ヴぁトオォォォォルルルタアァァァイム!スッ!タアッ!トゥゥゥ!」

と絶叫気味に号令を掛けると、挑戦者達は一心不乱にお立ち台の頂上目指して登り始めた。あまり大きなお立ち台ではない。当然全員は乗る事が出来ず、ジュリセンでライバルを叩き落としながら頂上を目指す事となる。

お立ち台バトルはどうやら女性限定であるらしく、僕は内心、かなり安心した。男性客は誰も闘技場には入らず、外で酒を飲みながら観戦している。

戦いの内容は、筆舌に尽せぬ凄まじいものであった。

まず、挑戦者が多い内は、上の段に居る者の足を掴んで引き摺り下ろすのは当たり前。

上に居る者は自分の立ち位置を守る為にその足を引っ張る者の顔面に容赦なくジュリセンの連打を浴びせかけ、そうこうしている内に上への警戒が疎かになると、後頭部をジュリセンで張り倒されて最下段まで落下といった阿鼻叫喚の戦況が繰り広げられる。

確かに、見ている分には面白い、見ている分には。

暫く戦い続けてお立ち台の天辺に残っているのが二人だけになると急に音楽が止んだ。

それを合図に、円形闘技場を埋めていた挑戦者達はゾロゾロと場外へ出て、残っているのはお立ち台の二人だけとなった。

お立ち台に残っているのは萃香と…人魂を身にまとう、お嬢様風の亡霊だけとなった。

淡い水色の着物を着た一見上品そうな亡霊であったが、強い妖怪達を叩き落としてここまで勝ち残ったのである、弱かろうはずがない。

その件に付いて霊夢に尋ねてみようかと思ったが…

あれ?居ない?

観戦に夢中になっている間に何処かへ行ってしまったのであろうか?

僕が背後を見廻して霊夢の姿を探していると、霊夢の声は意外な場所から聞こえてきた。

「ちょ、ちょ、ちょ、りんのふへさん、はなひ、はなひ、なんか拭く物持ってない?

え?そっち!?円形闘技場の方から霊夢の声が!?

「って!あなた!参加してたの!?

霊夢はなんと、円形闘技場の壁を真っ直ぐ登ってこちらにやって来ていた。いつの間にお立ち台バトルに参加していたのだろうか?鼻の少し上から眉毛の下あたりに掛けて、横一線にジュリセンの強烈な打撃痕が付いていた。

勿体ないが、手拭いを一本やる。

霊夢は手拭いで顔面を抑えながら悔しそうに戦いの感想を語り出した。

「まったくもー!妖弾は一切使わないらしいから飛び込みで参加したけど、月の兎の眼をうっかり直視して、幻覚を見せられている内にこのザマよ!今度見掛けたら退治してやるわ!

ゲームの恨みを外で晴らすのは如何なものかと思う。

早速、亡霊お嬢様の事に付いて尋ねてみよう。

「霊夢、あの亡霊は誰だか知らない?

「ああ、あれは幽々子(ゆゆこ)よ、妖夢(ようむ)っていう半人の使用人から剣術を習ってるとか言っていたわ」

なるほど、ジュリアナ東方で剣術の腕試しか。そう言われてみれば幽々子は着物を戦いやすいように一部改造している。ナイトキャップみたいな帽子は髪が乱れて視界を妨げるのを防ぐ意味も有るのだろう。

手にしているジュリセンも、萃香が長くて如何にも重そうな打撃力重視の物を使っているのに対し、幽々子は短いジュリセンを両手に一本ずつ持ち、二刀流状態であった。

二刀を使いこなせる者は滅多におらず、それ故に二刀流は一般化していない訳であるから、幽々子がこれを使いこなせるとすればかなりの手練と云う事になる。実際にここまで勝ち残ったのであるから強い事に間違いは無かろうが。

闘技場内に掲げられている巨大な電光掲示板には萃香と幽々子の姿が写し出されている。

機材は河童が作っているのであろうが、電力はどこから供給されているのであろうか?こういった電子機器を故障なく動かすためには、強いだけでなく一定の電圧を延々と保ち続ける難しい技術が必要だと聞く。

小さな機材一つなら発電機で何とかなろうが、この大きなジュリアナ東方で消費される膨大な電力を常に一定の電圧、流量で供給できているとしたら、ちょっと途方もない大きさの発電機がどこかに存在する事になる。

音楽の止んだ館内は静まり返っていた。

音響機器を介して流れる、お立ち台に居る二人の会話だけが館内に響き渡ってくる。

「幽々子か、まさか、あんたみたいなお嬢様が残るとは思っていなかったよ、でも安心しな、ここで降参すればそのきれいな顔に痕が付かずに済むよ?

常識で考えて、萃香が負けるなど考えられない。

ハリセンでドツキ合いをするような力勝負で鬼にかなうものなど居ないからだ。

しかし、幽々子は余裕の微笑みすら浮かべながらリラックスした様子で萃香を見下ろしている、何か勝算でもあるのだろうか?

「まあまあ、お優しいおチビさんですこと、でも、今日がリアルバトルデーだって事をお忘れでなくて?」

幽々子がそこまで言い終わると、お立ち台の上から巨大なガラスの筒が下りてきて、重々しい音と共にお立ち台上の二人を閉じ込めてしまった。

電光掲示版には、Real Battle!! の文字が黄色く表示される。

「ごめんなさぁい、あたくし、育ちが良いもんだからしゃべるのが遅くって、早く言ってあげれば逃げられたのにね?ふふふ…」

「ふん!弾幕が有ろうが無かろうが、鬼はいつだって負けやしないさ!ルールはそっちで決めな!

「そうねぇ、そちらにも勝ち目がなくちゃ詰まらないわ、スペルカードはお互い一枚、その後はジュリセンで勝負を付けるのよ?あと…あたしが勝ったら、牛丼を奢ってもらおうかしら?

「上等だ!あたしが勝ったら、ナポレオソのドンパリ割を奢ってもらうよ!

牛丼と高級洋酒では、とても条件としては釣り合わない気がする。まあ、それは彼女ら独特の価値観によるものなのか?牛丼は得盛りでも精々10〜12文であるが、ナポレオソとドンパリは、それぞれ一杯が100文はするようなものだ。

不意に上の方から観客席に向かって沢山の妖精が舞い降りてきた。

皆、妖精から何かを買っている。

何だろう?異様に股上の深い水着を着た妖精たちの一人を捕まえ、何を売っているのか聞いてみると、賭け札らしきものを差し出してきた。

僕は買わなかったが、霊夢は一枚だけ札を買うと言う。霊夢は籤運が良いだけでなく、独特の確率論を持っていて、賭けごとには滅法強い。

まあ、一枚なら買っても負けても、ご愛敬程度で余興には丁度いい。霊夢に5文渡して札を買わせてみた。

当然他の人達は萃香の札を買い求めていたが…霊夢だけは幽々子の札を買った。本当に幽々子に勝ち目が有るのだろうか?弾幕を使えるのは一回こっきり、それを放ってしまったら鬼と力勝負をしなければならないのだ。

甲高い鐘の音を合図に闘いは開始された。

開始するや否や、萃香は全身から青白いオーラを放出し、そのオーラが無数の妖弾となってその姿を完全に覆ってしまった。妖弾を身に纏ったまま幽々子の方に向かって突進する。

かなり強気だ。弾幕はあまり当てにしていないようで、最初っから勢いだけで一気に押し切るつもりであろうか?

幽々子は左手のジュリセンを真っ直ぐ萃香の方に付きつけ、右手のジュリセンは大きく上に振りあげた。鬼の突進にも全くひるむ様子を見せない、この後どうする気だろうか?このまま突進されてしまったらどんな手段でも防ぐ事は出来ないだろう。

幽々子は左に動いた。萃香はその動きを追って進路を変える。

今度は幽々子が桃色のオーラを放ち、それは無数の光輝く蝶となって幽々子の移動した経路に舞い続けた。ここいらで萃香の弾幕が切れる。

「あまいわーっ!この程度の弾幕、全部浴びたって痛くも痒くも!

 

すぱーん!

 

?…萃香の弾幕が切れたと思ったら、直後に幽々子の放った蝶の妖弾に幻惑されて、お立ち台の上がどうなっているのか良く見えない。

が、確かにどちらかがジュリセンの強烈な一打を受けたようだった。

霧が晴れるように蝶も全て消える。

視界がクリアになると、後頭部にジュリセンの一撃を受け、お立ち台の縁から落ちそうになっている萃香の姿が見えた。

萃香は振り向く事も出来ずに、お立ち台の下を凝視している。

幽々子は萃香の後頭部に当たっている右手のジュリセンを引くと、左手のジュリセンで萃香の背を、つん!と一突きした。

萃香は為す術もなくお立ち台から真下まで落下していった。

場内は喝采とも失望とも取れるような微妙などよめきに包まれた。なにしろ、幽々子に賭けた者など、この中に指折り数えるほどしかいないのではあるまいか?

そして、なんと、霊夢はその一人になったのだ。

ほどなくして、本日のバトルクイーンが座る玉座に幽々子が座り、そこに飯炊き釜と鋤焼鍋みたいな物が運ばれてきた。

ボーイが鍋の中身を柄杓で釜によそう。

これが幽々子の言う牛丼であるらしい。

ちなみに、これは牛丼爆盛りというらしく、200文で注文を受けるとの事だった。

これだけの量であるから、当然周囲の物に振る舞うのかと思ったが、幽々子は牛丼爆盛りを全部一人で食べてしまった。


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東方ルアー開発秘話(16)打ち捨てられし者共

 

外の世界をそっくり再現した(と、言われている)外の世界村最古の施設、ジュリアナ東方を出たのは、酒が程良く抜けた頃であった。

ジュリアナ東方でのお立ち台バトルで、本日のバトルクイーンの座を逃した萃香はちょっと悔しげであったが、萃香の対戦相手、幽々子の賭け札を買って濡れ手に粟の大儲けに成功した霊夢は幸せそうだった。

もうとっくに深夜を過ぎ、時間はもはや早朝と言ってもいい時間に差し掛かろうとしていた。外の世界村でも、流石にこの時間まで営業している店は殆ど無く、ネオンの光はまばらになっている。

静かになると、密やかな夜の声が耳に入ってくる。

夜鷹が鳴き交わす声

地底からジージーと小さな唸り声を上げ続けるオケラの声

遠くで吠える犬の声

どこか遠くで酔っ払いが歌う戯れ歌

鯰の立てる水路を遡る水音

蝙蝠のチキチキという羽音

思い出したように湧き上がっては急に消える森青蛙の声

萃香は僕達の前を歩く。来た道とは違うが、もう構いやしない、このまま夜が明けるのを待ってから帰る方が得策と思えたからだ。

萃香にもそれが分かっているのであろう、別に急ぐでも無く、金色に光る三日月を見上げながら、ダラダラと僕らの前を歩き続けた。

頃合いだと思ったのだろうか?霊夢が萃香に問いかけた。

「ねえ萃香、さっき、射命丸が言ってた“外の世界からの侵略”ってどういう事?

「ああ、それ?今はまだ秘密だから言っちゃ駄目だって」

「誰から秘密にするように言われたの?

「守矢神社の神奈子だよ」

「神奈子は外の世界の人間と戦っているの?

「戦っちゃいないよ」

「神奈子が外へ攻め出て先手を打つつもりなの?」

「そうじゃないよ」

「じゃ、戦う必要は無いのね?

「いや、有るらしいんだよ」

「誰と?幻想郷の中の誰か?

「違うよ」

「外の世界の妖怪や妖精?

「違うよ」

「月の都の人?

「違うよ」

「じゃ、外の世界の人間と戦う可能性は?

「そりゃ、秘密だよ」

どうやら霊夢は鬼の弱点である“嘘をつく事が出来ない”ところに付け込んで外の人間が攻め込んでくる可能性を萃香から聞き出した。

つまり、現時点で外の世界から攻撃を受けてはいないが、少なくとも神奈子は外の世界からの攻撃が有りえると考え、それに備えているらしい。

わざわざ霊夢が萃香に散々付き合って質問を先送りにしていたのは、萃香の警戒心を解くためなのであろうか?場合によっては、萃香が回答を避ける為に無言で立ち去ってしまう可能性もある。

霊夢と萃香は仲がいいらしいので、きっと霊夢は、萃香が答えやすい状況になるのを待ってから質問を開始したのであろう。

萃香は月を見上げ、手をぶらぶら振りながら歩きつつ、誰に聞かせるともなく、話し始めた。

「な〜んか、バレちゃったっぽいからさ?あたし、独り言を言うよ?今みたいに極端に景気が良くなる時っていうのはね?大抵何かろくでもない事の前触れなんだよ」

「それは…それはろくでもない事さ、大きな天災か、飢饉か、(いくさ)だね何百年前からずっとそうさ」

酒飲みのチビ鬼だと思って軽く見ていたが、ちょっと考えてみれば、彼女は僕らよりもずっとずっと年上だったのだ、僕達の知らない歴史の局面に何度も立ち会っている筈だ。

「人間は進歩だとか言ってさあ、いろんな物発明して、いろんな事出来るようになるけど、あまりに色々手にしすぎるとね?時に一番大切な物を無くしちゃうんだよ、急に景気が良くなった時って、そんな時なんだ」

萃香は月を見上げて「はーっ」と溜息をつき、「ま、言葉で言うのも難しいからさ、とにかくちょっと、あと、ちょっとだけ付き合ってよ!」と言いだした。

何か見られるらしい。迷わず付いて行くことにした。

歩きながら霊夢はまた萃香に質問をしてみる。

「ねえ萃香?地下センターのバイトって何なの?

「ああ、見張兼用心棒みたいなもんさ、地下センターの中を探ろうとするやつを追い払うんだよ」

「そうなの、まあ…中で何をやってるのかは、聞かないでおくわ、萃香の立場も有るでしょうしね」

「うん、ありがとね、鬼が人とあんまり話をしないのはね?やっぱり、聞き出されちゃうんだよ、いろんな事、だからさあ、話し掛け辛い様に威勢を張っている所も有るんだよ、だから怖がられちゃうんだろうね」

萃香はぶらぶら振り続けていた手を頭の後ろに組み、“しょうがないか”という感じで独り言を続ける。

「ま!鬼が怖がられているおかげで今のバイトが成り立っているんだけどね、昔はさあ、信じられないだろうけど、鬼も神格を持っていたんだよ」

萃香は三日月を見上げた。横顔はその光を受け、青白い柔らかな光を放つ。昔の事を思っているのだろう。

「いつ頃からだったろうかねえ?あたしら鬼が妖怪に落ちちまったのは…あれか、都が出来て、銭が出回り始めた頃だったねぇ…」

僕には萃香がどれだけ昔の事を言っているのか、正直ピンと来なかった。しかし、銭が出回り始めた頃の話は気になる。

「アレが出来た頃はさ?働いた成果を…労働力自体を貯めておく事が出来る画期的な発明だって、みんな大層持て囃したさ、なにしろ不作の地域でも、銭さえ溜めておけば遠くから食べる物を買えたからね」

確かにそれは便利だ、普遍的ともいえる価値を持つ通貨が無ければ、遠くから大量の食料を調達する事など出来ないだろう。

例えば、漁民が大量の米が欲しいからと言って、大量の魚を米の産地に持って行って物々交換を試みても、僅かな米しか手に入らないだろう、魚は貯蔵が効かない。

陶器などの保存が可能な商品でも、必要量が米の産地に出回ってしまえば、それ以上米農家が取引に応じる可能性は無い。

何にでも交換可能な通貨だけが遠距離からの大量調達を可能にするのだ。

「遠くの人達が互いに取引をするようになってさあ、言葉も通じるようになってきたし、度量衡も統一されたりしてすっごく進歩したさ、でも、その代わり地元の決まりを作る役目に有った多くの土着神がお役御免と忘れ去られて行ったよね」

しかし、萃香は開き直るようにふんぞり返りながら言い放つ。

「まあいいさ!お役御免も気楽なもんだ!前よりもずっと、お酒も飲めるしね!

萃香の独り言を聞きながら月の照らしだす夜道を歩き続け、僕達は里の外れを流れる小川に出た。川には木の橋が掛かっており、萃香は慣れた様子で土手を下ると、橋の下に有るほどよい大きさの川石に腰かけた。

僕達も同じように川石に腰かける。

川の水は月を映し、揺らめくように下流へ向かって流れ続ける。青い闇の中、それはこの世と異世界の曖昧な境目であるかのように朧で不確かな物であるように見えた。

遠くで鹿が啼いた。

狼の接近に気付いたのであろう。

それには構わず、萃香は瓢箪(ひょうたん)の栓を抜くと、おもむろに片方の(つの)を、事も有ろうに“きゅぽん!”と軽い音をさせながら抜いてしまった。

それに酒を注ぎ始める。

「ささ、霖ちゃん、飲んで飲んで」

「僕に!?ってか、それ取れるんだ!?

「あ、これ?(にゅう)(つの)、子供の頃に生え換わったんだよ」

良く見ると萃香の本当の角はちゃんと生えている。どうやら遠い昔に抜けた乳角を刳り抜いて盃にした物を、今生えている角に被せて持ち歩いているようだ。

しかし、萃香の乳角は、今生えている角と殆ど大きさが変わっていない。

“子供の頃抜けた”と言われても人間の感覚からはちょっと推し量り難い所が有った。鬼はいつから成人するのだろうか?少なくとも、角の大きさから推測するに、萃香の言う“子供の頃”から萃香は背が伸びていないようだった。

「ささ、霊夢も飲んで飲んで」

もう片方の乳角にも酒が注がれた。

僕達は酒をちびりちびりと舐めながら萃香の話に耳を傾ける。

「こうしているとね?時期に向こうからやって来るんだよ」

「何が来るのよ?

「落ちぶれ仲間さ」

「何?落ちぶれ仲間って?」

「ほら、来た来た!

萃香の指さす方向を見ると、小さな黒い影が足早にこっちへ向かってくるのが見える。

「猫?

「そうそう!どんどん来るよ!

萃香の言うとおり、あちこちの叢がカサカサと小さく掻き分けられ、様々な毛色の猫達が萃香を取り囲んだ。

「おーよしよし、みんな良い子にしてた?あんた達も、たまにはこれで息抜きしなよ」

猫達に語りかけながら萃香は木の皮みたいな物を取り出して川砂の上に撒いた。

猫達は撒かれた物の匂いを嗅ぐと、仰向けに寝転んだりゴロゴロと転がりまわったりしながら楽しげに遊び始めた。どうやらマタタビを撒いたらしい。

霊夢も喜々として猫達と遊び始める。

「可愛い仲間じゃないの!これのどこが落ちぶれているのよ?

霊夢の反応は萃香が予想しているものであったのだろう、萃香は独り言の続きをするかのように霊夢の問い掛けに答え、話の続きを始めた。

「この子達はね?もともと日本には一頭も居なかったんだよ、遠い遠い海の向こう、朝鮮や唐、ジャガルタや天竺よりももっと遠く、トルコやペルシアの更に先から連れてこられたのさ」

そう言いながら萃香は近くに居る猫を一頭抱き上げた。

「最初はさぁ、王様の宮殿とかでそれはそれは大事にされていてね?穀物をネズミから守る能力を買われて世界中に連れて行かれたさ、あたしが都で初めて猫を見かけた時は紐に繋がれてて…まあ、本当は繋ぐ必要もなかったんだけどさあ、とにかく大事にされていたよ」

萃香に抱きあげられた猫は、膝の上でゴロゴロと喉を鳴らして甘えている、萃香はそれを愛おしげに眺めながら目を細めた。

「長い事ネズミを取る能力を充てにして人間達は猫を特別に扱ってたんだけどさあ、ネズミを毒で殺す方法が見つかってからは急に手のひら返し、野良犬みたいに邪魔者扱いされるようになってきたんだよ」

「可哀想だよねえ?この子達が元々住んでいたキレナイカやカイロ辺りじゃ、冬なんて無かったんだけど、遠い遠い東の果て、日本じゃ一年のうち三分の一ぐらいは寒い寒い冬が来るのさ、野で生まれた子猫のうち、10頭中1頭生き残れば御の字さ」

僕はこの時、萃香の眼がしらに小さく光る物を見た。鬼の目に涙、それは月の光を反射して青くキラリと光って流れ落ちる。

「あたし達鬼も同じさ、最初は神格を持っていて、怖がられながらも、それなりに尊敬もされていたさ」

涙を人差し指でぬぐいつつ話は続く。

「無名の丘って知ってるだろ?毒草が茂っている所、あそこはさあ、飢饉のときに老人や幼児を捨てに来る場所だったんだよ、鬼はそれを防ぐために頃合いを見計らって人間の集落を襲って人を攫って(さらって)行ったんだよ、村の中で大切にされている人を選んでね」

本当だろうか?考えようによっては人攫いを正当化する為の言い訳にも聞こえる。

「だってそうだろ?働けない人を攫って行ったら、それは間引きや姥捨てと変わらないじゃないか?そんな事をしたら、何度目かには働けない人を一括りにして向こうから鬼の住処(すみか)に捨てに来るさ」

「鬼は人間達が極限状態に陥った時に優しさを失わないように、敢えて汚れ役を買って出ていたのさ」

なるほど、鬼という共通の敵を持つ事によって人は極限状態下でギリギリの線で絆を保てていたのかもしれない。有力者や麗人を選んで攫って行くというのも、人々が捨てていい人と守るべき人を区別する事を防いでいた可能性もある。

有力とされていた人が急に居なくなる可能性が有れば、その他大勢とされていた誰かがそれに取って代わる可能性を常に持っているという事になる、命の価値に優劣を付ける事を防いでいたのかもしれない。

「たまには、人間が鬼退治に来る事もあってね?その時は、そこそこの激戦をして、捕まえておいた人間や財宝、食料を置いて退却したさ」

萃香は溜息をつきながらまた月を見上げる。

遠い昔、鬼が人口をコントロールしていた時代の事を思い出しているのであろうか?

「でもね?大陸から仏教や銭が渡ってくると、あたし達鬼はね?する事が無くなったんだよ、だって里に食い扶持が無くなったら都に働きに行けばいいじゃん?態々(わざわざ)敵を崇めなくっても、仏様を拝めばいいじゃん?

「しまいにゃ、あたし達鬼は単なる人間の敵、悪しき化け物として次々に討伐され、今じゃこの有様、妖怪の仲間入りという訳さ」

「でもね?人間の方もそれで()出度(でた)()とはいかなかったんだ、結局、都は増え続ける人口をコントロールできず、食料需要が極限まで来ると、物価高が救いようもなくなって銭も全く用を為さず、優しさを失った人間は互いに激しく争うようになって飢餓や疫病、戦でまた元の黙阿弥、死体の山さ」

どうやら、これは外の世界のかなり昔の話であるらしい、どれだけ昔かは知る由もないが、萃香は通貨の流通という輝かしい技術の発展と、それを手にしたが故のどうしようもない宿痾(しゅくあ)を目の当たりにしてきたようだ。

「なんか、湿っぽい話になっちゃったね、今はバイトと猫の世話しかする事が無いけどさ?それでもいいじゃん、この川の水みたいにみんな上から下に流れ落ちて行くしかないのなら、そのままでもいいじゃん、今を思いっきり楽しんでおこうよ、明日の事なんか誰にもわかりゃしないって!

萃香の出した結論は諦めともとれるが、考えようによっては前向きとも言えなくもない。僕も何かこの場を閉めくる良い言葉が思い付かないかと言葉を探し続けたが、結局何も思い付かなかった。

「あれは何かしら!?

霊夢が上流から流れて来る木箱のような物に気付いた。

それは霧が立ち始めた川面をこちらに向かってゆっくりと進んでくる。

黒い川面に浮かぶそれは、月の光を受けてこの世ならざる何処かから人目を忍ぶ旅を続ける為の箱舟のように見えた。

「ああ、そろそろ来る頃だろうと思っていたよ!」

そう言うなり萃香はザブザブと川へ入って行き、箱を抱え上げて戻ってきた。

箱が地面に置かれると、猫達が集まって来てしきりに箱の匂いを嗅いだり前足で探るような仕草を見せて中身を見せてくれとせがむ。

箱は木を思わせる薄茶色の色調であったが、材質は紙であるようだった。中から内容物がカサカサと動く小さな音が聞こえる。

「さあ、外の世界から仲間が来たよ、みんな、仲良くしてあげてね!」

萃香が箱を開けると、中から微妙に青色掛かった珍しい色の猫が出てきた。僕は今までこんな色の猫を見た事がない。萃香が言う通り、外の世界から流れ着いたのであろう。大きさは手毬よりちょっと大きいぐらいの子猫だった。

「うわぁ!綺麗な毛色ね!萃香、だっこしてみてもいいかしら?」

「うん、いいよ!」

霊夢は外の世界から来たばかりの子猫を大層気に入ったようだった。

「あはは!登っちゃ駄目だってば!

しかも、早速懐かれている。

獣というものは、言葉が話せない代わりに相手の匂いでその状態を推し量る能力が有ると聞く。暢気(のんき)な霊夢からは暢気臭でも漂っているのだろうか?とにかく、この子猫は霊夢を安心できる相手と判断したようだ。

萃香は紙箱の中身を取り出している、中には一枚のタオルと手紙らしきものが入っていた。

「やっぱりそうだったのか、うんうんうん、そうだったんだね」

萃香は紙切れを見て、一人、何事かに納得している。

「萃香さん、なんて書いてあるの?

萃香は黙って紙をよこすので読んでみる。

 

訳有って飼えなくなりました、名前はまだありません、何一つ良い事が無かったこの子に、何か一つでも良い事が有りますように

 

と、書かれていた。

見たところ、この子猫は生まれてから何カ月も経っていないようだった。

生まれてきた場所が悪かったのか?

それとも時期が悪かったのか?

あるいはその両方か?

とにかく、この子猫は自身の行いや責任とは一切関わりの無く、単に運が悪かったという、その一点の為だけでこの箱に入れられ、ここまで流される羽目になったのだ。

「生きたまま川に流すなんて、酷い事する奴もいるもんだなぁ」

僕は何となく思い付いた言葉を口走ってみたが…

萃香はそうは思っていないようだ。

いや、そう思っているのかもしれないが、萃香はこの子猫を違った視点からも見てみろと言いたげに言葉を継いだ。

「ああ、そうかもね?でも、ただ無責任に川に流すだけだったら手紙なんか入れるかな?

そう言われてみればその通りだ、ただ捨てるだけだったらタオルも意味がない。それについて萃香は次のように考えているらしい。

「どうもねえ、最近よく流れてくるこのテの箱、最初から川に流された訳じゃなく、人目につく場所に置かれていたらしいんだよ」

「どういう事?

「考えてもみなよ?ただ川に流しただけの物が簡単にホイホイ結界を越えて来ると思う?

「そりゃ…たまにはあるけど、そうしょっちゅうある事じゃないですね」

「これはね?無視され続けてその場に存在する事が出来なくなったんだよ、それだけじゃなく、この箱と、この箱に入っていた猫が、ここは自分の居場所じゃないと強く思い過ぎたから結界を超えてきちゃったんだよ」

「この箱を置いた人もこの箱を無視し続けたの?」

「いや…多分…違うんじゃないかと思うよ、箱を置いた人はこの猫と、ただ幸せに暮らしたかっただけなんじゃないのかな?そうなんだと思うよ」

僕にはその考えはやや突飛に思える。

「そうかなぁ」と呟きながら、僕は更に箱の中に何か手掛かりがないか探してみた。

中には書類を裂いて作ったクッション材が入っているだけだった。書類は断片ばかりでどんな事が書かれているのかは分からなかったが、“派遣期間満了”とか、“リーマンショックに伴う受注減”とかの文字は辛うじて読める。

萃香は眉間にしわを寄せながらつぶやく、鬼として為すべき何かに思いを馳せるように。

「多分、外の世界で優しさが失われるような何かが有ったんだよ、この箱一つを拾い上げる余裕すら無くなるような、何かがね…」

僕にはそれは可能性の一つとして考えられる程度だと思う。

「そうかもしれないけど萃香さん、でも、箱に入れて生きたまま捨てるなんて…」

「これも…あたしの単なる感なんだけど…いいや、今までの経験から言って捨て子や捨て犬、捨て猫が増えた時ってのは、往々にしてもっと大きな物も捨てられているのさ」

萃香は霊夢と外の世界から流れ着いたばかりの猫を見やった。

「捨てられてるのは…もしかしたら人間自体かもしれないんだよ…」

そう言うと萃香は川霧に霞む遥か上流に視線を移した。その先は霧でよく見えないが、霧の向こうにスミレ色に染まり始めた(やま)()が見える。朝が来たのだ。

「ねえ萃香、この子、神社に連れて行っちゃだめかしら?

霊夢の提案に萃香は即賛成する。

「うん、うん、うん、うん、そいつぁ良かった、猫も、箱の人もきっと喜ぶよ!ささ、飲む?

と、言いながら萃香は再び瓢箪の栓を抜き、角盃に酒を注いできた。

今日はもう店を開けられそうにない。


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東方ルアー開発秘話(17)会議

朝靄に包まれる人間の里で鬼娘の萃香と別れた僕達は、酒と眠気で朦朧(もうろう)とした体と意識を引きずりながらそれぞれの寝床へ帰り着いた。

聞くところによると、霊夢が連れ帰った子猫は神社にも神社に入り浸る常連にもすぐに慣れ、中々の人気者になっているらしい。

名前は「その時になれば最もふさわしい名前が浮かび上がってくるものなのよ、それが来るまで名付けは待つわ」と霊夢が言ったらしく、まだ無い。

僕の方はというと、人間の里に居る稗田の阿久から聞き及んだルアーの材料、ウレタン樹脂とポリカーボネート板の代替品がないかと日々ああでもない、こうでもないと考え続けたが、全く有益なアイデアを得られないでいた。

そう言えば河童の河城にとりが以前「透明な皮膜と板を作れる天然素材が有る」と言っていたのを思い出し、藁にもすがる思いで問い合わせに走ろうとしたが…「有るには有るが、入手困難で買えばものすごく高い」と言っていたのを思い出して気力はすぐに萎えた。

商売人の悲しい性である。

「研究室でなら代替品を作る事に成功したらしいが、これは一種の企業秘密に属する物なので、入手は不可能だ」とも言われている。

全てが休んでいるかのように気だるい空気に包まれた幻想郷の午後、香霖堂で開かれたルアー制作の企画会議に集まった面々に上記のような経過説明をすると、参加者からは次のような意見が得られた。

「代替品が有るんだろ?それでいいじゃん、決まりだな、そういう物はズーズーしく“くれ”っていうから断られるんだよ、いいか?こういう時は奥ゆかしく“借りて行くぜ!”って言えばいいんだよ」

魔理沙の意見は却下せざるをえまい。

「天然の物が有るんでしょ?なら養殖なり栽培なりで増やせばいいんじゃない?」

霊夢の言う事はもっともだが、それが増やせる物であるのかどうかまでは、まだ、にとりから聞いていない。もうすぐ店に来るだろうから訊いてみよう。

霊夢の意見は保留っと…

「凍らせればいいのよ!で、溶ける前に使う!あたいったらヤッパリ天才ね!」

チルノには、取りあえず里で買った爆弾飴を舐めさせて暫く黙らせて置くとしよう。

机の上には紅魔館の洋書から書き写したルアーの図、阿久の蔵書から書き写した各種資料、にとりが作ったルアーの試作品などが出されている。

ここまであまり実の得る意見は出なかった。

まあ、僕もすぐに名案が浮かぶなんて思っていなかったから、特に焦りはしない。里で買ったお茶でも淹れるとしよう。

急須から湯飲みに注がれたお茶は格別に良い香りを立てた。霊夢が里の店で選び出した物であるが、中々に良い買い物であったと思う。

しかも、霊夢にしては珍しく“ジュリアナ東方”で行われた賭け試合で大穴を当て、そのお金で綺麗さっぱり支払が済んでいる事も有って、あらゆる意味でよいお茶だと言わざるを得ない。

「霖之助さん、羊羹あるでしょ?出しましょうよ?」

…何故知っている腋巫女?

「人間の器は切り分ける羊羹の厚みに現れるというぜ、ここはひとつ、コーリンの器量とやらを見せてほしいぜ」

…毒茸魔法使いよ、そんな事は初めて聞いたぞ。

「あらひも、よーかん、あつみりがいいも!」

ちょ!冷凍妖精!飴舐めるか、喋るか、どっちかにしなさいよw

羊羹は切り分けられた。

一本のうち、七割は温存しておきたかったが、魔理沙の余計な一言により、温存できる分が三割、今日消費される分が七割となってしまった。

かくして羊羹は食卓に上った。

さて、これをチビリ、チビリ、と齧りながら話を進め…

「はい!ちょっと待った!」

どうした腋巫女?

「何?霊夢さん、何か良い考えが浮かんだの?」

腋巫女は重大な案件について意見したいようだったの… だ が 。次のようにのたまう。

「他の皆は誤魔化せても、博麗の巫女の目は欺けないわ、霖之助さん、あなた、私達の分は台形に切った上に、底辺を上に向けて量を誤魔化したわね!?」

即座に毒茸魔法使いが反応した。多分、面白い話になれば内容は何でもいいのだろう。さっさと本題に入りたいから手短に済ませてほしい。

「そりゃ、一大事だぜ、幻想郷を揺るがす一大事件発生だな」

そうだろうか?

「博麗の巫女としては、この件に関して厳正なる監査を要求するわ」

まったく…あんたら…今日、ここに何をしに来たのか、ちょっとは思い出しなさいって!

「もーかん…飴舐め終わらないから食べらめないもよ…」

チルノは昼寝の時間なのだろうか?口に爆弾飴を含んだまま、とろ〜んとした目で羊羹を眺めている。

「おいおいチルノ、そのまま寝たら虫歯になるぜ、飴はこの皿に入れて、あーほら、連れて行ってやるから歯も磨きな」

チルノが会議から離脱した。

魔理沙はチルノを寝かしつけ、僕はチルノの飴を洗いに行くから、会議は一時休会となる。それぞれの用件が済み、三人が再び席に付き、会議は再開された。

「さて、本題の…」

「監査ね?」

「まだ食ってなかったんだ!?」

「当然よ!この件が片付くまで本会議の議題は一時棚上げだわ」

「まー…アレだ、コーリンの羊羹、一切れずつもらいで決着!これでよくね?モグモグ…」

「待ちなさい魔理沙!あなた、なに、先に食べてるのよ!?」

「いーじゃん、いーじゃん、疑惑が掛かってるのはコーリンだけだろ?あたしは被害者側だぜ」

「果たしてそうと言い切れるかしら?あなた、一番最初に席を離れ、一番最初に戻ってきたわよね?隙を見て一番大きな羊羹を自分のとすり替えた可能性が有るわ!」

「いーじゃん、いーじゃん、そんなこと、小さい、小さい、もっと大らかに行こうぜ」

「いいえ、ここまで疑惑が深まれば、徹底究明有るのみよ、あたしは第三者による外部監査を要求するわ!」

「いや、ちょっと!僕がその為に誰かを呼んでくるって事!?」

「まあ…そういう事だぜ、その間あたしたちはコーリンの羊羹を食べて待ってるからゆっくり行って来て良いぜモグモグ…」

「って!もう僕の分食べてるし!」

「いーじゃん、いーじゃん、もう、コーリンが有罪に決まったようなもんだろ?」

「ちょw待ちなさいってwじゃ、僕が第三者呼んで来る意味は!?」

「チルノの代わりで良いんじゃないかしら?」

も……

本っ当に……

こいつらは……

会議が紛糾している真っ最中に河城にとりは店に入ってきた。

「こんにちはー、遅くなってごめ…」

「ちょーど良かったわ!にとり!この羊羹、今からノギスで全部測って!いいや、もっと厳密にするべきだわ!今から急いでマイクロメーターと精密秤持ってきて!」

「いやいや、ここはむしろ四季英姫様を呼んでくるべきだと思うぜ!“コーリンは黒!”」

さすがに今来たばかりのにとりは話に付いて行けず、目を白黒させて

「なに!?なんなの!?霊夢、魔理沙、一体、今、なにが起こっているの!?」

仕方なく僕が説明する事にした。面倒ではあるが。

「あーよくぞ聞いてくれましたにとりさん、実はこの羊羹の厚みをめぐる政治闘争が繰り広げられまして…」

 

説明するのに一時間掛かった。

 

結局、羊羹はにとりによる精密な計測と計算により再分配され(既に食べた魔理沙の分は、全羊羹を計測し、平均値を取った)会議は昼寝から目覚めたチルノを交えて再開された。ここまで出た話で実の有りそうな物は一点しかない。

そう、天然ものを増やせないか?という霊夢の意見だけだ。

僕は早速この点をにとりに持ちかけた。

「ねえ?にとりさん?ルアーの透明部分に使える天然素材ってどんな物?養殖や栽培で増やせるような物なの?」

僕も簡単に色よい返事が来るとは思っていなかった、しかし…それにしても、にとりの様子が変だ。にとりは少々困った様子で顔を赤らめ、もじもじしながら中々話そうとしない。

「ぁ…あのね?」

「なになに?」

「あれは…増やすっていうより出す物なのよ…」

「どこから?」

「う〜ん…ちょっとねえ…」

「ちょっと何?」

「ちょっと…言い難いんだけど…」

「言っちゃって!」

「あのね?木や草から出るんじゃなくってもっとのその…」

「妖怪とか?」

「そうなんだけど…」

少しじれったくなってきた。

「どの妖怪か言って!」

「地底の…」

「地底の誰が出してくれるの?」

ここで腋巫女が邪魔に入る。

「うわっ!霖之助さん!なんか!やらし!」

「ああ、流石は変態道具屋だぜ」

「やだ!キモイねぇ!」


お前ら…

「霊夢!魔理沙!チルノまで!僕はまだ何も聞き出していないでしょ!」

ここで再び腋巫女が沸騰しはじめた。

「聞かなくとも分かるわ!だって、霖之助さん、里でベビーブーム専門宿の事を聞き出そうとしていた時と同じ目をしているもの!」

次いで、毒茸魔法使いにも飛び火した。

「うわっ!なんだそりゃ!コーリン、人間の里で霊夢とそんな所に!?」

何故そうなるw

「ちょ!魔理沙!そんな事言ってないし、そこにも行っていない!」

遂に冷凍妖精までもが発火点に達し…

「コーリンえんがちょね!」

もう…本当に…頼むから本題に入らせてくれ!

にとりは僕らの話があまりに突飛な方向に飛んでしまったので少し慌てて話を戻してくれる。

「あーごめん!そんなんじゃないのよ!そんな気はする話だけど、本当はそんなんじゃないのよ!」

どういう事だろうか?そんな気はするけど?そんなんじゃない話?

「で、にとりさん?それはどこから出るどんな物なの?」

「あのね…土蜘蛛のね…」

「ふん、ふん、土蜘蛛の」

「土蜘蛛のヤマメのね…」

「ほーほー、土蜘蛛のヤマメの?」

「お尻から出る糸の原液なのよ」

ここで再びピンク脳三人組が沸騰しはじめた。

「やらしい!霖之助さんの狙いはそれだったのね!」

いや…僕はこの件を初めて聞いたのだが。

「あぁ…とうとうこの日が来ちまったか、あたしは、今の今まで取っておいた“大変態”の称号を今こそコーリンに授けるぜ!」

すいません、“変態道具屋”で充分間に合っています、頼むから辞退させてください。

「えっちなのはいけないとおもうのよ!」

ちびっ子妖精よ…お前、さっきから意味分かって言ってるのかwww

だ・か・ら・…僕はまだ何も言ってないっつーの!

でも、いいかげんこの展開にも慣れてきた。

にとりの解説によると、蜘蛛の糸の原液は、主剤と硬化剤に分かれており、この二液を別々の穴から放出し、空気中で混ぜる事によってあのような丈夫な蜘蛛の糸になるのだという。

しかも、混ぜ合わせる前は液体の状態で安定しており、長期保存も可能だという。

それだけではない、硬化剤の量を加減する事によって、柔軟性に富む柔らかな素材からガラスのような硬度を持つ素材まで自在に仕上がりを調整できるという。

にとりの説明を聞いてピンク脳三人組も、やや冷静になったようだ。話を進めよう。

「で…君達三人の任務だが…」

「あたしは無理よ?紫から頼まれた異変の調査が途中なんだから」

「…で…二人の…任務だが…」

「あたしはダメだぜ!神社で猫の世話も有るし」

「…チルノの…任務だが…」

「アイス買ってくれるなら行ってあげてもいいのよ!」

「チルノには…お留守番をお願いするよ…」

こうなるんじゃないかと思ったが、やっぱりそうなったか。

土蜘蛛の黒谷ヤマメは、地底世界に向かう途中の洞窟に住んでいるから、誰も来たがらないだろうとは思っていた。

まあいい、最後の一人は利害関係を共にする関係者だから来てはくれるだろう。

「にとりさんは!もちろん!来てくれるよね!?」

にとりは反対もしなかったし、同行もしてくれると言ってくれた、しかし、それには条件が有ると言う。

「う〜ん、他にも一人連れて行っていいなら…」

“いいなら”とは言わずに是非来てほしい。人数が多い方が危険は少なく、持てる道具の種類も増える。同行者が増えるのは、むしろ有り難い事だ。

「で、誰が来てくれるの?」

「う〜ん…あたしは最適な人選だと思うんだけどね?香霖堂さんがなんて言うか…」

「いやいやそんな事無い!来てくれれば安全だし!心強いし!」

「じゃ、来てもらうよ?流し雛の鍵山雛に」

「げっ!流し!流し雛!?」

流し雛と云うのは文字通りの流し雛ではない、流し雛が神変を経て妖怪化したものだ。

その姿を目にする事は、普通は無い事だ。

何故なら妖怪化した流し雛という物は、長年貯め込んだ厄が体中に充満していて、それは余りにも強くなりすぎて外へ向かって放射されているという。

しかも、放射される厄に触れてしまった者には厄が移り、不幸になってしまうとも言われている。

ただし、これは又聞きであり、確証は無い。

そもそも、そんなことを確かめに行く勇気の有りそうなというか、少々トンでいる人材と言えばチルノぐらいしか思い付かないが、チルノが一人で「行きたい」と言ったら、ここに居る全員が全力で止めるのではあるまいか?

しかし、にとりは厄に対する専門知識が有るのか、少し違った見解であるようで、次のように補足してくれた。

「あー!いやいや!雛だっていつも厄を貯め込んでいるとは限らないのよ!厄を防ぐアイテムを持っていれば、例え厄放出中でも中和して無害に出来るから!」

信じていいのだろうか?専門家の意見というものは、その専門的知識を持つもの達の間での暗黙の了解というか、玄人にしか通用しない但し書きみたいな物が常に付いて回る物であり、“厄は中和できるが…但し!この条件では中和不能!”みたいな大事な部分が抜けている場合が往々にしてあるのだ。

しかも、厄なんてものは目にも見えないし、実際、どの程度の厄なら厄除けアイテムで中和できるのかもサッパリ僕には分からない。

「本当に厄除けアイテムで防げるの?」

不信感を露わにした僕の問い掛けに、にとりは少し頭に来た様子で次のように言った。

「本当だって!香霖堂になら有るでしょ?そういった厄を防げるアイテム!」

本当だろうか?厄除けの道具なら…世界最高水準の一品が有るのだけれども…

僕は売り場のどこからでも見える位置に掲げてある草薙ぎの剣を見上げて考え続けた。

行くとすれば流し雛が神に厄を渡してその厄が最小となる時、新月の夜の翌朝が良かろうとの事であった。それまでに決意と準備を固めておかねばなるまい。

 

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東方ルアー開発秘話(18)流し雛

妖怪の山と皆一口で言うが、どこからどこまでが妖怪の山であると断言できる者は多分居ない。ただ、一際高く聳える山を指差して「妖怪の山」と言っているに過ぎないから、おおよそその周囲の山脈を指しているのであろうというところまでは分かる。

そのように懐深い妖怪の山は当然豊かな湧水に恵まれており、それは谷川となって流れ下る内に何度も合流を重ね、やがて妖怪の川と名を変える。

妖怪の川の支流の幾つかは異世界から流れ出ていると言い伝えられており、その水源を確かめに行く事は妖怪達の間では恐れ多い事とされ、一種のタブーとされているらしい。無論、人間はそこまで立ち入る事は出来ない。

天狗達の噂によれば、川のどこかに異世界から流れ出た物が累々と溜まっている淵が有り、その淵では異世界で不要とされた物、忌まわしきもの、忘れてしまいたい辛い思い出等が渦を巻いており、禍々しき厄の溜まり場となって近付く事さえままならないという。

厄を乗せて川に流す流し雛等は、それら禍々しき厄を持つ物品の筆頭に当たり、それがあまりに多く流れ下ってくる時、例えば飢餓や疫病の流行、戦争等で上記の淵に大量に溜まり、あまりに長い時間渦流に掴まったまま回り続けるとそれは凝縮されて一つの意識を持つようになるという。

しかし、それもそう言い伝えられているだけで確かめた者は居ない。ただ、そのように信じられているだけなのだ。

 

誰も近付かない妖怪の山の奥、翡翠のように輝く若葉と瑠璃色に澄み渡る川面の狭間に、燃える紅葉を思わせる赤い点が見えた。

それはここに座っていつも通り川面を見下ろす妖怪化した流し雛、鍵山雛が身に纏うドレスの色である。


初夏の川面は溢れる日差しを反射して青く輝くばかりでなく、萌黄色に輝く羽に日光を反射させて踊る蜻蛉の亜成虫や、それを忙しく集めて回る川烏の親鳥、全身を黄金と朱に染めて浅瀬に殺到する鮠と、それを狙って矢のように鋭く川面に飛び込むヤマセミ等、命の輝きに満ち満ちていて見る者を飽きさせない。

しかし、鍵山雛が待ち続けているのはそのような輝かしい者達ではない。

むしろ、それらとは対極に位置するもの達だ。

それはいつも不意に視界に入ってくる。

ぼーっとしていた訳でもなく、居眠りしている訳でもない。

それは例えば、不意に背後で水音がして、振り向いてそれが河鹿(かじか)(がえる)が水に飛び込む音であることを確認して視線を再び川面に戻した時のような、決まってそんな時に見付ける。

今日は陽気に笑うヤマセミの声に耳を傾ける為目をつぶり、瞼を開いたその時に見付けた。

笹の小舟に桃色の折り紙で織られた小さな人形が乗っている。

近付いて船ごとそっと拾い上げてみる。

その裏には“病”と書かれてあった。

雛は瞼を閉じて俯き、その人形に意識を集中してみた。こうすればその“病”の意味が見えてくるだろう。

イメージが浮かんでくるまで少しそのままでいた。

やがてその目から涙が一筋流れ落ちると、紙で出来ている筈の人形はガラスが砕けるような音を立てて割れ、白い砂のような粉末になって指の間から全てこぼれ落ちて行った。

これで人形が乗せてきた思いだけは浄化する事が出来た。それを切っ掛けに病が治る保証など無い。

しかし、こうやって浄化する事によって悲しみや怒り、苦しみなどが和らぎ、それらが暴れ回って心を壊してしまう事だけは防ぐ事が出来る。

そうすれば、そういった負の感情は思い出の一つに変わり、人形を流した者の心の中に安らかな居場所を見つけて何時までも眠り続ける事が出来るだろう。

雛はいつから自分がそれをしているのか確かな記憶を持っていない、何故自分がそれをしなければいけないのかも分からない。

知る為には誰かに訊く必要が有るのだろうが、それも出来ない。

ここには普通、誰も来てはくれないからだ。

鍵山雛は、そんな場所で来る日も来る日も人形が流れて来るのを待ち続けている。

 

新月の翌朝 霧の湖外周道

僕は朝霧の立ち込める中、にとりの待つ妖怪の川下流へと向かっていた。

武装して外出するなんて事は滅多にないのだが、この日だけは草薙ぎの剣を腰に刺している。これで戦おうというのではない、ただ、この剣の持つ厄を払う効果を期待して持ってきただけの事だ。

実のところ、この剣の名前も、この剣がそのような強力な厄除け効果を持つ物である事も誰にも言っていない。それどころか知られてはまずいとすら思っている。

何故ならこの剣は正式名称を“(あま)(むら)(くも)(つるぎ)”といい、世の中を変えるほどの力を秘めた神聖な秘宝と言っても過言ではない物だからだ。

この剣がそのような物であると知れ渡ったら幻想郷中の有力者が獲得しようと一斉に動き出してもおかしくは無い、これはそれほどの物なのだ。

外見はどうってことは無い。古い銅剣を砂型にとり、黄銅でコピーしたような安っぽい外観をしている。銅剣の名品ならその作られた年代から言って当然緑青が浮き出ている筈であるが、これには全く無い。

何故ならこの剣は銅などではなく、不滅の金属として知る人ぞ知るヒヒイロカネで作られている物だから錆びる事など全くない。

この剣は、どういう訳か幼少の頃魔理沙が集めてきた鉄屑の中に混じっているのを僕が見付け、魔理沙との取引で入手した物だ。

無論、この剣の本当の名前と希少性は伏せたまま、鉄屑一山の内容物として僕が“合法的に”入手した物だ。

川の下流へは霧の湖の外周道を通って行くと早い。

僕は濃い霧のベールに包まれた湖を横目に小路を歩き続ける。

湖の水は恐らく外気より相当に冷たいのであろう、もう梅雨入り前だと言うのに湖岸の空気はひんやりと肌寒く、その為空気中の水分が飽和となり、この霧が発生する。

この冷たい湖自身に宿る魂が実体化した者がチルノなのであろうか?

そう考えてみれば、太古の昔からここに有る筈なのに、全く濁るとか汚れるという事を知らず、いつまでも青く澄みわてっている所は彼女に似ているともいえる。

知る人は少ないが、湖にも一生が有り、湖が生まれたての頃は地殻の変動や火山の休眠によって単に大きな水溜りとしてスタートし、流入河川や流出河川から魚や水鳥がやって来るようになりって命有る湖に成長し、やがてそれも流入河川から運び込まれる土砂と、生物の死骸が作りだした堆積物で埋まり、広大な湿地となってその一生を終える。

この湖もそのような成長過程を辿るとすれば、今、どの辺りに居るのであろうか?

チルノの姿が参考になるとすれば、それは、跳ねまわる朝日のように、ただ無邪気に今日の一日が楽しくてしょうがない子供時代に当たるのであろうか?

この湖が歴史を重ねるうちに様々な物を取り込んで行き、湿地化して今とは比べようもないほどに様々な命の拠り所になる日が来るとしたら、やっぱりチルノの姿はそれに合わせて成長して行くのであろうか?

それは、どれほど先の事なのであろうか?

白樺の林を抜け、(もみ)の木の森も過ぎ、硅砂の砂浜へと下って行く坂に差し掛かったところで、霧にかすむ湖岸に、にとりの姿を見付ける事が出来た。

「待たせたかな?」

「ううん、あんまり」

僕はにとりの持ってきた(かめ)の入った木箱を受け取り、背負子にくくりつけた。

首尾よく蜘蛛の糸の原液が手に入れば、この甕にそれが入る。

しかし、モノがモノである。僕自身が黒谷ヤマメに「原液をくれ」なんてお願いしたら、十割の確率で断られたうえ、原液でない糸その物でぐるぐる巻きにされてしまう事だろう。にとりに交渉させるべきであるが、何か良いアイデアを持っているのだろうか?

ちょっと気になったので聞いてみる。

「ところでにとりさん?」

「なになに?」

「どうやってヤマメから原液を貰うの?」

「ああ、それだったらね?川の漁業補償から請求すればいいのよ」

「え!?有るんだ!そんなの!」

「土蜘蛛のヤマメは病を操る程度の能力を持っているでしょ?あの力を使うとね、風評被害で暫く川の魚が売れなくなるのよ、そん時の補償がまだツケになってるのよ」

「いくらぐらい有るの?」

「二千貫」

「そんなに有んだ!?」

「でも、土蜘蛛のヤマメはお金なんか持ってないでしょ?だから一回も支払われていない!」

「で、今回は幾ら分返してもらうの?」

「わかんない、テキトー」

「テキトーってそんな!他の河童も原液で清算を要求したらどーすんの!?」

「だーいじょうぶだって、お尻から出る原液で清算の要求なんて、しない!しない!」

「ええ?…本当?だって、糸の原液って買えば高いんでしょ?」

「そーんな、レアでコアな物品で要求しようなんて誰も思わないって!河童なら尚更だね!」

「何で河童は原液で請求しないと言い切れるの?」

「考えてもみなよ?そんな変態チックな要求、恥ずかしがり屋の河童には出来っこないって!」

そうか…出来っこない…なら安心…!?!?!?

「ちょっと待った!僕が言うの!?原液くれって!」

「いーじゃん、いーじゃん、一部では変態とか(ふんどし)とかでキャラが立ってるんでしょ?今更、少しぐらい評判落ちたって関係無いって!」

「いやいや!僕が心配しているのはそんな事じゃなくって!…いや、それも心配だ・け・れ・ど・も!ヤマメが怒るかも知んないじゃん!そんなこと言ったら!」

「う〜ん…それは…まあ…」

「それはまあ?」

「まず、怒るだろうね!」

「そんな!じゃ!どうすんのよ!?」

「まあ、まあ、あたしと雛も一緒に頼んであげるから、まあ、何とかなるんじゃない?」

何とかなるんじゃない? ときた。

スンナリ行くとは思っていなかったが、今更ながらに前途の多難が予想され過ぎて足取りが重い。

僕は、げんなりとしながら前屈みとなり、木材切りだしの為に付けられた林道を上るにとりの踵を追いながら歩き続けた。

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